日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

『古希の技術者』/『70歳定年制』/『私たちの生活はこんなに変わった』/『WALKMANの 次は生まれるのか』

2021-12-09 15:23:47 | 日記
先々月末、『コンサル仲間』から、『若手技術者の自主勉強会』で使用する『ネタ』を準備してほしいと頼まれ、1カ月以上が経過。
題目は出来たが、中身が煮詰まらず、約束の月末まであと少し・・・


そして今月は、満額『古希』。
『技術の旬』は過ぎ、もうそろそろ『お節介』はやめるべきかと
・・感じ始めた所だが・・
この『メモ』で残したが、『定年』が『70歳』まで延長され、『還暦』はともかくとして『古希』という事も、どこかへ消えてしまい・・
もうしばらく、『黒子』で、『何かせねば』との思いもある。

:;:;
こんな中、別の友人から、この思いを察したのか、お互いの『古希を祝おう』とのメールが入り、先週末、急遽開催の『飲み会』へ参加した。
『新型コロナ』の『感染拡大』は『一旦休止』の感ではあるが、さらに変異した『オミクロン株』の出現もあり、まだ『居酒屋会食』は心配な所があるため、彼の『自宅・離れ』をお借りしての『家飲み』となった。・・・
この場所は、しばらく使ってなかったとの事で、先行隊が『大掃除』と共に、彼が、今後この部屋を『占拠』するための『テレビ設置』や『Wi-Fi環境整備』など、『秘密部屋構想』をチャッカリ手伝わされた感もあるが・・
すでに他界されたご両親が使われていた『茶室風の部屋』は、『換気』が行き届き、『水屋』もあるので、奥様に手間をかけず、気さくな仲間と時間を忘れて『ワイガヤ』をするには最高の場所となった。

彼は、65歳定年後、勤めていた会社の『技術顧問』をそのまま引き受け、忙しく働き続けていたが、やっと、この『コロナ渦』で『引退』することを決めたらしく、両親が大切にしていた『空室』を、最大限『活用』してみたくなったようである・・・

ここへ、彼の呼びかけで『古希±数年』の『元技術者』が『集結』し、いつもの『ワイガヤ』となり、『古き稀』ではなく、『現役』の、楽しい会話となった。

+**
まず最初は、この『秘密基地』についての話題に・・
彼の『住戸』は、山沿いの住宅街の、坂道の先の一番奥。
大きな木に囲まれた『ポツンと一軒家』に近い、最高環境の『古屋』で、眺望もすばらしい『ロケーション』ではあるが・・
今回参加の、市中のマンション暮らしをする『シニア達』から・・
この『住環境』。『羨ましい』けど、『今後どないすんの』
『坂道きついし』『車がないとあかんわ』
『生活環境と利便性の、折り合いつくの』との矢継ぎ早の質問が

彼曰く『確かにそれが、一番の問題』
彼も60位までは『市内マンション暮らし』をしていた
この頃、ご両親も『シニアマンション入居』で、殆ど同居無し
『定年で、帰ってきたけど。たしかに、今、通勤は大変』
奥さんに駅までの送り迎えを頼むこともあった・・との事

やっと『70歳・完全リタイア』で楽しもうと思ったけど・・
あと何年『住める』かが問題。もうすぐ『免許も返納せなあかん』

『70歳・定年制』『人生にとって良い事なのか』
『幸せとは何なのか』『残りはどうなるの』・・・・と
思い悩んでの『秘密基地構想』との事

ここに奥さんが、『オードブル』の差し入れに来られ、輪の中へ
確かに『70歳まで働かされたら、夫婦の楽しみはあらへんで』
元気な間の『海外旅行や山登り』『長距離ドライブ』も出来ない
『70歳定年』やと・・『ヨボヨボ、突入一歩手前』
Konさんが、昔話しておられた、『奥さん元気で旦那ヨタヨタ』
『モンサンミッシェル』『万里の長城』も夫婦ではいけなくなる
・・が現実となってくる。

