ここにも日本の本屋さんは何軒かあって、買おうと思えば買えるけれど
日本の本が高くてなかなか手が出ないという現実もあいまって、いつも寝る前にベッドで読むのは
藤沢先生の本と決まっている。
もう、どれも何度も何度も読んだ本だ。
同じ本ばかり読んでいて何が良いのか分からないが、
同じラーメン屋にばかり通って同じものをいつも注文して満足するような感覚なのかも知れないなと思う。
言い換えれば、食わずきらい。違うお店に行けば、おいしいものがきっとあるはずなのに、新しいものに飛びつくのが少々億劫になっている。
学校が始まって毎朝のお弁当つくりの為に、あさ6時に起きるようになってから、
夜は、11時には寝るようにしているので、最近本を読む機会がなかなかない。
久しぶりに早くベットに入れた昨夜は、短編集「時雨のあと」に収められている表題作の時雨のあとを読んだ。
40ページもない短編だが、読み終わる頃にまた泣かされた。
藤沢先生の短編で泣いてしまう事がよくある。
もうずっと昔の、故郷の記憶、幼い頃の記憶、とうに忘れていたそんな感覚を、先生の静かに綴る文章が呼び起こしてくれる。
この作品にでてくるのは、博打におぼれて暮らすどうしようもない兄の安蔵と
安蔵の見えすいた嘘を信じ、飾り職人になるための修行をするのに金がいると言われれば、
黙って金を渡す、妹のみゆき。その金は、体を売って稼いだものだ。
怪我をしてから、一生懸命だった生活のたこの糸が切れてしまったように博打におぼれる日々、歯車がくるってしまった安蔵。
優しかった兄と二人で暮らした幸せだった時分を思い出し、
自分の為に一生懸命に働いてくれた兄の姿を思い出して、それでもと兄を慕う妹の姿がせつない。
生きる事が下手で、不器用な人達を優しく見つめる先生のまなざしが感じられる短編集、
人間っていいな・・・。そんな気持ちが心の底から滲んでくる。