日々のメモ帳

日常生活での、ちょっと気になった事や、面白かった事などメモしていきます。

今年の課題(『ゆるやか健康管理』と『ほぼほぼ卒婚』)

2019-01-08 15:32:46 | 日記
昨日のMEMOで『年始の話題と今年の課題(その1)』を記したが、定年後の過ごし方についても賀詞メールで示唆に富んだ情報を頂いた。
まだ添付の関連情報を十分に読み解けていないので、追記を書いて行きたいと思っているが、興味が沸いたメールは、下記要約の『非健康的生活の奨め』 『ほぼほぼ 卒婚』の2件であった。

人生設計を考えさせられる内容であり、定年後、頭の中でもやもやしていた事の具体的展開策となりそうな内容であった。
実践できるかどうか判らないが、今年の課題としてみたい。

(1)『非健康的生活』の奨め
先のBLOGに記載した健康管理法/トイレ前後体重計活用を教えてくれた友からである。
彼が実践しようとしている健康管理方法について、詳細な事例を基に検討した経緯が記された長文メールであった。

話しの起こりは、
☆まだ70前であるが、長寿社会と言われる中で、
 自らの健康管理はどうすればいいのか。
 ・健康診断やちょっとした事での病院通いは必要か。
 ・薬を飲み続けてまで寿命を延ばす必要があるのか。
☆一方世の中では
 ・老人の自殺者が70代で急増
 ・寝たきり老人、老々介護が増加 等の記事が氾濫

これらの事実から、
もし健康を害し、寝たきりになったら
   ・・『だれに看てもらうか』
いやだれに『だれに看てもらえそうか』 を
新しい年の初めとして、真剣に考えたとの事。
 (添付の詳細事例は調査中ではある)

 ⇒ 長く生きて楽しいかどうか
 ⇒ 長く生きて喜んでくれる事(人)があるか
 ⇒ 人生設計をどうするか(お金、介護、身の周り等々)
という現実とどう向き合うかが大きな課題と書かれていた。

さらには、老人が増加する事で、日本全体として
 ⇒ 国民健康保険、老人医療費の負担
 ⇒ 介護施設増床対策
 ⇒ 介護ヘルパー問題(海外からも含め)

等の現実問題があり、高福祉国家を目指すこともいいが、今の経済が維持できなくなった時、子や孫の若い方への負担も気になる所との記載もあった。
(政府や関係機関の高齢化、これに伴う寝たきり老人増 という具体的数値のシミュレーションを基に、外国人介護従事労働者受け入れの必然性をきっちり議論してほしいとも書いていたが、どうなのであろう)   

高齢者は、お年玉をあげる事より、自らの貯蓄を増やし『介護の自力化』を考えておく必要があるのでは・・
この事は政府の少子高齢化対策も自助努力ではなく自己責任へ見直す必要があるのでは・・

このままほっておくと
介護離婚、家族崩壊、親族縁切、介護破産、などが起こるのではとの厳しい意見も書かれていた。

定年後、残りの人生をどう意識的に生きれるかを常々考えた結論との事。

たしかに、小生も高齢に向かうものとして、
 ・先の事、人生設計を何も考えていない
 ・だれかが介護してくれるのでは
 ・少しのお金があれば大丈夫なのでは
という甘えがあった事は否めない。

小生は幸いな事に、定年までに家内の両親を含め看取る事が出来、老人介護の現状を知りえない所であるが、今年の年賀状には何人かの友人から、両親介護の事が書かれており、高齢化社会で長生きすればするほど、老老介護負担が大きくなる事は事実である。

