いきなり、何を言っているのか訳がわからない人も多いでしょう。この記事は、特に改憲派の方々に読んでいただきたいものです。また、この記事は、護憲論を展開するものでもありません。
今の改憲論は危険だということを述べさせていただきます。しかし、緊急事態条項や国民の基本的権利を主な問題点として取り上げるわけではありません。
ただ、改憲論や護憲論を批判するだけではつまらないので、せっかくなので成立過程史も見ていきましょう。その上で、日本国憲法の正体と「〇〇論」の必要性について明らかにします。
この記事の終盤の内容は、成立過程史を根拠としているので、そこだけ見ても意味不明ということだけは言っておきます。
●憲法とは何か
まず、憲法の土台となる国家についてです。
当たり前ですが、国家には、決まった範囲の領土(りょうど)があって、その周りに領海(りょうかい)を持ち、それらの上に領空(りょうくう)を持ちます。これが国家の領域(りょういき)です。
領域の中にはそこで生活する人々がいて、この人々が国家を運営する主体となります。これが国民(こくみん)です。
国家が、領域や国民を支配する権利を、統治権(とうちけん)といい、これが対外的に独立(どくりつ)し、どの国の干渉も受けないようになると、国家主権(しゅけん)となり、主権を持つ主権国家(独立国)となります。
この主権、領域、国民が国家の三要素(こっかのさんようそ)です。領域や国民がなければ、国家が成立しないのは分かるでしょう。では、主権はどうでしょうか。
主権を持たない国家は、どこかの国に属するか、他国の影響を強く受ける傀儡国家(かいらいこっか)になるしか、選択肢がありません。このような場合、当然、現地の国民の意思や利益が尊重されるわけがなく、現代の国家は、この主権を持ち、かつ独立し、主権と独立を守ることが重要なのです。
このような現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられています。
このような役割を担うのが、国会や、内閣、裁判所などの国の機関です。例えば、防衛省や自衛隊は、このうちの防衛を担っています。警察は国内の秩序の維持を担っています。裁判所は、国内の秩序の維持と国民の自由と権利を守る役割を担っています。
国家は、これらの役割を限られた時間で果たすために、できるかぎり合意に努めます。これが政治です。ただし、限られた時間で対立を解消しきれず、合意に達しない場合は、権力による強制も避けられません。この権力が、政治権力です。
政治権力は、一見すると、国家による一方的な強制力のようにも見えますが、実は国民がその政治権力を承認しているから成立しているのです。国民の承認がない政治権力は、歴史上いくつか存在してきましたが、例外なく、その国家は消滅しています。国民の承認がなければ、政治権力を維持することは不可能なのです。
この政治権力に国民の承認を与え、その濫用を防ぎ、かつ、国家の役割を果たすために使えるように導くのが憲法(けんぽう)の役割です。
その中では、各国の歴史に根付いた役割(例えば、教育国では公共事業云々以前に教育自体が国家の役割となり得るし、外国人が多ければ異文化の調整も役割となり得る。)も尊重する必要があります。
憲法は、政治権力を行使する基準であり、その国の国柄を決定付けるものなのです。
●GHQの指示とGHQ草案の提示
ご存知の方も多いと思いますが、日本国憲法は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」という文にある通り、大日本帝国憲法を改める形で成立しました。
1945年10月、第二次世界大戦後に日本を占領していたGHQは、日本が受諾したポツダム宣言にある「民主主義的傾向の復活・強化」のために必要だとして当時の幣原喜重郎内閣に大日本帝国憲法を改めるよう指示しました。
しかし、ポツダム宣言第10項には「日本国政府は、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立せらるべし」と書かれています。ここには憲法を改めるよう要求する文言はありません。
それゆえ、憲法学者の美濃部達吉氏と佐々木惣一氏は、大正デモクラシーの復活・強化の十分であるとして憲法を改めることに強く反対しました。その後、松本氏らが中心となって日本政府案(松本試案)が作られ、GHQに承諾を求めます。GHQは天皇の統治権が維持されているなど、アメリカの立場から見て、憲法を改めるのが不十分だとして拒否しました。
