LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

何にもないぜ!メリダ!

2010年11月10日 | 中米日記
10Nov2010 Merida

日中のバスはいくらでも気持ちよく眠れるのに、夜行になるとほとんど眠れなくなるのは何故?昔からの謎。。0640メリダ到着。

ターミナルから歩いて30分ほどのところに庭の美しい宿に部屋をとりシャワーを浴びて庭でWIFIしながらゆっくり疲れを取る。


【その宿。275ペソ也】

ピンクフラミンゴを見にセレストゥンに行こうとここで降りてみたものの2人で7000円もするしで結局諦め明日チチェン・イツァーを見てそのままカンクンに行くことを決定。早速またバスターミナルまで戻りチケット購入。



午後も相棒は昼寝、私は庭でネットして体力回復に努める。

「歩き方」には午後8時まで開いているというユカタン人類学博物館に歩いていく・・とまだ5時半だというのに閉まっていた。5時までじゃ、ボケ。改訂しとけ。



「歩き方」には午後9時から無料で観賞できるという民族舞踊を見に行った・・ら係の人が今はやってないといって他のプログラム冊子をくれた。アホ。改訂しとけ。

久々に食べたイチゴアイスとマクドのポテトがうまかった・・という思い出だけが残ったメリダであった。。。


【激ウマのイチゴアイス】

世界遺産・パレンケ遺跡ももちろん来てみた

2010年11月09日 | 中米日記
09Nov2010 San Cristbal de Las Casas-Palenque (Night bus)

寒さの残る5時15分起床。6時15分偶然にもまた同じバスに乗ることになった隣の部屋のフランシス夫妻とバスターミナルへ。



7時15分バス発車。重い瞼のむこうに見える景色は濃緑の美しいチアパスの山々。一生懸命見ようとするのだが眠気で意識朦朧。距離は遠くないのに山道をずっとクネクネいくもんだから5時間かかる行程。09:45Ocosingoというところで夫妻は次の再会を約束して降りていった。



午後1時頃パレンケ到着。2000mも標高を下げ暑い。でも湿気がないので不快感はそんなにない。愛用ヒートテック下、フリース上を脱ぎ、今夜の夜行バスのチケットを買い、荷物をバスターミナルに預け早速出発。

コレクティーボ乗り場に行き20分ほどでパレンケ遺跡へ到着。



18世紀、スペイン人宣教師によって報告されるまで800年もの間人知れずジャングルに眠っていたマヤを代表する遺跡。(このフレーズ、なんかアンコールワットでもなかったっけ?眠っていた!なんていうのは発見側の言い分でジモッチー達は皆知ってた・・みたいな。それも発見した奴らが略奪の限りを尽くして自分らの国に黙って持ち帰ってそれまで何にもなかった現地を滅茶苦茶にするんじゃないのかよ。。と勝手に想像)







確かにすごいといえばスゴイのだが、ここんとこゲップと一緒に口から遺跡が出そうなほど見まくってるのでグダグダ感想は省略。ただ今夜の夜行バスまで時間があるのでゆ~っくり見て回った。確かに神殿の上から全景を見渡すとジャングルに遺跡が埋もれている様子は夕方の静けさと重なっていい雰囲気がでていた。





2時間半ほど滞在して午後5時頃パレンケの町に戻る。あと6時間もこの小さな町で何しよう・・と途方にくれる。バーガーキング入って、町ブラして、チュロス食べて、町ブラして・・お腹一杯なのにまたレストラン入ってWIFIして・・でめでたく時間を使いきり23時発の夜行バスに乗り込みメリダに向かった。


【モーレソースがうまいぜ!】

スミデロキャニオンで人生2度目のワニ!