定年延長でも、『有給はなかなか取れず、長期休暇はままならん』
『うちの旦那も、技術顧問は肩書で。全然休めんかったは・・』
『楽しみの長期クルーズも、たった 2回だけ。パソコン持参で?』
『世界一周は、お金があっても到底無理。時間は取れへんで・・』
『政府も、『定年延長』と『人生設計』ちゃんと考えてや』
・・とまくし立て、退室された

確かに、集まったメンバーからも『定年70年』『どうなの??』・・・
残りの『人生』でなにができるのかとの感想が
一時期、政府も『働き方改革』の中で・・
『ロングバケーション』などの議論もされてきていたが、
『定年延長』での『人生設計』の在り方など・・・
『将来生活』『年金生活』へ織り込まれているだろうか。
たぶん『定年延長』となると、定年後の在り方が、
『故郷非帰郷』『定年移住減』
さらには『別荘保有率減』『ロングバケーション減』
『高級車販売減』などにもつながるのではとの意見も
当該人の『アフターエンド構想』はどうなのか・・・を
聞きそびれたが・・
我々『65歳リタイア組』が『自由奔放生活』を『謳歌』しているのを見て
『70歳定年』で、『スタート』をあわせようと、慌てなければいいのであるが・・・・

***+
こんな事で、序盤の話が盛り上がり始めた頃・・
後ろでつけていたテレビに・・
『池上彰のニュース解説『私たちの生活はこんなに変わった』』という番組が流れ始めた。
家電製品の歴史を紐解くことで、『生活の変化』がわかるとの事で、洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビ、電子レンジなどの、初号機がどのように生まれ、生活の中へ広まったのかが解説され、『アッタアッタ』『そやった』から、今は『凋落』してしまった『東芝』『シャープ』の話題や、最新家電で『人生のスタート』を切ったことも、改めて思い起こさせてくれた。

そして、さらに昔の『テレビ』や『携帯』がなかった頃の話へも遡り、『ワイガヤ』はこの話題でヒートアップ。
(自宅録画するのを忘れていたので、ポイントをガラケーで写し残したのを、借用添付)
シャープ製カラーテレビ(リモコンでなかった)
白黒が出たときは、豊中駅前で『街頭テレビ』があったり
住宅内の友達の家で『テレビ』を見せてもらった記憶も
家の屋根に『アンテナ』がある家は少なかった。
テレビも『ゼネラル』とか言うのやった記憶がある。


電話がない時代(待合せは『駅伝言板』)
会社へ入った頃も、まだ『ダイアル式黒電話』。
デートの約束変更で、相方の家へ電話するのも大変やった
『ドキマキ』して『声が飛んだこともあるで・・』
『それ、奥さんのお父さんやったん??』
今は『携帯』『LINE』で、『直接交渉』で済むけど・・・
『デートの了解取るの大変やった・・』と、一同大爆笑


この成長での大きな『出来事』は
『昭和36年の皇太子殿下パレード』と『昭和45年の大阪万博』との事であったが、この間に『東京オリンピック』もあったとのではとの話に展開
さすがに『昭和36年』は10歳位で記憶に乏しいが、『カラーテレビ』があったかどうか
『オリンピック』の『入場行進』は『カラー』だった記憶がある・・との感想も


そして『大阪万博』
今は『パナ』へ吸収された『三洋電機』の『三洋館』で『人間洗濯機』が出ていたり、『携帯電話』の先鋒で『トランシーバー』みたいなものが出展され、『コンピューター社会』などという言葉も、このあたりから聞きはじめた・・
ちょうど進学の頃で『学生運動』も、ひどかった頃やった・・・と時代を語る言葉も


テレビを見ながら、話があっちこっちへ展開したが
流された生活様式の変化や、出荷台数などの具体的『データー』を見て
たしかに『おかんよう働いとったは』 
『親父も亭主関白で何にもしよらんかったは』・・・


