テレビでは、日本に『鉄路』が敷かれてから『150年』との報道が、ここ数日多くなっている。
10月14日が、『鉄道の日』だからだ、との事である。
こんな中、一昨夜、昔『鉄ちゃん』の友人から、『飲んべ~会』の誘いがあった。
彼は、昔は、暇が出来れば『日本中』を飛び歩く『乗り鉄』だったが、膝を悪くしてからは遠出が出来なくなり、撮り集めた『写真』を整理する、自称『鉄バム(鉄道アルバム族)』となっているようである。
サラリーマン時代は、出張の帰り、『時刻表』とにらめっこしながら、『城端線』などの『支線往復』などや、わざわざ、朝早く出かけ、岡山までの『鈍行出張』など、『鉄オタク』全開の時も。会社に、よく『バレ』なかったものである。この他、極めつけとして、父親から引き継いだ、多数の『HOゲージ』も有しており、定年後は、近くの『実家』を、『風通し』の名目で『管理』する傍ら、ここで『目いっぱい』の『ジオラマ』を楽しんでいるが、これが『ひざ痛』の原因なのかもしれない。仲間からは、『ゼイタク病(贅沢ではない、税沢病)』と、呆れかえられているが・・
今回の、突然の招集は、サラリーマン時代に知り合った、少し先輩の『元銀行員』で、『撮り鉄』だった方との『アルバム』整理の情報交換の中で・・
『定年後、長期北海道を、夏場半年も、うろうろしている仲間がいる』『ドライブ紀行中、現存する汽車や、古い駅舎。鉄道遺構などを写していた』『中頓別とかいう町に、しばらく滞在した時、昔の『天北線』の線路を探していた』などと、小生の事を話していたらしく・・
一度会ってみたいとの要望があり、この方の参加を『内緒』にして、仲間へ『全員集合』をかけたようである。
『サプライズ』の『初対面』ではあったが、楽しいい『飲んべ~会』となった。
+**
最初は『鉄旅』の話で盛り上がり、酔いが回り始めると・・
お互い、『古希』を通り越し、もう簡単には『長旅』はできないが・・
『古き良き時代』を思い起こす中、『鉄路の重要性』の話へと展開し・・
『鉄路』が失われる事での、『日本の危機管理』の『課題』へと続いた。
この、初対面の『元銀行員』の方が、最後に締めくくってくださった・・・
これから、政府審議が始まる『敵地、先制攻撃』も必要だが・・
政府も国民も、『もっと大切な事を忘れている』のでは・・
それは『日本の有事とは』。この中での『有事の鉄路』のありかた・・
『にわか鉄ちゃん』を含めた仲間は、一瞬『黙り込んだ』が・・
たしかに、『平時に有事を考える』中で・・・
忘れていたことの一つ、『重要インフラ』『鉄路』を忘れていた
あたりまえすぎる事なのだが・・・・
『国鉄』の『民営化』。これでの『国力』はどうなったのか・・
今後の『ワイガヤ』の中での、『テーマ』の一つとして残したいと思う
;:;
話の途中で、この方から語られた事として・・・・
NHKの番組でも報じられていたが・・
『ロシアのウクライナ侵攻での『防衛力』。それは『鉄路』』
『『有事』に『鉄路』が機能しないと、『国家』が危うくなる』
『鉄路』がないと、『兵器』や『兵站』は運べない。
『車』だけでは『限界』があるのでは?