2010年11月08日 | 中米日記
08Nov2010 San Cristbal de Las Casas (Sumidero Canyon Tour 190peso)

8時過ぎ起床。寒いものの外は快晴。9時半過ぎピックアップバスに乗り40分ほどでスミデロキャニオン(Sumidero Caanyon)へ。標高低いせいかとても暖かい。早速ボートに乗り込み鋭く削られた渓谷を走ってゆく。







ほとんど手付かずの大自然に感嘆させられる(ペットボトルのゴミは残念だったが)。いろんな鳥がボートに添うように追い越していく姿はあまりに優雅であった。

ボートが速度を落とし砂洲に近寄る。回りの客がシャッターを押し始める。なんで丸太なんかを・・と思ったらびっくり!クロコダイルだった!3箇所に全7匹。川の中にいるやつもいて、そいつがすぐ隣まで来てガブッと飛びついてこないかとちょっとヒヤヒヤもんだった。




【すぐ下にもワニ!】





楽しすぎる1時間半はあっという間に終わり次はChiapa de Corzoという町へ。1時間半も自由時間を渡されたが、ちょっとしたお店が公園を囲んでるだけのツマンナイ町でアイスとポテチ食べて時間を費やしただけであった。



午後2時半サンクリストバルに戻ってきて明日のパレンケ行きバスチケット購入。

夕方フランシス夫妻とコーヒーを飲みに行きお互い旅好き同士お喋りに花が咲く。5年後子供が独立したら2人で世界旅行に行きたい、ここと、あそこと・・あ、あそこもいいな・・と楽しそうに語る姿はいくつ歳をとっても皆同じ。いつの日かそんな彼らの場所を訪ねてみたいと思った。オーロラを見に。なんか実現しそうな気がする。



さ、寒いのも今日まで。明日から夏の地へ。


サン・クリストバル・デ・ラス・カサスでマヤの末裔達を見る

2010年11月07日 | 中米日記
07Nov2010 San Cristbal de Las Casas

朝6時過ぎ、11時間かけてサンクリストバルに到着。バス降りた瞬間びっくりした。さ、サブイ・・。体の震えが止まらないほどめちゃくちゃ寒い。コーヒーで温める。


【サン・クリストバルのバスターミナル】

昨日バスバスターミナルの荷物チェックインのところで話しかけた縁でカナダ・アラスカ国境に住むオーストリア人のフランシス(61歳)とフィリピン人の奥さんフェリーさん(59歳)の泊まるホテルに歩いて一緒に行く。朝7時ということで部屋はまだなく荷物を預けて4人で散歩。すごい寒いのにフランシスおじさんはさすがアラスカ仕込み、Tシャツ、短パンの装いで超陽気。スペイン語もぺらぺらで心強い。奥さんは3歩下がって黙って後ろをついていくという一昔前の日本妻スタイル。でもすごく仲良くて微笑ましい。


【美しい町並み】




【フランシスとフェリー】

4人でミニバスに乗り10キロ離れたところにあるサンファン・チャムラ村へ。ここはあきらかに格好の違う原住民の村でフランシスおじいさんも全然言葉がわからん、と笑っていた。何しろ祈祷で病気を直す風習を未だ持つ人々だから写真を撮ると魂を抜かれる、と思ってる人々も多いのか観光客が向けるカメラに手を振って怒ってた人もいた。


【何年この風景が繰り返されてるのだろうか・・】

ここは好かん、と大自然をこよなく愛するフランシスおじさんが言い出したのでとっとと退散。でも今日日曜は市がたっていて果物、野菜、衣類等々がカラフルに飾られ今までの町とは全く違う昔日のマヤの風景に見入ってしまったのであった。。



タコスとケサディージャお昼ごはんとし午後1時過ぎ宿に戻ってきて5時半頃まで昼寝。とにかく寒いので盛ってる服の中で一番暖かいと思われる格好で夜の散歩。そんな寒い夜でもジモッチー達は広場に売り物を並べてこない客を待っていた。なんだか匂いというか、空気がカトマンズを、寒さは服持ってないのに雪が落ちてきそうなほどやばかったレバノンを思い出させた。



明日、特にやることがないので半日ツアーを申し込んだ後、レストランでまたまたタコス、ケサディージャを食べ宿で熱くないシャワーを浴びたもののそれでも寒いので毛布2枚借りてくる。


【オアハカと違ってちょっとこっちのチーズはちょっと匂いがきつい】



スキップしてもいいかな・・と思ってたサン・クリストバル。ここもサイコーに素晴らしい。来て良かった。

これがアメリカ大陸最大の木!!

