門前塾発表会。
大雨警報の中、閑散、と言う事にはならなかったし、そこそこ笑いもとれてたし、よかったね。
個別のプレゼンについて、その中身について、色々コメントしたい事があるけれど、それは、時間があったら書く事にして、全体の事。
褒めたい事も、沢山あるのよ。ほんとほんと。
今日で、もやもやが晴れた気がする。
解っていたはずの、ずっと感じていた違和感の正体。
たとえば、今日、あの場に大学の教師は私以外にいたんだろうか?
居たか居ないかは結果の問題として、一人一人の学生達は、自分の指導教員を呼んだのかどうか。
社会学科のフィールドワーク報告会の時、私は逆のことを訊いた。
「お世話になった地域の人を呼びましたか?」と。
大学でやる発表会は学生と教員が来ればいい、門前塾は地域社会でがんばる企画だから大学の先生は「かんけーねー」。
門前塾の原点の一つになったコニ研社会見学の、ほぼ第1弾だったアルバイトタイムズ社訪問は、04年だったか。
あのとき、満井さんは、「親御さんと仕事の話をしていますか?」と訊いた。
家族の仕事を深く理解しないで、何が就職活動だ。
親子では却って話しづらい事もあるんだろう。
それも解る。
今日、集まった学生達に問いたい。
「あなたは、ゼミの先生と、本気で話をした事がありますか?」
教師は何なんだろう。
大学はなんなんだろう。
あっぱれ会を始めたのは、その前に彦星先生を大学に呼んだのは、こんな事をしたかったからじゃない。
学生が、大学と向き合うための装置を作ろうと思っていたんだ。
だから、色々雑音は聞こえてきても、私自身、「卒論ミュージアム☆」は、手放しで嬉しかった。
今日話した学生達は、社会からたくさんの事を学ぶ楽しみを知った。
いいことだ。
門前塾の価値を認めるのは、吝かではない。
しかし、この先に私の思い描いたあるべき未来はない。
そのことが、今日、よくわかった。
社会で学ぶ事に喜びを見いだした彼らは、自分の「いま」「ここ」であるはずの大学がもっと良くなるべきだ、と言う事には思いが至らない。
と言うより、大学はただの通過点でしかないらしい。
やれやれ。
これから先、社会の現実に向き合った時に、勝手に「現場」を「通過点」に読み替えるなよ。
「コニタ先生とお話がしたかったんです」と言ってくれた学生も居た。
ありがとう。
別の学生は何度かメールをくれて、私は要領を得ないメールに不満を返したつもりだったけれど、「返事がなかった」という。
話したかった来ればいいじゃないか。
返事がなかったら諦めるくらいなら挨拶になんか来るなよ。
待ってるだけのヤツに与えるえさはないよ。
オトナが親切すぎて、コドモはどんどんバカになる。
彼らは、現実の社会を受け入れて、どう生きるか、と言う事について学んでいる。
しかし、現実の社会を変えると言う発想はない。
そういうコドモを作ってしまったのは、申し訳ないけれど、やっぱり「団塊」だと思う。
あなた方は、勝手に盛り上がって勝手に挫折したんだ。
社会は変わらないよ、って、にやりわらって。
そのツケがこれだ。
作戦変えないとね。
今日は勉強になりました。
大雨警報の中、閑散、と言う事にはならなかったし、そこそこ笑いもとれてたし、よかったね。
個別のプレゼンについて、その中身について、色々コメントしたい事があるけれど、それは、時間があったら書く事にして、全体の事。
褒めたい事も、沢山あるのよ。ほんとほんと。
今日で、もやもやが晴れた気がする。
解っていたはずの、ずっと感じていた違和感の正体。
たとえば、今日、あの場に大学の教師は私以外にいたんだろうか?
居たか居ないかは結果の問題として、一人一人の学生達は、自分の指導教員を呼んだのかどうか。
社会学科のフィールドワーク報告会の時、私は逆のことを訊いた。
「お世話になった地域の人を呼びましたか?」と。
大学でやる発表会は学生と教員が来ればいい、門前塾は地域社会でがんばる企画だから大学の先生は「かんけーねー」。
門前塾の原点の一つになったコニ研社会見学の、ほぼ第1弾だったアルバイトタイムズ社訪問は、04年だったか。
あのとき、満井さんは、「親御さんと仕事の話をしていますか?」と訊いた。
家族の仕事を深く理解しないで、何が就職活動だ。
親子では却って話しづらい事もあるんだろう。
それも解る。
今日、集まった学生達に問いたい。
「あなたは、ゼミの先生と、本気で話をした事がありますか?」
教師は何なんだろう。
大学はなんなんだろう。
あっぱれ会を始めたのは、その前に彦星先生を大学に呼んだのは、こんな事をしたかったからじゃない。
学生が、大学と向き合うための装置を作ろうと思っていたんだ。
だから、色々雑音は聞こえてきても、私自身、「卒論ミュージアム☆」は、手放しで嬉しかった。
今日話した学生達は、社会からたくさんの事を学ぶ楽しみを知った。
いいことだ。
門前塾の価値を認めるのは、吝かではない。
しかし、この先に私の思い描いたあるべき未来はない。
そのことが、今日、よくわかった。
社会で学ぶ事に喜びを見いだした彼らは、自分の「いま」「ここ」であるはずの大学がもっと良くなるべきだ、と言う事には思いが至らない。
と言うより、大学はただの通過点でしかないらしい。
やれやれ。
これから先、社会の現実に向き合った時に、勝手に「現場」を「通過点」に読み替えるなよ。
「コニタ先生とお話がしたかったんです」と言ってくれた学生も居た。
ありがとう。
別の学生は何度かメールをくれて、私は要領を得ないメールに不満を返したつもりだったけれど、「返事がなかった」という。
話したかった来ればいいじゃないか。
返事がなかったら諦めるくらいなら挨拶になんか来るなよ。
待ってるだけのヤツに与えるえさはないよ。
オトナが親切すぎて、コドモはどんどんバカになる。
彼らは、現実の社会を受け入れて、どう生きるか、と言う事について学んでいる。
しかし、現実の社会を変えると言う発想はない。
そういうコドモを作ってしまったのは、申し訳ないけれど、やっぱり「団塊」だと思う。
あなた方は、勝手に盛り上がって勝手に挫折したんだ。
社会は変わらないよ、って、にやりわらって。
そのツケがこれだ。
作戦変えないとね。
今日は勉強になりました。
第1期打ち上げの事。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/428d28614a4ad863b9e722729308ea71
希望はあったんだな。
勢いはあったし、最初はこんなモンだろう、と思ってたからね。