さらには『だれに看てもらえそうか』を考えると、
家内も過去大きな病気をしており負担はかけれない。ましてや、独身の子供に負担をかけるわけにはいかない。

考えさせられるメールであった。

ここから本題との事で、
『健康管理の一つの考え方』として、人生を楽しめる事を優先した
『非健康的生活』を過ごす・・と書かれていた。

『非健康的生活』と言う言葉に代わる適切な言葉が見つかっていないので、刺激的な言葉ではあるが、
元気で自立できる『健康寿命を延ばすにはどうするか』・・との事。

本文に『健康寿命』と『寿命』との違いが書かれており、昨年3月頃の政府発表を受け、NHKの健康番組や新聞記事などにも出ているとの事。
健康年齢とは、日常生活に制限がない年齢との事で、自立して生活できている年齢との事。現在(2016年の統計)の健康年齢は、男性72.14才、女性74.79才で。統計開始の2001年の男性69.40才からも大きく伸びている。
一方『寿命』という統計的な年齢は、男性80.98才、女性87.14才であり、健康年齢との差異、約10年が生活習慣病や寝たきりで、自立して生活できない期間とみなせるとの事。
詳細は政府広報に色々な事が書かれているので勉強してみたいが、要介護は75才以上で増加しているようである。

ここからが彼の持論であるが
健康的で自立した生活を維持していくためには
・食事は暴飲暴食をしない程度に。食事制限はしない。
・健康診断は年1回のみ(車の車検と同じ)
・無駄な診断、薬は飲まない
・無理をせずに体を動かす
 (スポーツジムなどへは行かない)
・データー管理する
 (体重、歩数、排便量、さらには食事内容と量
            など計れるものすべて)
をしっかり行なえばいいのではないかとの事。

良く健康のために
『あれをしなさい。これをしなさい。これが必要』という
アドバイスは多いが
受け身の健康管理を事を一旦排除してみる。
これを、 
『非健康的生活』と名付けたとの事。

老後をみてくれる子供達にとって、寝たきりを含めた、寿命まで生きれば大変迷惑がかかる
・・との思いからとの事。

最近本屋で見た本にも、同じ内容が書かれていたものがあった。
寝たきりにならずに『ぽっくり死ねる』方法であったが、
健康年齢を全うするためには、体は無理をせず、頭を使う事が重要そうである。

確かに彼のように自己管理が出来れば、歩く歩数から体調を維持し、排便量から健康状態を読み取れるので、『医者いらず』になるのかもしれない。

さらにまとめとして、
どうすれば長生きできるかではなく、
迷惑をかけずに生き延びる方法を考える事が重要と記されていた。

あわせていくつかの本の紹介もあり、
『薬』を飲み続けての生活維持。ほんとに幸せか。
『点滴、胃ろう』までしての延命。家族にとっては。
との、健康管理の先に行きついた所での医療の必然性について問いかけられた。

小生の父親も、脳梗塞のあと意識が戻らないままで約半年間、チューブを付けたままで命を延したが、家族にとって大変だった事は間違いない。
自分は迷惑をかけたくないとの思いもあるが、これだけは天命である。
今すぐの『健康管理法』と共に、いざとなった時の事を考えておく事の重要性を再認識する内容であった。

彼の『非健康的生活』を『ゆるやか健康管理法』に名前を変えては・・と折り返した。

『ゆるやか健康管理法』
どんな内容にするか、急いで検討する課題としたい。

(2)『ほぼほぼ 卒婚』
これは、昨今『定年離婚』や『卒婚』が話題になっているが、小生の定年後の行動をうらやましがった友人からのメールで、『卒婚』にソフトバンクの広告で有名となった、ほぼほぼを付けたとの事。

ネットで『ほぼほぼ』の意味を調べると、ほぼを2回言うことで、ほぼを、強調した言い方で、完全に近い「ほぼ」より、さらに完全に近い状態という意味らしい。要するに『卒婚』していないが『卒婚』と同じことに見えるようである。

小生は昨年定年後、
・家内の定年前までの自立した生活の継続
・自宅ゴロゴロの粗大ゴミ回避
・勉強。うまくいけばコンサルタント受注
を目的として、毎日レンタルオフィスへ通う事とした。
月曜日から金曜日、朝9時から夕方16時まで。
『粗大ごみ対策室』と名付けている。
スタート時の記事2日目昨年年初に詳細は記載している。

さらに、一昨年は50日かけて北海道一人旅昨年は2居点移住の可能性を求めて5ヶ月長期滞在
自宅を離れて、別居生活をした。

定年後、どうしても家にいると夫婦間のトラブルが起こりやすく、『離婚』や同じ屋根の下で暮らしても『卒婚』とするなどの事も多いようである。

小生も現在は『粗大ごみ対策室』へ通う事と、毎日リビングなどの掃除、自分の洗濯物干し(自動洗濯機へ入れるまではやってくれるが)、家内がニットカフェ開催日の夕方の食事作り(月2回程度)、土曜日から月曜日までの食器洗いを引き受け、残りの時間はできるだけ双方の時間を大事にしている。
一種、同居人と同じような体制で生活を送っているが、これでも時々衝突する事もある。

