子供のころ、私はたいそう本を読むのが好きな子だった。小学校の休み時間のそのほとんどを図書館で過ごしたと言う記憶がある。読んだ本は伝記に推理小説が多かったけど、その中でも好んで読んで、そして記憶に残っているのがシャーロックホームズ、そして、好きな本はと聞かれたら十五少年漂流記と答えていた。
子供心に、とても感動し強く記憶に残ったお話であったのだろう。
その後、大人になって藤沢周平先生の作品に没頭するようになるまでは、好きな本はの質問には常にこのタイトルを答えた。
15人の少年が無人島に漂流して助け合って2年を過ごす、という話。
子供と、本の話になって私がこの本のことを話すと、「蠅の王」読んだことある?と聞かれた。
知ってみると、同じような題材で書かれた本ではあっても後者は、子供たちが殺しあう話だと言うではないか。
十五少年漂流記は?と聞くと、知らないと言うのだ。
蠅の王は中学校の時に、学校で課題図書として読ませられるらしい。
暗黒版十五少年漂流記ともいわれる本を読ませても、本家の十五少年漂流記は読ませていない。
うーん、どうなんだろう。
人間の心の悪を喜ぶ部分を喜ばせる、そんな本を読ませて、その後どのように先生方がフォローしているのか、わからないけれど、敏感な中学生という年ごろの子供たちに、わざわざ、この本を読ませる意図がわからない。面白いよというのだけれど、何がどう、おもしろいのだろうか……。
非行に走る少年が、猫を殺し、鳥を殺し、相手を傷つけることに刺激を感じ、人を傷つけ、殺したりすることになると言う事が脳裏をよぎる。必要悪で教えるのか……。わからない。
これ一つを取って、アメリカの教育が社会主義、リベラルだと言いたくはないけれど、この本を興味深く読み、刺激を受ける子供たちがいることを考えると、背筋が寒い。
テレビにコンピューターにゲームに、刺激を受けすぎるくらい受けて育つ今の子供や若者たちに、勇気だ、友情だ、愛だ、犠牲だ、と言ってもただの奇麗ごとで済まされそうな気がする。人間って結局は醜いみたいな。
そんな今の子供たちに、刺激を与えながら興味を引きつけ、その奥にある、人間の美しさを教える、それが日本のアニメなのではないかと思う。アメリカの、世界の子供だけではなく若者までもが魅了される日本のアニメ、鬼滅の刃に進撃の巨人。血が飛び散り、人が食われ、刺激という面ではどちらも申し分ない。でも刺激だけで終わらない。人間愛がある。血みどろの刺激という殻に包まれた人間愛、それが日本のアニメかなと、ちょっと思った。だから、惹かれるんだ。人間は素晴らしいと思いたい人の本心がある。
今の世の中に生きる若者たちに、日本のアニメが伝えることのできるものがあるような気がする。
子供が目にする話は、やはりハッピーエンドであってほしいと思うし、そうあるべきだと思う。
昔、ガンバの冒険で友情や愛や希望を教わった私たちと同じように、今の子供たちは、鬼滅や進撃、古くはナルトやポケモンの中から、愛や友情や家族の大切さ、希望や勇気を教わっているのだとみる。
何をいい子ぶってるの、とか、そんな友情あるわけない、とか、今はそんなの受けないよ、とか言いながらも、それを見る子供たちの心の中の本心が喜んでいるのだと私は信じたい。