しかし、松本試案は名目上は天皇の統治権を維持しつつも、国民の完全な参政権を保障し、議院内閣制を念頭に置いた国民主権の憲法でした。議会の権限は大幅に強化され、国民の自由や権利も十分に保障されました。裁判官の裁判を受ける権利も、引き続き法律によっても制限されない権利としました。
それなのに、GHQは拒否したのです。しかも、まるで最初から押し付けるつもりだったような速さでGHQ草案を受け入れるよう厳しく迫りました。そのさい、GHQは首相官邸周辺にB29爆撃機を飛ばし、「原子力」という言葉を使って日本側を脅迫しました。また、GHQは自らの草案を受け入れなければ「天皇の身体を保障できない」と脅迫したとされます。
●国民への事前検閲―国民に自由意思はなかった―
GHQは1945年9月からプレスコードを出し、新聞から手紙まであらゆる出版物を厳しく事前検閲しました。GHQに対する批判は一切認められず、GHQによる事前検閲の存在に触れること自体が禁止されました。
特にプレスコードの第3項に規定される「GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判」はかたく禁じられました。「成立での役割の批判」とありますが、実際には言及そのものが禁止されたといわれます。実際、当時の新聞などで、日本国憲法に関するGHQの重大な関与を書いたものは存在しませんでした。
GHQで、日本人検閲官として働いた甲斐 弦氏は「GHQ検閲官」という自著で次のように書いています。
読んだ手紙の八割から九割までが悲惨極まりないものであった。憲法への反響には特に注意せよ、と指示されていたのだが、私の読んだ限りでは、新憲法万歳と記した手紙などお目にかかった記憶はないし、 日記にも全く記載はない。繰り返して言うが、どうして生き延びるかが当時は皆の最大の関心事であった。憲法改正だなんて、当時の一般庶民には別世界の出来事だったのである。……戦争の悲惨をこの身で味わい、多くの肉親や友人を失った私など、平和を念じる点においては誰にも負けないと思うのだけれども、あの憲法が当時の国民の総意によって、自由意思によって、成立したなどというのはやはり詭弁だと断ぜずにはおれない。はっきり言ってアメリカの押しつけ憲法である。……戦時中は国賊のように言われ、右翼の銃弾まで受けた美濃部達吉博士が、『これでは独立国とは言えぬ』と新憲法に最後まで反対したこと、枢密院議長の清水澄博士が責めを負って入水自殺を遂げたこと、衆議院での採決に当たって反対票を投じたのは野坂参三を始めとする共産党員であったことなど、今の多くの政治家(いや、政治屋か)や文化人たちは果して知っているのだろうか
●統制された帝国議会の審議―議会に自由意思はなかった―
日本政府がGHQ草案を受け入れた後、衆議院議員総選挙が行われました。しかし、1946年1月からの公職追放令の影響で、この選挙のときは現職議員の83%が公職追放により立候補できませんでした。新たに立候補しようとして内務省に資格があるか確認を依頼した者のうち、93名が追放されました。
5月から7月にかけて、議会審議中にも貴族院を含めおよそ200人の議員が追放されていしまいました。それでも、この総選挙ではさまざまな事柄が争点となり、特に食料問題をどう解決するかが争点となりました。しかし、憲法を改めることについてはほとんど争点になりませんでした。
こうした選挙を経て6月から10月にかけて帝国議会ではGHQ草案をほぼ無修正で日本語訳したものが政府提案として審議されました。しかし、議会審議では、細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声をあげることができず、ほとんど無修正で採択されました。
こうした中で数少ない修正が主に衆議院憲法改正特別委員会小委員会の審議で行われました。しかし、数少ない修正のほとんどはGHQからの指示によるものでした。例えば、当初、政府案の前文は「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」と記していました。
これはGHQ草案の段階で「茲ニ人民ノ意思ノ主權ヲ宣言シ」としていたものを、日本政府が国民主権の原則を変えないという条件の下、主権の権威を強める形で修正したものでした。それは、第1条で「主権の存する日本国民」としていたことからも明らかでした(ただし、ミスで抜けていたため議会審議中に修正された)。
小委員会もこの案をそのまま承認するつもりでしたが、国民主権を明記せよというGHQの指示があり「ここに主権が国民に存することを宣言し」と修正されました。小委員会の審議は秘密会として開かれ、新聞記者の入場も一般議員の傍聴も認められない密室の審議でした。この議事録は1995年まで秘密にされました。