『北海道や、中国地方などでの廃線問題』
さらには『新幹線開業』での『在来線廃止』
特に、『内陸縦貫』と、海に向かっての『鉄路』が失われている。
そして、もう一つは、『鉄道マン』がいなくなること・・・
『鉄路』は『人』で守る必要がある。『AI』『遠隔操作』ではむり
『日常管理』も『人手』。『災害補修』も『人手』
最近、線路への『倒木被災』が多くなったのも・・・
この『人力』がかけられていないことが『要因』かもしれない
『保線要員』『ラッセル要員』『非常呼集要員』
『有事』のためにどこまで『備える』か・・との感はあるが・・
『災害』はともかくとして・・
『敵国攻撃』の『想定』は、今は『必要』ないのだろうか
『戦後』すぐの『ソビエト侵略』も、かろうじて『防衛』できたが
『平時』に『有事』を考え、『備える』必要がある・・
『国の防衛』は『自衛隊』だけではできない。
『輸送』は『民間』も『活用』となるであろう。
このための『鉄路』の『確保』と、『有事』での『訓練』も・・
昔、『鉄道マンの誇り』は『止めない事』だったと思うが・・
『KY重視』のためか、なぜか『運休』も多くなっている
『モッコ』を担ぎ『トロッコ』を押して・・は、『今は昔』なのか・・
でも『有事』は起こらないとは限らない。『ダレが動くのか』
『ど素人』では対応が出来ない。このための『訓練』は??
・・・だんだん『堂々巡り』となってきたので
昨年の『旭川大隊』の『九州?移動訓練』や、北海道旅行時、遭遇した、
東北地区での『大震災』を想定した『フェリー船』を使用の『大規模訓練』の
話題などを提供してみたが・・
『日本は島国』『北海道からはフェリーか貨車輸送のみ』
『戦車は移動できても、すぐには働けない。キャタピラ交換必要』など
色々な話題も飛び出した。
『新幹線』ではないが、『高速道路』が出来ると『国道』は『古酷道』へ
『峠道』も『トンネル』が新設されても、『有事対応』なのだろうか
『戦車積載トレーラーは通れても、パトリオットは無理かも?』
『北海道では『戦車』が公道を通る事もあるが、大阪では無理かも』
『伊丹の駐屯地から、日本海までどのルートなんやろ』と現実味の話も
『有事の鉄路』と共に、『島国日本』という事を考えると・・・
『瀬戸内海』や『九州』なんか『橋』で繋いでいるが・・・
『フェリー廃止』で『有事の海路』も想定が必要では・・・との意見も
『有事の鉄路』から、いろいろな事が見えてくる。
『想定外』を『想定内』にするためには・・
まず『インフラ整備』か? ますます大変そうである。
+****+
話は、最初へ戻すが・・・
メンバーが揃うと、いきなり『若気の至り』での・・
『鉄旅』で『ワイガヤ』が始まった・・・
最初に・・・今はどうなのだろうか
『学校の教務課で『学割証明』なんかも、もらった事も』
『学生時代、北海道は、カニ族で、何度か旅をした』
『横長の、帆布キスリングに、布テントを上に括り付け』
『改札を出るのに、横歩き』『これがこの名前の由来??・・』
『反対向けに出て、『切符』が渡せず、再度入り直しも』
・・・と、参加者からの、『過去アッタアッタ』の話が
『お金がないので、駅舎で寝てた』
『このための、シュラフや、自炊用の飯盒とアルマイト食器も』
など、『ヒッチハイカー』以上に、問題の輩もいたようである
『昔、北海道の旅は、鉄路しか無かった』
『乗り継ぎ、乗り継ぎの旅で』『駅で何時間も待ってた』
『とりわけ、稚内への旅が思いで深い』
『札幌発の急行で、稚内まで・・、何時間かかったやろ』
『『音威子府』から『中頓別』を通り『浜頓別』を経由して』
『ここは廃線となってしまったが、宗谷本線も危ないらしい』
