今晩はオスカーの発表があるらしい。
あるらしいという程度の気持ちでしかない。
見ないと!とまでは思わなくなった。なぜか?
WOKEなオスカーの選考であることが取りざたされるようになり、ME TOO運動の年は女性陣が連なって黒い服を着て、変な事をしたり言ったりした俳優たちが、その才能が認められることなくキャンセルされていくようになって、白人ばかりが選ばれたとリベラルメディアが、批判的に書いたり、黒人白人有色人種を上手に混ぜて選考し、選ぶ様子があからさまで、演技や才能を重視するよりも、まさしくも、政治的な色合いが強い賞であることが露呈しだし、オスカーの価値に疑問が持たれ始め、私自身の関心も薄れていったようだ。
そうか、わかった、韓国映画寄生虫が作品賞を取って以来、見てないんだ…。
このところ、シャーロックホームズ以来、ファンになってるカンバーバッチ主演作を続けて鑑賞する機会がありました。その一つがオスカーにノミネートされていることも、このブログを書きながら知ったくらい、関心を払っていなかったんです。
The Power of the Dogは、美しい映画だなと思いつつ、見ました。カンバーバッチとクリスティンは個人的に好きな演者なのです。
実話ベースの映画、The Courierは、カンバーバッチ演じる英国のビジネスマンが、ロシアとアメリカの冷戦時に行われていたスパイ活動を手伝って、盗んだ情報の配達人をしたのち、アメリカのために働いたロシア人救出のために動く話。
上の二つの映画では、共にカンバーバッチの全裸の後ろ姿が出てきます。
演技者ですね。
オスカーの存続を危ぶむ声。フォックスが書いてました。
1998年にジェイムス・キャメロンがタイタニックでオスカーを席巻した年の視聴者数は、57,250,000人。57ミリオンを超える人がその時間にテレビでの放送を見たらしいですが、昨年2021年になると、9,850,000人、10ミリオンに満たなかった。20年で視聴者数が6分の1に減っている、と書いているのです。
映画の見方が大きく変わってしまった昨今ですから、オスカーも対応を考えるべき時。もしかしたら、オスカーの発表をテレビの生配信でこれほど大々的に放送するって言うのも、終わりが近いのかもしれません。
時代はすごいスピードで動いていってますから。その波に上手に変化しながら、乗っていくしかない。
昔は、名のある映画俳優は、テレビに出て自分の価値が低くなるのを恐れたらしいけれど、今では、名だたる演技者がドンドン、テレビドラマに出演するようになっているとも。家で、映画を見たい時に見ることのできる時代になってしまいましたからね。ネットフリックスやフルで映画館で上映される映画が同時期に見れたりするのですから、見る側にすればありがたい事ですが、作る側は複雑でしょう。
映画も、テレビドラマも、自宅のテレビのスクリーンで見る私たちにすれば同じもの。映画とテレビの区分が難しくなりました。
オスカーの発表は、アメリカ西海岸の時間で行われます。東海岸に住む我々がオンタイムで見ると、最後の作品賞の発表が夜の12時近くになってしまう。翌日の仕事に差触りが出るのです。
オスカーの視聴者数が落ち込んでいる現実を前に、広告が以前のように着くのかしらと思ったりします。いやしかし、ほんとにお金がバブルな世界なんだなと…。
いい映画に出会うと、うれしい。
演者や作り手の熱意が伝わってくる、そんな作品に、感動する。例えば、28年間、温め続けて遠藤周作先生の沈黙を映画化した、マーチン・スコセッシ監督の熱意とか。学生の時に読んだ感動をロードオブザリングに込めたピーター・ジャクソン監督の思いとか、
熱意が、興行収益に結びつくとは限らないのは悲しいですが、
夢とか、勇気とか、感動を与えてくれる映画の世界。時に反面教師となったり、人間は、悔恨と挫折から立ち上がることができるのだと言う事を学んだり…。
優れた作品を残してくださる作り手が、この先キチンと育って、いつまでも映画の世界が復興することを願ってやみません。