2010年11月06日 | 中米日記
06Nov2010 夜行バス

チェックアウトし10時過ぎツアーのピックアップ。

最初に訪れた場所はアメリカ大陸最大の木、トゥーレの木がある村。杉の一種で樹齢2000年以上、高さ42m、幹回り60m、総重量600トンの木がドドーンとお出迎え。



巨大な生命のエネルギーにあふれたその木を見てマジ感動した。2000年も生きてんだよ。。こちとら70年ばっかで力尽きるというのに。偉大だ・・。


【この幹!】

ツアーじゃなかったら2,3時間は眺めていたいところだった。15分でバスに乗り込まされる。

次はテオティトラン・デル・バジェ。ここは羊毛を紡いで色を染め、織ってカーペットや毛布を作っている伝統的な村。赤い色はサボテンにつく小さな蛆虫をつぶすとでる色素、オレンジはローズマリーから染めてるそうな。








【メキシコにもトゥクトゥクが】

近くの酒の醸造所で試飲を楽しんだ(楽しんだのは他のツアー客で私ではない)後、本日のメインイベントであるミトラへ。緻密なモザイクで美しい装飾の遺跡。サポテコ人の祭祀センターとしていけにえの儀式なども行われたそうな。





この日スペイン語を理解しない客は私達2人だけであったためガイドさんが英語の説明をしている間逃げられなくて困った。いつもなら説明なんか聞かずにあっちいったりこっちいったりなんだけど。



3時過ぎの遅い昼食はブッフェ形式のレストラン(別料金で高い!)。ずっと食べたいと思っていたボジョエンモーレはいまいちであった(でも他はとてもおいしかった)。

5時宿に戻りツアー終了。預けてた荷物を取り、2キロほど歩いて1等バスターミナルまで。


【さらば、オアハカ】

午後7時バス発車。406ペソのバスは足を乗せるところもないのり心地今ひとつなバス。窓側のどこからか流れてくる冷たい風にうんざり。あと200ペソ追加してデラックスバス乗ればよかった。。

世界遺産「オアハカ歴史地区&モンテアルバン遺跡」

2010年11月05日 | 中米日記
05Nov2010 Oaxaca

10時半のバスに乗り20分後モンテアルバン到着。紀元前500年頃からサポテコ人により建設が始まった中央アメリカ最古の遺跡。ここも学生証で無料!

山頂を平坦にして作られた遺跡からはオアハカの町が一望できた。



2時間かけてゆっくり一周。既にティオティワカンで遺跡ボケか、何か特別なものを感じることはなかった。。これからも遺跡めぐりがあるのにもう飽きちゃって大丈夫か??







1時半オアハカに戻りバーガーキングでお昼食べた後オアハカ文化博物館に入る。建物内はやたら広く迷路のようで迷う。モンテアルバンから発掘されたヒスイを貼り付けられた頭蓋骨がなかなか見つからなかった。。


【あった!】


【町は未だ至るところに骸骨】

次は隣のサントドミンゴ教会。外観だけでなく内部の装飾が美しい。



今日はなんとなく頭が重かったので夕方宿に戻ってお昼寝。

夜はサントドミンゴのライトアップを見て屋台でオアハカ風ピザ?を食べて帰ってきた。





昨日着いた時はなんかシケタ町だな~と思ったオアハカ。歩いてみると時間がゆっくり流れる居心地のいいところ。

ありがとうジョンソン、さよならトルーカ、こんにちわオアハカ

2010年11月04日 | 中米日記
04Nov2010 Oaxaca

朝6時15分起床。


【部屋からのこの見慣れた景色ともさらば】

シャワーを浴びタクシーを呼んでもらう。7時半ジョンソンとサヨナラしバスターミナルへ。もう2度とトルーカに来ることはさすがにないだろうな・・とすっかり馴染んだ車窓からの景色を眺めてるとちょっと寂しくなった。さ、これから4ヶ月半いきあたりばったりの旅が再開。。