『別ブログに書いた、『抜海駅』も、ついに・・となりそう』
この他にも・・
『今でこそ有名な『幸福駅』を通っての、広尾まで、汽車が』
『この線路も、廃線や。』
『反対側へ伸びていた、先にある『タウシュベツ』も崩落は時間の問題かも』
『何年か前の大波でダメになったが、日高本線が、様似まで』
『様似から、ボンネットバスで襟裳まで言った記憶も・・』
もう、50年以上も前の、昭和45年ころの話であるが・・
何度か『旅』で『鉄路』を使った仲間では、懐かしい話である
まだこの頃は、北海道内には、多くの『鉄路』が残っていた
特別参加の『撮鉄』さんも、かなり多く通われたようであるが
『なんせ、お金がいる。食費削り、アルバイトしてなんとか』
『周遊キップやったと思うけど。当時の在学先、東京から』
『夜行『夕鶴』『青函連絡船』で道内入り』
『ここから、長万部などを通り、小樽経由で札幌まで・・』
『この間、途中下車をしたのはいいが、次の電車が来なくて』
『駅舎泊』『この時の駅前ラーメンはおいしかった』などの
・・・『強者発言』も。
たしかに『北海道の鉄道』は危ないことが多い
『入社後、50年近く出張で北海道へ出かけていたが・・・
釧路から5時間立ちっぱなし。
旭川から、釧路への途中で列車ストップ。
どこだったか忘れたが、途中泊。朝一で、釧路へ。
苫小牧から旭川への移動時も、札幌からの列車が運休。
朝早くに、岩見沢へ各駅停車で移動・・など、
思い出をたくさん残してくれた『鉄路』である』とも・・
;:;::;
そして・・・話題が、だんだん『天北線』に集まり始めると・
『北海道の鉄路が無くなる寂しさ』へ展開し始め、
『天北線廃線での問題』『今後の課題』となってきた・・・
『オホーツク海側』や『宗谷岬』など、『ロシア』と接している所は
『鉄路』が無くなっている。『唯一、港では『網走』だけ』
『『野付半島』近くの『中標津』なども、昔は『鉄路』があった?』
『『根室本線』も、『廃線』の動きが・・』『何キロか先は、ロシア領』
『こんなことを考えると『平事』が『有事』になったらどうなる・・』
『道路だけでは、一度にたくさんの物は運べない』
『ただ・・運ぶ『機関車』もほとんどいなくなっているのも現実』
『『東北地震』の時のように、支援の『石油列車』を走らせるため・・
『吹田』から『ジーゼル機関車』を回送した・・などはできない』
『こんな意味で『天北線・廃線』は、日本の『防衛線・敗戦』と
ならなければいいのだが』・・・と少し強硬な、コメントも・・
このあと、先に書いた『ウクライナの『鉄路防衛』の話が・・』
『鉄旅』『鉄路』の『話題』が『国防』まで『飛躍』してしまった・・
+*+**
今朝、この時に『話題』となった、『ウクライナ鉄道事情』や、『北海道・廃線状況』の参考URLと、Down/Load し、PPへ貼り付けた図表が、友人を介し送信されてきた。
『引用可否』の確認はとっていないが、次回のために、とりあえず、この『MEMO』へ貼り付けておきたい。
【NHK サタデーウオッチ9 2022年5月17日(出典:NHK ホームページのCopy?)
ウクライナの鉄道が反転攻勢のカギに? 命がけで守られる鉄路 連帯の象徴】
【ウクライナの鉄道網】(出典:Wikipediaからと思われる)
[ウクライナ:広軌(ロシアの広軌) 隣国ポーランド;狭軌]
【ウクライナの国土の大きさ】(3/22『MEMO』より)
【廃線予定路線】(出典;東洋経済 (鉄道模型&鉄道情報 sagamier.com経由))
【北海道内・鉄路(2016年)】(出典:乗り物ニュース編集部)
【北海道内・鉄路の変遷】 (同上)
【北海道内・これまでに廃線となった路線】(出典:北山敏和の鉄道いまむかし?)
