明日で2年になります
私の居る下越地方はそれほどでもなかったのですが
それでもあの時の揺れやその後の事など今でもはっきり覚えています
息子が東京方面に出張中でした
帰りの新幹線も駄目、関越道も駄目、磐越も高速もJRも駄目
どうしようとメールでやり取りしていたのですがそれも途中から出来なくなりました
結局、こちらに帰ってくる人々と一緒に(見知らぬ人達でしたが)バスやJRを乗り継いで帰ってきました
帰ってきた時はホッとした事を覚えています
関東地方にいる兄弟達は情報があまり入らないのでかなり心配したようでした
地震に慣れていない私は伝言板を使用することさえ思いつかなかったのです
後でこちらから無事の電話を入れればよかったと反省しました
中越地方の復旧は少しづつ進んでいるようですが
いろいろな問題もありかなり大変そうです
何も出来ないけどこんなサイトを見つけました
クリックするだけで募金が出来るというものです
こんな事しか出来ないけど・・・・・・
名古屋からの方が電話が繋がりやすいので、関西の親戚には名古屋から電話を掛けまくりました。
東海・・・これから起こると言うので怖いです。
私は、あの時、特に知り合いもなく、あまり記憶がありません。
意外と静岡はここ数年大きな地震がないからね。
このままずっと地震が来ないといいな♪
今朝も、奇跡的に助かった当時2歳の坊やがあの日の記憶を心に残しながらも成長した姿を新聞で見て 涙が出そうになりました。
いつどこで どんなことに遭遇してしまうかわからない人生、悔いなく生きたいなぁ、と思います。
復興は大分進んでいるとはいえ、まだふるさとに帰れず、仮設住宅に住んでいらっしゃる方も多いみたいですね。
そしてあの優太ちゃんの姿、未来の夢は宇宙飛行士になることだとか。空の上のお母さんとオ姉ちゃんを迎えに行くんだそうです。
久しぶりに姿を見ましたが、本当に随分大きくなっていました。お母さんやお姉ちゃんの分までしっかり生きているんですね。
それだけでもほっとします。
地震国日本、いつ我が身かわかりませんね。できるだけの心構えはしておかなくてはいけませんね。
もう関越道路を走っていても最近まであった傾いた道路標識も片付けられてしまい、あの場所に地震があった面影はすっかりなくなりましたね。
一時は磐越道周りで帰省をしたこともありました。
また、帰省中に余震に会い、冷蔵庫がガタガタ言いながら自分の方へ向かって来た経験もしました。
まだ2年しか経っていないのに、もう昔の話みたいな感じがします。
私も高校生の時 十勝沖地震に遭遇しました。
今思い出しても怖いですねぇ~1週間も余震が続き、何度も停電になり 電気屋だった私の父は、不眠不休の状態でしたよ・・・
震災に遭われた人たちに今でも早い復興とお悔やみ申し上げます。
和歌山に妹がいますので心配です
でも富士山が・・・・・という説もありますよね
とにかく、何事も無いのが一番ですよね
悔いの無いよう生きたいと思いますが・・・・
後悔の毎日です
宇宙飛行士の夢とともにレスキュウにもなりたいのだそうです
自分が助けられたように今度は自分が助けたいと。
いろんな事を考えているのですね
関越道も走りにくかったと聞いています
新潟地震のときはまだこちらにおられたのですか?あの時の揺れも今も記憶に残っています
十勝沖も大変な被害があったようですね
喉もと過ぎればなんとやらでですが
もう一度気を引き締めなければいけませんね
ご存知ないようなので恐縮ながら書かせていただきますが、募金パークは様々な問題を抱えているサイトです。
善意から始まったサイトかもしれませんが、一般人から集めた協力金を一部だけ入金し、残りは放置≒着服している疑惑があります。
(2005/02/17以降、振込みの報告がありません。詳しくは「募金パーク」で検索していただければ問題提起サイトが見つかると思います。)
少しでもこの問題の重要性に気づいていただければ幸いです。