8時ちょっと高い高級バスETNでWIFIしながらメキシコシティーに9時到着。バスから降りるとびっくりするぐらい寒かった。メトロで東バスターミナルへ行き10時半発のAUでオアハカに向かった。

バスからの景色はこれぞメキシコ!。青い空、白い雲、雪をかぶった山、雨後のたけのこのように生えまくってるサボテン、サボテン、またサボテン。








5時過ぎオアハカ到着。ちょっと活気のないオアハカの街を宿を探しながら歩く。安い宿は沢山あるが今ひとつ古臭くてレベルが低い。4軒目でいいのに当たりチェックイン。2泊することにした。



オアハカといえばチーズ(イメージとしては味も見かけも日本の裂けるチーズが近い)。トルーカでもジョンソンに紹介されて以来おいしくてよく食ってた。せっかくオアハカ来たんだからとレストランではオアハカチーズ三昧。うまい。明日も食おう。


トルーカ最後の夜

2010年11月03日 | 中米日記
03Nov2010 Toluca

昼前、洗濯物出してVIPSで4時過ぎまでいつものカプチーノフラッペ飲みながらWIFI。気分的にはもう1日ここトルーカでゆっくりしたかったのだが、14日にはカンクンに着かなくてはいけないのでやはり明日出発することにした。今日まで行ってなかったコスモ・ビトラル植物園を散歩して帰ってきた。


【植物よりもステンドグラスの方が美しい植物園・・】

久々にバックパックに荷物を詰める。どうにかならんかな、地球の歩き方6冊の重さ。前からずっと思ってたけど歩き方の本、重い。昔紙の質が悪かった頃はこんなに重くなかった。荷物を切り詰めることに四苦八苦しているバックパッカーにこんな重いガイドブック持たせるって本末転倒じゃないの・・。

トルーカ最後の晩御飯は相棒が最高のパスタ・ボロネーゼで大変お世話になったジョンソンにお礼。


【激ウマでおかわり!】

隣の家族にもサヨナラのご挨拶。



そういえばパティさんも今日のお昼一緒にと誘ってくれた。皆、皆いい人たちばかり。まだ嫌なメキシコ人に会ってない。(ちなみにメキシコ人に挨拶して無視されたことは一度も無い。これってマジですごいことだ!礼の国ニッポンなんて鼻で笑われちまうよ)

今夜は夜遅くまでジョンソンとお喋りしてトルーカ生活終了。20泊もほんとお世話になりました。ぐらしゃす。

2週間ぶりのトルーカ

2010年11月02日 | 中米日記
02Nov2010 (Dia de Muetros) Toluca


【泊まってた宿にも骸骨】

5時過ぎ、冷えた体をふとんに入れた瞬間眠りに落ちる。11時起床、12時ジョンソンの宿に行き目の前のバスコ・デ・コロガ広場の土産物屋を一周。




【日本に持って帰りたい・・】



昨日食ったタコス屋でお昼ご飯食べて3時発のバスでトルーカ午後6時半到着。スーパーで今夜のチャーハンの材料仕入れて帰ってきた。



2週間ぶりのトルーカのアパートはやっぱり落ち着く。明後日からはあの重いバックパック背負って長い旅に出ると思うとうんざりだ。もうちょっと荷物削れば30Lのバッグでいけたな。。もう18年の付き合いのバックパックだから最後まで一緒に旅するとするか。でも持ってきた英語の参考書は捨てていこう。どうせ勉強しないんだから。