・・けど、『我々の時代では少し変わったんとちゃう』
『息子んとこなんか、逆転しとるで』『この言葉OUTや・・』との突込みも
家事労働の歴史的変化、いや劇的変化で、 今の『共働き』があたりまえの『世代』となるまでの働き方の変化、男女雇用均等となった時代での、『親父組』のありかたへ、話は急展開。
ここへ、奥さんが再度『ワイン』の差入に来られ、
『私らの時代、まだ寿退職なんかいう言葉があり』『結婚すれば専業主婦があたりまえ』
『今の時代やったら、もっとかっこよく活躍でけたかも・・』と、再び輪の中へ。
たしかに、彼も『お見合』で、今日参加の仲間も『職場結婚』が多く、『結婚すれば家内』という事が、まだ一般的な世の中であった事も、思い起こされた。
このグラフが始まる、今から40年位前の事である。
こんな話、今、会社でしたら、『セクハラ』『パワハラ』で問題かも・・とも


そしてもう一つ興味深いデーターが示されていた。
『カラーテレビ』の出荷台数である。5年間で、約20倍もの伸びが・・
『カラー放映』があたり前になったのと、普通の家庭でも購入できる『価格』となったのが大きく、社会人となった後、『結婚』する頃には『カラー』しかなく、我々の子供達は『白黒テレビ』『チューナーガチャガチャ』も知らない世代となって来ている。
たぶん、シャープ、東芝、ソニー、松下、に加え『日立』のテレビもあった気もするが・・
リビングには『木製フレーム』の『カラーテレビ』だった記憶もよみがえった。


このほか、映像で『自動改札』の映像が流れ、わざわざ『阪急北千里』まで見に行った・・・『入場券』買って、機械へ通し、ホームまで行って、帰りに、また『自動改札機』で『切符』が回収されるのを見届けた。
裏が茶色の、ツルツルの『紙』にびっくりした。もう一枚買って帰ったが、今はどこにあるのか・・・記憶にございません・・と、仲間から懐かしい事実も。

あれからどんどん進化して、『お金』を使わないでも『電車』に乗れる時代に
Konチャンがどこかに書いとった『切符を買えない子供』から『切符を見たことがない子供』が生まれるかも。
ひょっとすると、最近の『Z世代』でも『見たことない』『使ったことがない』若者も出現しても、おかしくないかも・・

何れにしても・・・もう半世紀以上も前やで・・60年、いや70年。
『万博』の時、地下鉄が、今の『千里中央』ではなく、途中の『中環』の所で曲がって、『公園中央』まで行ってた・・・なんて『誰も覚えとらんやろ』など、懐かしい話も出てきた。


これら電化製品は、今、世の中では『あたりまえの物』であるが、我々、『古希』を迎える人間が『子供の頃』出現したものが多く、『成長の歴史』の中で、我々は育てられたかもしれない。

番組の最初の頃で紹介された『洗濯機』には『脱水ロール』が取り付けられており、これが子供の頃には、色々な物を挟み込んで、『いたずら』をする『格好』のおもちゃとなった。

そして『かまど』で炊いていた『御飯』が、電気ではないが『ガス炊飯器』に変わった時代であり、『火』というものを知るには、いい勉強材料になった。
『薪』が必要であり、『燃やす』ための工夫も必要であった。煙突の『すす』も『悪戯』の『道具』にも化けたことがある。
ノーベル賞を取られた吉野さんではないが、自然と学ぶ『ローソクの科学』だったのかもしれない。

こんな事を『ワイガヤ』で話していると・・
小学校へ上がる、昭和30年の初め頃までは、共同住宅住まいだったので、お風呂も、各家庭には無く、銭湯へ出かけるか、近くの『お風呂』を新設されたお宅で『もらい湯』をさせて頂いた事もあり、自宅の庭に『ガスユニットバス』が『増設』されたときは、なんと快適な生活となったと感じた事を思い出したが、今、思うと『近所の助け合いの輪』の温かさの方が、もっと大きく感じる必要があったのかもしれない。
幼稚園の頃までは、時々停電することがあり、お隣から『ローソク』を貸して頂いたこともあるような、暖かき良き時代でもあった。