テレビでは『人生の楽園』などで、夫婦二人での生活が紹介されるが、なかなか同じ方向を向いての生活は難しいとの感じている。
特に遠隔地の山野や畑地への移住となると、虫の飛来やトイレの問題で避けられる可能性があり、今までの便利さや都会の華やかさが満喫できなくなる事を強要する事はかなり困難かと思われる。

このため『ぽつんと一軒家』等に男のロマンで、定年後自力で家を建てた事なども紹介されているが、価値観の違いは、長年サラリーマンなどで生活をしてきた男性と違う事なのかもしれない。

定年後自宅脱出のためアルバイトをされる方もあるが、年金である程度の生活をしていれば、あえて稼ぐ必然性も少なく、この不満がさらに夫婦間の険悪を助長する事もあると聞いており、居場所作りが重要となってくる。
毎日ゴルフ、パチンコ、スタバではお金が持たないし、図書館だけだと席の確保も難しく、今お邪魔しているオフィスなどは最高と考えられる。
夫婦で定年前から共通の趣味や、旦那と一緒に出掛けるボランティァ活動等があれば良いが、定年前に準備が出来ていなければすぐには無理である。

ただ『ほぼほぼ 卒婚』でも時々は一緒という事も必要なのかもしれない。これが出来ないと完全離婚となってしまいそうである。

『子は鎹』と言われるが、定年までに卒業して家を出たり、結婚したりするとどうしても共通でつなぎとめるものが無くなり、日常、無機質の会話になる可能性がある。さらに、子供がいても、定年までの普段日常の生活の中での接触はどうしても家にいる母親となり、定年後の男性が阻害視されることも友人から聞かされたことがある。娘と奥様二人で、毎朝ばい菌扱いで追い出されるとぼやいていた。・・

さらにもう一点、この前の項で少し触れたが、双方の両親の介護が絡むと大変な事になるらしい。
ある友人は、定年前から奥さんが実家の介護に出かけるようになり、会社勤務の時代はあまり気にならなかったが、定年後、昼間いない事を話した途端、大変な事になったと言っていたが、なかなか難しい所である。
これが逆に旦那の両親の面倒を見る事になると、その負担は大変なものとなるかもしれない。
今住んでいるマンションの方も、定年後実家へもどり、百姓をしながらご両親を見ていると久しぶりにお目にかかった時に話されていた。まさしく2居点移住。当面『ほぼほぼ卒婚』のようである。

サラリーマン時代にもう少し貯えを残せていれば、夢の続きで『ほぼほぼ卒婚』の究極形。
北海道でのコテージ暮らしを実践したいのであるが。
こんな思いの『ほぼほぼ卒婚』同志が集まってのシェアーハウスもいいのではと考えているが。

さらに定年後のライフスタイル設計が良く記事としてネットに出てきているが、
このような夫婦が共生できるためのプランも考えておく必要があり
 『ほぼほぼ卒婚』『卒婚』『定年離婚』
という事も視野に入れた人早めの生設計が必要なのかもしれない。

これとは別にある友人からは、『熟婚』という耳慣れない言葉の年賀状も頂いた。
商社へ勤めていた友であるが、定年後、友人曰く『奥様のかまってほしい病』が起こり、何をするにもベタベタ。濡れ落ち葉どころではないとの事。彼も今までの海外出張などでのほったらかしの罪もあり、まんざらいやではない様で、奥様の意見ではなく、旦那にべたべた付いて回っているとの事。
これが『定年熟婚』。楽しんでいるようで、『粗大ごみ対策室』は不用の様である。

この話を聞いて『ほぼほぼ卒婚』をするのであれば、もっと早い時期からスタートさせ、お互いの価値観を認め合うライフプランの設計が重要かとも感じている。

とりあえず『ほぼほぼ卒婚』をどう維持するか。今年はもう少し考えて見たい。

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