亡くなった人と会える日・・Dia de Muertos Life is GOOD

2010年11月01日 | 中米日記
01Nov2010 Patzcuaro

昨日からか、今日からかは分かんないけどサマータイム終了。1時間時計を戻す。

昼バスコ・デ・コロガ広場を散歩。今夜は眠れないと思い昼には宿に戻ってお昼寝。午後2時過ぎから久々の強いスコール。もうすっかり乾季に入っていると思っていたので意外な雨。さっきまでいつもの快晴だったのに。

午後3時過ぎトルーカからバスを乗り継いでジョンソン登場。早速メキシコのお盆、死者の日Dia de Muertosを見にハニッツィオ島へ。この行事を見るために5泊も余計に使うことになったのだ。島へはパクツアロ湖をボートで20分。


【これがハニッツィオ島だ!】

島はまるで要塞のようで頂上からはでかいモローレスの像が下界を見下ろす、まるで映画のセットのような島。とりあえず頂上に上がる。今日に限って雲多く湖が一望とはいかず太陽が沈むと一気に気温も下がってきた。



一体ここでこれから何が起こるのかわからないまま来て8時くらいまで何かが起こるのを待ってみたけれど「老人の踊り」くらいしか演じられずどうしようかと思っていたところでスペイン人が話しかけてきたのでこの島で何が起こるのか聞いてみたら夜中12時から皆墓場へ降りていくとのこと。あと5時間近くもこんなところで震えているわけにもいかないので急遽ツィンツンツァンへいくことに。ボートから見た夜のハニッツィオは海に浮かぶ巨大なイルミネーション。



異様な感じで浮かび上がる。これが見れただけでここに来てよかったと思った。雨が空気中の埃を落としたからか、星がきれいに見えた。

午後10時前ツィンツンツァン近くのラカヤカタス遺跡のピラミッドへ。



行ってはみたものの勝手に期待していたイベントのようなものは無く大音量のボリュームでダンスしてただけ。あれ、こんなはずじゃ。。

この時間いくといいと昨日マリアさんに聞いていたのだが今考えるとピラミッドではなくツィンツンツァンの村に行けということだったのかと思われる。何故ならそこの墓地では数え切れないキャンドルが灯されそれはそれはスゴイことになっていたから。







この地は火葬しないのでそのままの姿で墓の下に葬られる。体はここにあるのであとは魂が天から戻ってきて・・という話(だと思う)。墓の周りはオレンジ色の花で一面飾られ、死に別れたおばあさんがおじいさんの帰りを墓の隣で待っているというとてもロマンチックでなんかすごく温かいいい夜(周りで写真撮りまくってる観光客がほんとウザイと思うけど)。午後11時50分コレクティーボでツィンツンツァンを後にする。





午前1時ハニッツィオ島再上陸。



真夜中にもかかわらず観光客の数は明らかに増えていた。



さて墓場へ。ここの墓場はツィンツンツァンと比べるとすごく小さい。足の踏み場も無いところに大勢の観光客が押し寄せているものだから遺族の人たちも亡くなった人とゆっくり朝まで語るどころじゃない。墓の上を土足で歩かれ、カメラのフラッシュ、バシバシ。ごめんね、ごめんね、来ちゃってごめんね、と唱えながら歩かせてもらった。1年に1回、この夜だけは亡くなった人に会える夜。すごくいいもの見せてもらった。


【陽が沈む前】


【沈んだ後】


【誰と語らってるのか・・】



真夜中3時ボートに乗り込む。この調子だと4時には宿で眠れるな、と思った。この島とパツクアロを結ぶボート、普通は午後6時が最終らしくこの夜だけ24時間運行らしい。つまり普段夜の運転をしたことがない、ということである。



で、何が起こったかというと湖面から上がってくる深い霧で行き先を見失い立ち往生。。20分のところ75分もかかり到着したのは4時15分であった。ここが海じゃなくてよかった。ここに人食いワニとかピラニアとかいるところじゃなくてよかった。こんなことが起こってても乗客はそれを楽しむように騒いでいた。俺も楽しかった。震える程寒かったこと以外は。。

朝5時宿に戻ってくる。記憶に残るいい夜。4日待った甲斐があった。

Life is GOOD!