さらに、日本側が出した修正点については全てGHQの許可と承認が必要でした。例えば、先ほどの衆議院憲法改正特別委員会小委員会でGHQの許可を経て芦田修正が発議されました。そして、小委員会で芦田修正自体が一部修正されて採択されても、GHQはその承認を保留していました。
その後、貴族院憲法改正特別委員会小委員会の審議で極東委員会はGHQを通して「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という文民条項の追加を指示し、その通りに修正することで初めて芦田修正を承認されました。
この貴族院憲法改正特別委員会小委員会も、衆議院の小委員会と同じく秘密会として開かれる密室の審議でした。この議事録は1996年まで秘密にされました。
ところで、衆議院本会議の審議で日本共産党はGHQの意向に明確に反対して、日本国憲法に強く反対しました。野坂参三氏は日本共産党を代表して、完全な民主主義ではない、財産権を擁護し、労働者の権利の保障が不徹底である、我が民族の独立を保障しない、参議院はその性質が明らかにされておらず、天皇の特権になる可能性があるという点から反対しました。
我が民族の独立を保障しないという点で野坂参三氏は次のように述べました(原文は旧字体、「更に」などは直している)。
「さらに当草案(日本国憲法)は戦争一般の放棄を規定しております。これに対して共産党は他国との戦争の放棄のみを規定することを要求しました。さらに他国間の戦争に絶対に参加しないことを明記することも要求しましたが、これらの要求は否定されました。この問題は我が国と民族の将来にとって極めて重要な問題であります。ことに現在のごとき国際的不安定の状態の下において特に重要である、芦田委員長及びその他の委員は、日本が国際平和のために積極的に寄与することを要望されましたが、もちろんこれはよいことであります。
しかし、現在の日本にとって、これは一個の空文にすぎない。政治的に経済的にほとんど無力に近い日本が、国際平和のために何が一体できようか。このような日本を世界のどこの国が相手にするであろうか。我々はこのような平和主義の空文をろうする(「もてあそぶ」という意味)代わりに(「のではなく」という意味)、今日の日本にとってふさわしい、また実質的な態度をとるべきであると考えるのであります。それはどういうことかと言えば、いかなる国際紛争にも日本は絶対に参加しないという立場を堅持することである。
これについては自由党の北君も本会議のへきとう(劈頭。最初のこと。)において申されました。中立を絶対に守るということ、すなわち我が政府は一国に偏して(「かたよって」という意味)他国を拝する(「おがむ」という意味)というがごとき態度をとらず、全ての善隣国と平等に親善関係を結ぶということであります。もし政府が誤って一方の国に偏する(「かたよる」という意味)ならば、これはすなわち日本を国際紛争の中に巻き込むこととなり、結局は日本の独立を失うこととなるに違いないのであります。
我々は、我が民族の独立をあくまで維持しなければならない。日本共産党は一切を犠牲にして、我が民族の独立と繁栄のために奮闘(ふんとう)する決意をもっているのであります。要するに当憲法第二章(日本国憲法第9条)は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それゆえに我が党は民族独立のために、この憲法に反対しなければならない。」
傍線部のように「反対する」ではなく「反対しなければならない」とまで述べたのは、ここだけでした。しかし、GHQはこのような日本共産党の反対を絶対に公表しないよう、新聞会社などに厳しく迫りました。
日本共産党の厳しい反対の中、無所属議員1名の反対と合わせて反対8票、賛成421票で採択されました。GHQは反対票が投じられた事実を隠すため、議会審議の採決について「可決」したなど述べる場合を除き、一切触れないよう新聞会社などに厳しく迫りました。
その後、新たな憲法は『日本国憲法』として公布・施行されています。
繰り返しになりますが、ポツダム宣言は大日本帝国憲法を改めるよう要求していません。
独立国の憲法はその国の政府や議会、国民の自由意思によって作られます。したがって、外国に占領されているような時期にはつくるべきものではありません。それゆえ、占領軍がその国の憲法までを変えてしまうことは戦時国際慣習法で禁止されています。