(元文献:川上幸義の日本鉄道史 (川上幸義の新日本鉄道史(上、下巻)
昭和42年 鉄道図書刊行会刊 に引用の下記らしいが詳細は不明)
18 国鉄再建法による廃止線 (守田久盛、坂本真一著 北海道の鉄道 1992刊より))
【3.11 東北大地震時 石油輸送】
(川崎から、日本海側を経由し、青森から盛岡まで。
新幹線開業後、第三セクターとなった『青い森鉄道』も運行ルートに)
+**+
送信主から、『天北線』をはじめ、『廃線跡』や『鉄道車両』『貨車駅舎』などの、『写真』を見てみたいとの要請が、このメールには付けられていたようで、定年後の3年間の『夏旅』で撮ったものを整理し、次回の『飲んべ~会』へ備える事にしたい・・・
そして、『天北線』つながりで、資料送付の御礼として・・・
『カニ族』で、何気なく降り立った『天北線』の『飛行場前』という『駅名標』を、『鬼志別』の『バスターミナル』にある『展示室』で見つけたので、写しこんだものを、友人へ送信しておいた。
この『駅』所は、昭和43年だったか44年の夏前、オホーツク海側の海岸線を北上する旅で、『駅名』に引かれ、ふと降り立ったが、人家も見えない。草むらの中の、何もない駅であった。
たしか、ここから、次の列車が来るまでの間(かなり長時間だった?)、浜の方まで歩いた記憶があり、ここで見た『ハマナス』が、いまでも鮮明な『思い出』として残っていたためか、『定年後・北海道海岸線一周旅行』でも、『ハマナス』を探すことから始まった。
森繁久彌さんの歌ではないが、『ハマナスの咲くころ~』が、どこかに残っていたのかもしれない。
2018年、『中頓別』滞在時にも、この近くの『原生花園』を訪ねた際、廃線跡を辿ろうとしたが・・ 『廃線跡資料』では、アスファルトで舗装された、サイクリングロードとなっているとの記載ではあったが、『駅跡』を見つけることはできず、近くの道路には、黄色い『熊注意』との看板もあり、早々に退散。『天北線』の『廃線跡』は、消えてきている。
*+***
北海道の『鉄路』維持は難しいかもしれない。ただ、一度『廃線』となると、『有事』となった時には、すぐの対応が出来ない。
『宗谷本線』の『天塩中川駅』の『ホーム』から見えた『レール』は、『1963年製』
御年『60歳』で、少し『痛み』はあるが、まだまだ『現役』で頑張ってくれていた。
こんな『古参』が、『宗谷本線』を支え、『有事』にも備えてくれている。
こんな事も、撮り残した写真から思い起こした。
;:;:
もう少し詳しく『廃線』と『有事対応』については、学んでみたい。
10月14日が、『鉄道の日』だからだ、との事である。
こんな中、一昨夜、昔『鉄ちゃん』の友人から、『飲んべ~会』の誘いがあった。
彼は、昔は、暇が出来れば『日本中』を飛び歩く『乗り鉄』だったが、膝を悪くしてからは遠出が出来なくなり、撮り集めた『写真』を整理する、自称『鉄バム(鉄道アルバム族)』となっているようである。
サラリーマン時代は、出張の帰り、『時刻表』とにらめっこしながら、『城端線』などの『支線往復』などや、わざわざ、朝早く出かけ、岡山までの『鈍行出張』など、『鉄オタク』全開の時も。会社に、よく『バレ』なかったものである。この他、極めつけとして、父親から引き継いだ、多数の『HOゲージ』も有しており、定年後は、近くの『実家』を、『風通し』の名目で『管理』する傍ら、ここで『目いっぱい』の『ジオラマ』を楽しんでいるが、これが『ひざ痛』の原因なのかもしれない。仲間からは、『ゼイタク病(贅沢ではない、税沢病)』と、呆れかえられているが・・
今回の、突然の招集は、サラリーマン時代に知り合った、少し先輩の『元銀行員』で、『撮り鉄』だった方との『アルバム』整理の情報交換の中で・・
『定年後、長期北海道を、夏場半年も、うろうろしている仲間がいる』『ドライブ紀行中、現存する汽車や、古い駅舎。鉄道遺構などを写していた』『中頓別とかいう町に、しばらく滞在した時、昔の『天北線』の線路を探していた』などと、小生の事を話していたらしく・・
一度会ってみたいとの要望があり、この方の参加を『内緒』にして、仲間へ『全員集合』をかけたようである。