再放送があれば、もう一度ゆっくり見たい番組であった。

*+**
番組終了後、この『アッタアッタ』で盛り上がってきた『ワイガヤ』に、今、宿題で悶々としている、冒頭の『ネタ』を、参加メンバーへぶつけてみた。

たまたま持参の『タブレット』に、書きかけていたトップページのPP画面を落とし込んでいたので、TV画面にアップしてみた。
『おもろいやんか~』と、次の盛り上がりへ・・

たしかに、さっきの番組ではないが、今は、我々の身の回りで、不自由な物はなく、
『欲しい』『買ってみたい』と思うものは少ない・・・
たしかに『なぜ』である。
『テレビも壊れたから買替える』『あえて大型有機ELは欲しくない』
『せいぜい、ネットで好評のトースターは、潰れる前に、嫁はんが』
『消費は美徳ではないが‥どうすれば売れるのか』
『買ってもらえるのか』

『WALKMAN』は、会社入って暫くして買うたけど・・
あれは『画期的やった』『通勤時の電車で英語が勉強でけたで』
『音楽、聴いとったんとちゃうの??』
『でもこの後『i-Pod』が出たときは、子供の方が先に買うとった』
『確かに、音源がパソコンから簡単にダウンロードできたが・・』
『これも、スマホ出現で、なくなってしもた』

こうやって見てみると、Konちゃんが書いとる
『売れる商品』はどないして作るんや・・が問題である
日本は、『海外の後追いすらできない』『中国の後塵や』
『商品開発』を邪魔しているのが、最近の会社経営の問題で、
一昨年やったか、このメンバーでも問題にした、
『TPM』や『SDGs』なんかが、研究者、技術者の足かせに
なっていなければいいのであるが。
経営側も、直結する『利益』だけ追っかけていると、
今の『コロナ渦』での『治療薬』『ワクチン』のように、
日本からは出てきにくくなる。
ただ、ここ20年ほどの『基礎研究』『基盤技術整備』が、
『ガタガタ』の所は否めない。

それと『なぜ物が売れないのか』という点では、『情報過多』の部分もある。
『本当に欲しい物』が必要とない世の中で、少し人と差別化しようと新しいものを探しても
、すぐに『ここだけの物』『ニッチ商品』などで紹介され、すぐに『あたりまえ商品』となってしまう。
『人より優れたもの』『いいもの』と共に、『自分だけの物』で『優越感』も必要なのではないか。
昔から、開発のコンセプトが『軽薄短小』といわれたが、これに『奇・少』を加えないと、本当に欲しい物にはならないと思うが、『現経営』をみると、『ベンチャー企業』でも難しいかもしれない。

話は少しそれるが、昨今、若い方々は、レストランの選定にネット検索で『評点』の高い所を選ぶ傾向にあるが、食事後の満足が『味の良さ』ではなく『評点の高さへの吟味』だったとのバカげた話もあり、『価値観』が変わってきた可能性もある。
こうなると、これからの『新しいもの』の開発は、なおさら難しくなってくる。
『Rich感』『Look』『機能』に加えて、『+α』が何なのかも考える必要がある。

『コスパ』という言葉があるが、本来は『価格』以上の『機能(品質・性能)』の意味ととらえるが、最近では、『ユニクロ』のように『そこそこの物』を『安く』の感があり、あらたな『製品設計』が必要となる可能性もある。

