日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

今年の『夏旅』

2024-07-08 14:28:09 | 日記
久しぶりに、この『MEMO帳』を開いてみると、5月に『消滅可能性都市』を残してから、はや2か月が経っており、今年も、後半へ突入した。
この間、5月の後半から、約1か月間。定年後の楽しみとしている『北海道旅行』に出かけた事もあり、『今日のアレ?』を、タイムりーに残せないままとなっているが、ボチボチ・・再開する事とした。

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今年の、初夏の『北海道ドライブ紀行』の詳細は、別ブログで残す事としているが、昨年の夏旅での宿題として残った、北海道での『縄文』から『続縄文』『擦文』。さらには、アイヌへ繋がる『オホーツク文化』を、さらに深く学んでみる事もあり、出来るだけ多くの『資料館』などを訪ね歩く計画で、ほぼ『全道』を走破してみたが・・・時間も限られ・・・
世界遺産に登録された『道南』や『渡島』での『縄文文化』と、北方の『釧路』『帯広』『常呂』などでの、同じ時代での『土器』の違いなど、ますます謎が深まる事となってしまった。


そして、町々の『郷土館』に展示の、『資料』などを、詳しく見ていくと・・
『和人』と『アイヌ』の方々との歴史の中で、『豊臣秀吉』が『松前藩』の『藩主』へ『館主』を引上げた事など、『明治』『江戸』と、『史実』を遡る中で、今まで知らなかった、もう一つの『日本史』も浮かびあがり ・・
江戸時代よりも前から、『北の脅威』への備えのため、多くの『防衛策』がなされていた事も判り・・・
昨年の旅でも感じた、・・ウクライナへのロシアの侵攻ではないが・・
『北の防衛』という事を、『南の脅威』ともあわせ、旅の中で、何度か海の向こうに見える『北方領土』からも、改めて、強い『危機』として感じる事になった・・。

一方、十勝の外れにある清水町の『郷土館』では、今週、『新1万円札』に登場の『渋沢翁』が、開拓の礎を築いた事の『特別展示』があり、広尾町では『坂本龍馬』が北海道に憧れていたとの紹介展もあり、この子孫の方が、地元画家として、『六花亭』の包装紙をデザインされたなど・・多くの方々が、『北海道』という『未開の地』へ、古くから関わって来られたという事も、学べた。


この他、道中に立ち寄った『旧上藻別 駅逓所』では、過去世界第三位の採掘量であった『住友金属鉱山』『鴻之舞金山』での『鉱山史』が展示され・・・室蘭市の郊外にある『市立資料館』でも、当時の栄えた町の生活を示す、多くの『大正・昭和レトロ品』が収蔵・展示されており、『せたな町・大成』の『郷土館』では、『ニシン漁』で栄えた町であった歴史も知った ・・・

今回立ち寄った町々の『資料館』から・・・道内の、多くの街々が栄えた『繁栄史』を知り、今は、残念ながら、『衰退』はしてしまったが、新たな町へ変遷した『町史』を学ぶ事が出来、『明治』以降の、日本の発展の『縮図』の様にも思えた ・・


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ただ、これらの町々の『歴史遺産』をお邪魔し、整理・保管する学芸員の方とも、立ち話をさせて頂いた時に感じた事であるが・・・
本業は『教育委員会』、『郷土館』のおもりは、片手間で担当しており・・時間が足りない事と共に。予算も、殆どないなど・・・色々な課題事項も見えてきた・・
この『MEMO帳』の中のどこかで残したが、『地方交付税』に頼る自治体では、どこへお金を使っていくのか ・・・ これも、重要な視点なのかもしれない・・・
そして、『道路拡張で、これ以上遺跡にあたらなければ』・・と、願うばかり・・
今回の『世界遺産登録』でも、『道路完成が数年遅れ』『工事仕様・大幅変更(トンネル地下化)』などから、町役場からは、本音に近い声も聞かされ・・・・
さらに、ある町の、若手『学芸員』の方からは・・・
『今さら、考古学をやる学生はいない』『感染症の研究員と同じように、大学の隅の、暗い所』
・・とも、話されており、『遺跡発掘』すら、ままならない状況のようで・・・
『畑からこんなものが出てきた・・』との声にも、手が回らない・・とのボヤキの声も
北海道という土地のため、『発掘』は雪のない期間であり・・夏は、熊も心配・・
そして、なにより人の手が足りない。
ただ、まだまだ北海道は、原野が残り、手付かずの土地が多く、竪穴住居の、凹んだ遺構なども、そのままの所も・・・都会地に近い、千歳の近くでも見つかっている
どうするのが…ベストなのだろうか。
今、やっておかないと、歴史は残せないが・・・
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こんな事をお聞きしながらの旅であったが・・・
来年も、車が運転でき・・・遺跡を歩きまわれる、体力が残っていれば・・・
勉強の旅は続けられるであろうか・・
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そして、もう一つ感じた事は・・・
各町の『歴史資料館』が、何を目的に・・・が明確でなく、道外や、道内でも他の地域から訪れた方が、その展示品が、地図の上でどこなのかがよく判らない事が多い。
これは・・・各町が『郷土資料館』として、町の『歴史』を残す事を目的で、展示構成されている所が大きいので、全体を示す事は、難しいのかもしれないが・・
例えば、『廃線』となった『駅』を残すのであれば・・
『どこからどこへ繋がっていた』
『どの駅から、支線として運転されていた』などが判れば
遠くから訪れた、子供達にも理解できるのではなかろうか。

もう少し、合併されたのであれば、町々の中で・・
さらには周辺の町々との連携で。
さらには、管区を超えた連携も・・・

折角『日本歴史遺産』として繋がった、『文化連携』も始まっており
外の方々にも見てもらう。『観光資産』としての取り組みも、必要なのかもしれないが・・・
やはり・・・『人的パワー』が足りない事で、難しいのかもしれない

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明日の『アれ?』は・・『上司の1万円』を予定
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