『サプライズ』の『初対面』ではあったが、楽しいい『飲んべ~会』となった。
+**
最初は『鉄旅』の話で盛り上がり、酔いが回り始めると・・
お互い、『古希』を通り越し、もう簡単には『長旅』はできないが・・
『古き良き時代』を思い起こす中、『鉄路の重要性』の話へと展開し・・
『鉄路』が失われる事での、『日本の危機管理』の『課題』へと続いた。
この、初対面の『元銀行員』の方が、最後に締めくくってくださった・・・
これから、政府審議が始まる『敵地、先制攻撃』も必要だが・・
政府も国民も、『もっと大切な事を忘れている』のでは・・
それは『日本の有事とは』。この中での『有事の鉄路』のありかた・・
『にわか鉄ちゃん』を含めた仲間は、一瞬『黙り込んだ』が・・
たしかに、『平時に有事を考える』中で・・・
忘れていたことの一つ、『重要インフラ』『鉄路』を忘れていた
あたりまえすぎる事なのだが・・・・
『国鉄』の『民営化』。これでの『国力』はどうなったのか・・
今後の『ワイガヤ』の中での、『テーマ』の一つとして残したいと思う
;:;
話の途中で、この方から語られた事として・・・・
NHKの番組でも報じられていたが・・
『ロシアのウクライナ侵攻での『防衛力』。それは『鉄路』』
『『有事』に『鉄路』が機能しないと、『国家』が危うくなる』
『鉄路』がないと、『兵器』や『兵站』は運べない。
『車』だけでは『限界』があるのでは?
『北海道や、中国地方などでの廃線問題』
さらには『新幹線開業』での『在来線廃止』
特に、『内陸縦貫』と、海に向かっての『鉄路』が失われている。
そして、もう一つは、『鉄道マン』がいなくなること・・・
『鉄路』は『人』で守る必要がある。『AI』『遠隔操作』ではむり
『日常管理』も『人手』。『災害補修』も『人手』
最近、線路への『倒木被災』が多くなったのも・・・
この『人力』がかけられていないことが『要因』かもしれない
『保線要員』『ラッセル要員』『非常呼集要員』
『有事』のためにどこまで『備える』か・・との感はあるが・・
『災害』はともかくとして・・
『敵国攻撃』の『想定』は、今は『必要』ないのだろうか
『戦後』すぐの『ソビエト侵略』も、かろうじて『防衛』できたが
『平時』に『有事』を考え、『備える』必要がある・・
『国の防衛』は『自衛隊』だけではできない。
『輸送』は『民間』も『活用』となるであろう。
このための『鉄路』の『確保』と、『有事』での『訓練』も・・
昔、『鉄道マンの誇り』は『止めない事』だったと思うが・・
『KY重視』のためか、なぜか『運休』も多くなっている
『モッコ』を担ぎ『トロッコ』を押して・・は、『今は昔』なのか・・
でも『有事』は起こらないとは限らない。『ダレが動くのか』
『ど素人』では対応が出来ない。このための『訓練』は??
・・・だんだん『堂々巡り』となってきたので
昨年の『旭川大隊』の『九州?移動訓練』や、北海道旅行時、遭遇した、
東北地区での『大震災』を想定した『フェリー船』を使用の『大規模訓練』の
話題などを提供してみたが・・
『日本は島国』『北海道からはフェリーか貨車輸送のみ』
『戦車は移動できても、すぐには働けない。キャタピラ交換必要』など
色々な話題も飛び出した。
『新幹線』ではないが、『高速道路』が出来ると『国道』は『古酷道』へ
『峠道』も『トンネル』が新設されても、『有事対応』なのだろうか
『戦車積載トレーラーは通れても、パトリオットは無理かも?』
『北海道では『戦車』が公道を通る事もあるが、大阪では無理かも』
『伊丹の駐屯地から、日本海までどのルートなんやろ』と現実味の話も
『有事の鉄路』と共に、『島国日本』という事を考えると・・・
『瀬戸内海』や『九州』なんか『橋』で繋いでいるが・・・
『フェリー廃止』で『有事の海路』も想定が必要では・・・との意見も
『有事の鉄路』から、いろいろな事が見えてくる。
『想定外』を『想定内』にするためには・・
まず『インフラ整備』か? ますます大変そうである。
+****+
話は、最初へ戻すが・・・
メンバーが揃うと、いきなり『若気の至り』での・・
