競馬マニアの1人ケイバ談義

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失われた鉄路を探して1

2016年10月10日 | 我が町探訪
私の記憶の一番奥底にこんなものがあります。旧国道129号線神奈中平塚営業所八幡操車所の前には線路があった。平塚消防署本部のちょっと北側です。私の記憶ではそこに鉄路があったのです。今そこに行って見ると、道路を横断する形でこぶがあります。たぶん鉄路はここにあったんだと推測できます。
地図で現すと、ここです。

〇で示した箇所が問題の場所です。
これだけだと実際そこにこぶがあるのかどうかわかりづらいので、この場所に行って撮ってきた写真を貼ってみることにしましょう。

南から北を写した写真

北から南を写した写真
なお、この写真は2か月前に撮影したものです。現在とかなり変わってます。

こぶがあるのがわかりますか? 私はこのこぶは鉄路を埋めたあとじゃないかと思ってます。鉄路そのものは金になるから取り外したと思いますが、枕木などはそのまんま埋めてしまった。今だったらそれらも取り外して埋め戻すと思いますが、当時はまだそんな考えはなかったんじゃないかと思います。

しかし、両親にそんな私の記憶を話すと、我が両親は「そんなの私の記憶にはない」「お前の記憶違いだろ」ええ、そうなの? 両親は当然私よりはるかに年上です。その両親がなかったと言ってるんだから、ほんとうはなかったのかもしれません。そんなわけで、旧国道129号線を横切る線路の記憶は、いつしか私の記憶から消去されていました。
が、インターネット時代となり、過去の地図をインターネットで見られるようになると、驚くべき情報を取得してしまいました。

まずはちょっと古い地図を見てもらいましょう。昭和40年代前半の地図です。

なんと鉄路があったのです。私の記憶は正しかったのです!
ちょうど地図を貼り合せた箇所なので分かりづらいと思いますが、黒い線が貨物専用の鉄路だったようです。線路は馬入で東海道本線から分岐し、東海道本線と国道1号線をくぐり、日産車体の工場を突き抜け、さらに横浜ゴムの工場に入ってました。私の記憶にあった線路は、日産車体の工場から横浜ゴムの工場に向かう線路だったようです。

こうなるとこの線路がどこにあったのか探索して見たくなるのが私のサガ。ちょっとこの線路の跡を歩いてみることにしました。明日から発表して行きます。


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