コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

日本言語文化各論Ⅲ 第4回・第5回

2014-11-25 12:13:47 | 鞠水
1人目のゲスト、橋爪充・2人目一柳廣孝編はこちら


第4回、ゲスト3人目は鶴岡法斎さん。
強者揃いのゲストの中でも一番の曲者です。
ツイッターやメールで色々連絡取り合い、一部のやりとりは学生にも見えていましたが、それが担当学生にはプレッシャーになるという……。

私の狙いとしては、アカデミズムが取り上げるような“サブカル”という妙なステイタスの向こう側に、取り上げられること無く消費され消えていく、“文化”と名付けるのもはばかられるような何かについて、教室で考える、ということで。それはまさに“ノイズ”なわけです。
妙な物で、江戸文化の紹介で春画を取り上げるのは、とりあえず事前にどんな物か話しておけばまぁ可能だし、実際卒業研究で扱っている同業者もいるらしい。しかし、AVの研究、となるとハードルは高い。上澄みだけで生きてるわけは無いし、今日びの学生たちは、情報だけは持ってるんだから、ちゃんと扱った方が安全だとも言えるんだけれど(あぁ、性教育・避妊教育などの議論でもそういうのありましたね)。
どうも、"真善美"とか、"倫理"とかがくっついてくる文学・芸術観にはなじめない。そういえば随分前に、芸術は毒で、学問は取り扱い方法を学ぶ場なんだというようなことも仰ってましたね

法齊さんは、自分は教師に向かない、と言うのだけれど、初対面の時から一貫して、“教育”に対する過剰とも思える思いを感じていたし、実際“学問”観は全く共有しているので、突発的な危険が無い限りおまかせでいこうと。

担当学生は、やる気が空回りというか、“テンパって”しまい、想定していた“地雷”までたどり着くこと無く、手前でダメ出し。途中2回の“作戦会議”を許し、ヒントも出してくれるのだけれど、もう軌道修正が出来ない。
自分の学生時代を考えれば、やっぱりこうだっただろうな、と思わないでも無い。

つまり、せっかく予習してきた本題に入ること無く、インタビューそのものについて考える時間になったというわけで。


終了後、図書館で続き、更に居酒屋、そして最後は10年程前、法斎さんが集中講義をされた時に学生だったコニ研OBが店長をつとめるライブバーへと言う流れだったのだけれど、授業のいたたまれない雰囲気が災いしたのか、最後までつきあったのは担当の2人のみ。
だんだん打ち解けて、訊きたいこと、話したいことが少しずつ絡み合っていけるようになる。


まぁ、アフターは強要できないのだけれど、色々授業の裏側の話もあり、最後までつきあって初めて見えてくる物があるのだよな、と。

前に、表象文化論学会のあとロフトプラスワンの深夜イベントに行った時のことを思い出した。やっぱり“現場”でしか起こりえないことを教室に持ち込むのは無理があるのだよな。
最後は一蘭の朝ラーで解散。
まぁ、批判もありうる破格の授業かも知れませんね。

翌週(第5回)の“反省会”では、担当者以外からはどう見えていたのか、と言う話など。
最終的に法斎さんの株は上がる。
インタビューのあり方、と言う問題に関してもたくさんのヒントがもらえたんじゃ無いかと思う。
仕組んだわけでは無いのだけれど、一柳さん、法斎さんという流れは非常に良かった。

今回私にとっての課題は、インタビューの手法や心構え以前に、“教育”と言うことそのものだったように思う。
普段は理想を言いながら、実際には半ば諦めて、要求水準に達しない学生についてはまぁいいか、と済ませてしまうことがある。そこでダメ出しをして、やりなおさせて、と言うことを続けるのは他の学生にとっては迷惑なはなしだし。色々言い訳をつけて、次に進んでしまう。或いは自己責任とか。
一人一人の学生にしっかり向き合って厳しく指導すること。当たり前のことなのにね。

というわけで、肝心のインタビューは完結していません。
担当者2名と法斎さんはLINEなどで連絡を取り合っているようで、年度末までに現場を踏まえたインタビューを行うことになっています。
非常に楽しみ。

 

次回は11/25(今日!)、ゲストは東工大の野原佳代子さん
科学者のコミュニケーションとか、翻訳とか、サイエンスとアートとか、盛りだくさんです。

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