『鉄旅』で『ワイガヤ』が始まった・・・
最初に・・・今はどうなのだろうか
『学校の教務課で『学割証明』なんかも、もらった事も』
『学生時代、北海道は、カニ族で、何度か旅をした』
『横長の、帆布キスリングに、布テントを上に括り付け』
『改札を出るのに、横歩き』『これがこの名前の由来??・・』
『反対向けに出て、『切符』が渡せず、再度入り直しも』
・・・と、参加者からの、『過去アッタアッタ』の話が
『お金がないので、駅舎で寝てた』
『このための、シュラフや、自炊用の飯盒とアルマイト食器も』
など、『ヒッチハイカー』以上に、問題の輩もいたようである
『昔、北海道の旅は、鉄路しか無かった』
『乗り継ぎ、乗り継ぎの旅で』『駅で何時間も待ってた』
『とりわけ、稚内への旅が思いで深い』
『札幌発の急行で、稚内まで・・、何時間かかったやろ』
『『音威子府』から『中頓別』を通り『浜頓別』を経由して』
『ここは廃線となってしまったが、宗谷本線も危ないらしい』
『別ブログに書いた、『抜海駅』も、ついに・・となりそう』
この他にも・・
『今でこそ有名な『幸福駅』を通っての、広尾まで、汽車が』
『この線路も、廃線や。』
『反対側へ伸びていた、先にある『タウシュベツ』も崩落は時間の問題かも』
『何年か前の大波でダメになったが、日高本線が、様似まで』
『様似から、ボンネットバスで襟裳まで言った記憶も・・』
もう、50年以上も前の、昭和45年ころの話であるが・・
何度か『旅』で『鉄路』を使った仲間では、懐かしい話である
まだこの頃は、北海道内には、多くの『鉄路』が残っていた
特別参加の『撮鉄』さんも、かなり多く通われたようであるが
『なんせ、お金がいる。食費削り、アルバイトしてなんとか』
『周遊キップやったと思うけど。当時の在学先、東京から』
『夜行『夕鶴』『青函連絡船』で道内入り』
『ここから、長万部などを通り、小樽経由で札幌まで・・』
『この間、途中下車をしたのはいいが、次の電車が来なくて』
『駅舎泊』『この時の駅前ラーメンはおいしかった』などの
・・・『強者発言』も。
たしかに『北海道の鉄道』は危ないことが多い
『入社後、50年近く出張で北海道へ出かけていたが・・・
釧路から5時間立ちっぱなし。
旭川から、釧路への途中で列車ストップ。
どこだったか忘れたが、途中泊。朝一で、釧路へ。
苫小牧から旭川への移動時も、札幌からの列車が運休。
朝早くに、岩見沢へ各駅停車で移動・・など、
思い出をたくさん残してくれた『鉄路』である』とも・・
;:;::;
そして・・・話題が、だんだん『天北線』に集まり始めると・
『北海道の鉄路が無くなる寂しさ』へ展開し始め、
『天北線廃線での問題』『今後の課題』となってきた・・・
『オホーツク海側』や『宗谷岬』など、『ロシア』と接している所は
『鉄路』が無くなっている。『唯一、港では『網走』だけ』
『『野付半島』近くの『中標津』なども、昔は『鉄路』があった?』
『『根室本線』も、『廃線』の動きが・・』『何キロか先は、ロシア領』
『こんなことを考えると『平事』が『有事』になったらどうなる・・』
『道路だけでは、一度にたくさんの物は運べない』
『ただ・・運ぶ『機関車』もほとんどいなくなっているのも現実』
『『東北地震』の時のように、支援の『石油列車』を走らせるため・・
『吹田』から『ジーゼル機関車』を回送した・・などはできない』
『こんな意味で『天北線・廃線』は、日本の『防衛線・敗戦』と
ならなければいいのだが』・・・と少し強硬な、コメントも・・
このあと、先に書いた『ウクライナの『鉄路防衛』の話が・・』
『鉄旅』『鉄路』の『話題』が『国防』まで『飛躍』してしまった・・
+*+**
今朝、この時に『話題』となった、『ウクライナ鉄道事情』や、『北海道・廃線状況』の参考URLと、Down/Load し、PPへ貼り付けた図表が、友人を介し送信されてきた。
『引用可否』の確認はとっていないが、次回のために、とりあえず、この『MEMO』へ貼り付けておきたい。
【NHK サタデーウオッチ9 2022年5月17日(出典:NHK ホームページのCopy?)