また、戦時国際法の一つであるハーグ陸戦条約は占領軍は被占領地の現行法規を尊重すべきとしています。同じ考えから、フランスは1958年制定の憲法第89条第5項で「領土が侵されている場合、改正手続きに着手し、またはこれを追求することはできない」と規定しています。
日本政府はハーグ陸戦条約の規定は「交戦中のもので、終戦後に成立した日本国憲法は関係無い」と主張しています。しかし、サンフランシスコ講和条約には日本と連合国の戦争状態を終わらせるとの文言があり、日本国憲法制定当時の日本は法的には「交戦中」でした。
さらに、日本と同じく占領下のドイツは憲法を作らず、基本法としてつくることが認められ、議会審議もほとんど干渉なく行われました。対して日本は議会審議までGHQに完全統制されました。日本はドイツと比べて明らかに差別されていたのです。
こうしてできたボン基本法は「ドイツ国民が自由な決定によって決議する憲法が施行される日に、その効力を失う。」と規定しました。
●日本国憲法◯◯論―法的安定性問題の解決策はある―
それゆえ、成立過程からして日本国憲法は無効であり、新たな憲法は大日本帝国憲法の改正によって作るべきだとの議論が根強く存在します(日本国憲法無効論)。さて、「〇〇」の答えは「無効」でした。
日本国憲法が無効になれば、日本国憲法下に存在する現在の法律や裁判所の判決はどうなるんだと思う方もいるかも知れません。しかし、この法的安定性問題の解決策はあります。
その一つが推定有効という考え方です。これは日本国憲法は法的には無効だけれども、一旦、形式的には有効なものとして成立し、法律の制定や裁判所の判決を行う者の頭の中で「有効」だということになっている以上は、法律の制定や裁判所の判決は日本国憲法以外の別の法を犯していない限り、有効だというものです。
当たり前ですが、故意に法を犯して行った行為は無効(犯罪)です。日本国憲法も故意に法を犯しているので無効(犯罪)です。しかし、日本国憲法に基づき法律を制定し、判決を出す人は「日本国憲法は法的に有効だ」という嘘を信じ込まされているわけです。
そのため、これは故意ではなく過失によるものだといえます。過失というよりは詐欺により強制された行為です。それは法を犯して行った行為ではありますが、無効(犯罪)とまでは言えないわけです。
だから、法律の制定や裁判所の判決は、無効な日本国憲法を除く別の法(ルール)を故意に犯していない限り、有効なのです。
これが推定有効という考え方です。それは結局、日本国憲法が有効のようにも見えるので、「推定有効」とか「有効と推定されている」とか言われます。しかし、別に日本国憲法が有効になったわけではなく、そんな風にも見えるだけです。
大事なのは、法律の制定や裁判所の判決を行う者は「日本国憲法は法的に有効だ」という嘘を信じ込まされていて、故意に法を犯しているわけではないから、法律の制定や裁判所の判決までが無効(犯罪)だとは言えないというこです。
●まとめ
①憲法とは、国家の第1の役割である防衛、第2の役割である公共秩序の維持、第3の役割である公共事業への投資、第4の役割である国民の自由と権利の保障を果たすために行われる政治における権力の使い方を、その国の歴史や文化も考慮しながら正しく導くものである。
②日本政府はGHQの示した案をもとに、日本国憲法の原案を作成した。
③当時、GHQは国民に対して厳しい事前検閲を行い、国民の知る権利を奪った。特に「GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判」はかたく禁じられた。それゆえ、当時、国民は憲法問題に関して自由意思がなかった。
④議会審議では、細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声をあげることができず、ほとんど無修正で採択された。それゆえ、議員には自由意思はなかった。しかし、ポツダム宣言やバーンズ回答は日本側の自由意思を求めている。また、戦時国際法や戦時国際慣習法は占領軍がその国の憲法までを変えることを禁止している。フランス憲法には占領中の憲法改正を禁止する規定があり、日本と同じく占領されたドイツのボン基本法はドイツ人の自由意思による憲法ができた日に失効すると規定した。
⑤それゆえ、成立過程からして日本国憲法は無効であり、新たな憲法は大日本帝国憲法を改正して作るべきだという議論が根強く存在する(日本国憲法無効論)。ただし、日本国憲法は故意に法を犯しているので無効であるが、それに基づくとしていても、日本国憲法は法的に有効だと騙されている者の行為までは故意に法を犯しているとは言えず、無効(犯罪)とは言えない。