ここへ、『環境にやさしい』『Eco』を、こじつけでも付け加える必要があり、『欲しいもの』として生み出すことがさらに難しくなっている。。

・・・こんな『話』が、『元技術屋』の『ボヤキ』として、
多数飛び出してきたところで・・
今日の主催者から・・・
『なんで、こないな、PP作るんや』との質問が・・・
今日の集まりとは別の、早期定年後『コンサル』へ『転身』した友人から・・
『そろそろ潮時なので引退』・・とのメールが飛んできた・・
65歳で『再出発』した仲間の何人かも、この『コロナ渦』の中で『廃業』
『古希』という事が、『引退理由』なのかと思い悩んでいた所へ
『最終講和』『総括講和』的に・
 『新しい商品を生み出すためにはどうすれば』といった
『漠然』とした『ネタ』提供の要請があり・・
たまたま、物置の『断捨離』で見つけた『ウオークマン』から
『新しいものを開発するには』との思いをまとめた・・ と説明

ただ、昨今、小生が『黒子』で書いている『技術ネタ』も・・・
だんだん『周回遅れ』となりつつあり、
これでいいのかと、『技術の旬』を感じていることも、話してみた。
この『古希』が、一つの『時代遅れ』の『主因』という事であれば・・・
今、政府が進めている『70歳定年』という事も、考え直す必要がある・・・
こんな思いを、参加の『元技術者』に聞いてみたいとも・・・

確かに、我々の時代は・・
まだ『一世風靡』し、『全世界で愛される製品』を追い求めていたが
今、これらを『開発』している『若い技術者』たちはどうなのか

昨今、身の回りでは、『便利な物』が溢れかえり、
『あたりまえ』が『あたりまえ』となっている。
こんな中、『なぜ・どうして』と、『思う』事が少なくなり、
『めんどくさい』と『感じる』事も、少なくなっている

こうなると ・・
『わくわくさせる製品』は、出てこないかもしれない

この『WALKMAN』の後、『次の扉』を、こじ開けた物は
『スマホ』だが、『日本製』は『世界を席巻』出来ていない。
なぜなのだろう『先頭』を走ることができなくなったのか?

『古希』を迎えた『元技術屋』が、次の世代へ残せるものが 
何かないか。伝えるべきことがないか・・今一度考えて見たい

かって、我々の少し先輩が、日本の高度成長期で追い求めた
『 Japan as Number One 』を、今一度呼び戻すことの必要性。 
もし、再来させるのであれば、『何が必要なのか』

このためにも・・
『日本が世界一』『Made in JAPAN』で誇れた物は何だったのか・・
日本が 『世界をあっと驚かせた製品』を思い起こすことも
必要なのかもしれない。今日の番組の様に

そして、『プロジェクト X』ではないが、その開発が・・
『どんな必然性から』 『どんな思いから』始まり、
『苦労したことが、どんな事だった』か・・・
今一度、整理し、思い起こすことも必要だろう。

たぶん・・・ 今、我々のような『古典技術者』と
なるつつある者が語り継がないと
『産業界』の中で、語れる人はいなくなってしまう可能性がある。
これらの『開発』での『進め方』は、今に通じるかもしれない。

今の日本を思うとKonチャンが言うように
 『世界をリードする基盤技術』は数少ない 
   ・世界から学ぶことのほうが多い?
 『世界をワクワクさせる』製品を作り出せていない
   ・自動車、家電製品、電子機器
 『産業を支える技術』『黒子』としてはまだ健在? 

このままだと・・・大変なことになる
Konチャンが書いている、
『研究開発・技術開発のありかた』
・営業活動の弱体化 
  ⇒ 市場ニーズ、市場動向の把握ができない
・『わくわく感』のある製品展開
  不自由からのひらめき(想造性から創造性へ)
と、これまで日本が培ってきた
・『わいがや』などでの『チーム力』の重要性
 は『ディベート力』にもつながり
 ⇒ 『ひらめき力』向上につながるのは間違いない

と・・・締めくくってくれた。

次回もこの『ネタ』で『ワイガヤ』…という事で、散会となった
楽しい会であった。
::;;:
頂いたアイデアを盛り込み、宿題を完成させたい
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