ウクライナの鉄道が反転攻勢のカギに? 命がけで守られる鉄路 連帯の象徴】
【ウクライナの鉄道網】(出典:Wikipediaからと思われる)
[ウクライナ:広軌(ロシアの広軌) 隣国ポーランド;狭軌]
【ウクライナの国土の大きさ】(3/22『MEMO』より)
【廃線予定路線】(出典;東洋経済 (鉄道模型&鉄道情報 sagamier.com経由))
【北海道内・鉄路(2016年)】(出典:乗り物ニュース編集部)
【北海道内・鉄路の変遷】 (同上)
【北海道内・これまでに廃線となった路線】(出典:北山敏和の鉄道いまむかし?)
(元文献:川上幸義の日本鉄道史 (川上幸義の新日本鉄道史(上、下巻)
昭和42年 鉄道図書刊行会刊 に引用の下記らしいが詳細は不明)
18 国鉄再建法による廃止線 (守田久盛、坂本真一著 北海道の鉄道 1992刊より))
【3.11 東北大地震時 石油輸送】
(川崎から、日本海側を経由し、青森から盛岡まで。
新幹線開業後、第三セクターとなった『青い森鉄道』も運行ルートに)
+**+
送信主から、『天北線』をはじめ、『廃線跡』や『鉄道車両』『貨車駅舎』などの、『写真』を見てみたいとの要請が、このメールには付けられていたようで、定年後の3年間の『夏旅』で撮ったものを整理し、次回の『飲んべ~会』へ備える事にしたい・・・
そして、『天北線』つながりで、資料送付の御礼として・・・
『カニ族』で、何気なく降り立った『天北線』の『飛行場前』という『駅名標』を、『鬼志別』の『バスターミナル』にある『展示室』で見つけたので、写しこんだものを、友人へ送信しておいた。
この『駅』所は、昭和43年だったか44年の夏前、オホーツク海側の海岸線を北上する旅で、『駅名』に引かれ、ふと降り立ったが、人家も見えない。草むらの中の、何もない駅であった。
たしか、ここから、次の列車が来るまでの間(かなり長時間だった?)、浜の方まで歩いた記憶があり、ここで見た『ハマナス』が、いまでも鮮明な『思い出』として残っていたためか、『定年後・北海道海岸線一周旅行』でも、『ハマナス』を探すことから始まった。
森繁久彌さんの歌ではないが、『ハマナスの咲くころ~』が、どこかに残っていたのかもしれない。
2018年、『中頓別』滞在時にも、この近くの『原生花園』を訪ねた際、廃線跡を辿ろうとしたが・・ 『廃線跡資料』では、アスファルトで舗装された、サイクリングロードとなっているとの記載ではあったが、『駅跡』を見つけることはできず、近くの道路には、黄色い『熊注意』との看板もあり、早々に退散。『天北線』の『廃線跡』は、消えてきている。
*+***
北海道の『鉄路』維持は難しいかもしれない。ただ、一度『廃線』となると、『有事』となった時には、すぐの対応が出来ない。
『宗谷本線』の『天塩中川駅』の『ホーム』から見えた『レール』は、『1963年製』
御年『60歳』で、少し『痛み』はあるが、まだまだ『現役』で頑張ってくれていた。
こんな『古参』が、『宗谷本線』を支え、『有事』にも備えてくれている。
こんな事も、撮り残した写真から思い起こした。
;:;:
もう少し詳しく『廃線』と『有事対応』については、学んでみたい。