前の記事、社会学科のフィールドワーク報告会で引っかかった
協力者を発表会に呼んでない、という事実は、どこかに“授業”としてのフィールドワーク、という意識を見てしまう。 (なんか文章変だけど、まぁいいか。)
というのは、自分が大学生の時に関わったフィールドワークの経験を映してるんだ、と、さっき気づいた。
私のフィールドワーカー歴(!)は長くて、小学校の時に近所のじいさんに地元の伝説を聞き取りに行ってレポート出して妙に褒められた時から続いてるんだと思う。そのあと伝説の本を買って、親に「現場探訪」させてたし。
褒められると伸びるねぇ!
それはさておき、大学生の時、柴田武の言語地理学の授業で埼玉県内の方言調査をした。一回だったか、2年続けてだったか忘れたけれど、ものすごく大変で、従って、ものすごく面白かったのを憶えている。あのときのアポ取りから実際の訪問、お礼までの段取りは、恐いモノ知らずだったから出来たんだと思うなぁ。
とにかく、調査に関係ないことでも沢山話したし、ごちそうにもなった。犬にも吠えられたし、同じ苗字ばっかりのところで困ったこともあり。
あれも、今の自分を形成してるよなぁ。
その頃、授業とは別に、社会学系のコースの先輩達のフィールドワークを手伝う機会もあって、多分敬語関係だったと思うのだけれど、こっちは、まぁ、雇われみたいな感じ。調査対象も決まっていて、アポも済んでるから、とにかく行って、咄を聞いて調査票に書き込むだけ。それでもその頃の浦和の農家の人たちは親切で、やっぱりごちそうになったり……。
なんだけど、礼状は「主催者」がまとめて出すから書かなくて良いです、と言われて、ちょっとがっかりした。
もちろん、それでも個人的に出すなり、お礼に行くなりすれば良かったんだし、記憶の中で、何かがねじ曲げられてる気もしないではないのだけれど、とにかく(と言う言葉ですませて申し訳ないが)、柴田先生のフィールドワークとのギャップを感じてたのは確かだ。
satopyさん、このへんのこと、憶えてませんか?
間違ってたら訂正して下さい。
あの社会学の先輩、すごかったですね。アクが強い人で。
「おせっ会」を結成して、埼玉会館の食堂で学生主催の謝恩会をやった。
あれも、自分の中の大事な原点です。
だから、静岡大学の「祝賀会」は許せない(このことは前にも書いてるけど、あとで整理します)。
話逸れた。
知らないことは知らない人に訊け!
身近な人からでは情報はすぐに飽和状態になる。
で、人としてつきあうこと。
当たり前なんだけど、「目的」だけでつきあってたら目的そのものも果たせないし、もっと大事な果実に気づく事もできない。
フィールドワークで思い出したこと。もう一つ。
昨日の授業で、ビデオ棚から引っ張り出した、10年以上前のニュース番組の特集パートを見せた。「ゴンザの辞書」の話。
ロシアで最初の日本語辞書を作ったゴンザは薩摩の人だ、と言うのを村山七郎が確かめて……という話の味付けに、外国人が鹿児島の街に取材に行って、辞書にある言葉で買い物しようとするが……という話。デパートではうまくいかず、朝市のおばあさんがいい反応、という。
そのおばあさんは、「ちゃのこ=あさごはん」と言うのを今は使わないが、訊かれて思い出したと言い、これから使いたい、ありがとう、というようなことを言っていた。社交辞令が半分かも知れないけれど、これは、フィールドワークの中で起きる愉しい事件なのだ。
授業でも言ったけれど、私自身も、同じように、「あなたに訊かれて、ずっと忘れていた昔のことを思い出した、有難う」というようなことを、何度か言われている。
こうやって繋がって行ければ学問以上の何かになっていく。
知らない人と接触するのは恐い。
私も本当に臆病だから、よほどのことがなければ自分から声をかけるようなことはしないのだけれど、そういう意味でもフィールドワーク授業というのはチャンスなんだと思う。
「静岡の文化」に出てくれた学生からも、そういう効用についてありがたいコメントをもらっている。
だから続けられる。
中学生君も、楽しい出会いがあったかなあ。
なんだかえらそうなこと書きすぎた。
今の私はそんな立派なモンではありません。
お借りした資料を返し忘れて叱責されたり、たくさんの情報や資料を提供していただきながら棚さらしにしたり、ひどいモノです。
本当に申し訳ありません。
良かった時のこと、ひどいこと、いろんな事があって、今でも胸の痛むことも、恐ろしく沢山あって、だから、学生達が、保護されたまま、授業という仮構された現実を「フィールド」だと思ってしまって欲しくないなと。
協力者を発表会に呼んでない、という事実は、どこかに“授業”としてのフィールドワーク、という意識を見てしまう。 (なんか文章変だけど、まぁいいか。)
というのは、自分が大学生の時に関わったフィールドワークの経験を映してるんだ、と、さっき気づいた。
私のフィールドワーカー歴(!)は長くて、小学校の時に近所のじいさんに地元の伝説を聞き取りに行ってレポート出して妙に褒められた時から続いてるんだと思う。そのあと伝説の本を買って、親に「現場探訪」させてたし。
褒められると伸びるねぇ!
それはさておき、大学生の時、柴田武の言語地理学の授業で埼玉県内の方言調査をした。一回だったか、2年続けてだったか忘れたけれど、ものすごく大変で、従って、ものすごく面白かったのを憶えている。あのときのアポ取りから実際の訪問、お礼までの段取りは、恐いモノ知らずだったから出来たんだと思うなぁ。
とにかく、調査に関係ないことでも沢山話したし、ごちそうにもなった。犬にも吠えられたし、同じ苗字ばっかりのところで困ったこともあり。
あれも、今の自分を形成してるよなぁ。
その頃、授業とは別に、社会学系のコースの先輩達のフィールドワークを手伝う機会もあって、多分敬語関係だったと思うのだけれど、こっちは、まぁ、雇われみたいな感じ。調査対象も決まっていて、アポも済んでるから、とにかく行って、咄を聞いて調査票に書き込むだけ。それでもその頃の浦和の農家の人たちは親切で、やっぱりごちそうになったり……。
なんだけど、礼状は「主催者」がまとめて出すから書かなくて良いです、と言われて、ちょっとがっかりした。
もちろん、それでも個人的に出すなり、お礼に行くなりすれば良かったんだし、記憶の中で、何かがねじ曲げられてる気もしないではないのだけれど、とにかく(と言う言葉ですませて申し訳ないが)、柴田先生のフィールドワークとのギャップを感じてたのは確かだ。
satopyさん、このへんのこと、憶えてませんか?
間違ってたら訂正して下さい。
あの社会学の先輩、すごかったですね。アクが強い人で。
「おせっ会」を結成して、埼玉会館の食堂で学生主催の謝恩会をやった。
あれも、自分の中の大事な原点です。
だから、静岡大学の「祝賀会」は許せない(このことは前にも書いてるけど、あとで整理します)。
話逸れた。
知らないことは知らない人に訊け!
身近な人からでは情報はすぐに飽和状態になる。
で、人としてつきあうこと。
当たり前なんだけど、「目的」だけでつきあってたら目的そのものも果たせないし、もっと大事な果実に気づく事もできない。
フィールドワークで思い出したこと。もう一つ。
昨日の授業で、ビデオ棚から引っ張り出した、10年以上前のニュース番組の特集パートを見せた。「ゴンザの辞書」の話。
ロシアで最初の日本語辞書を作ったゴンザは薩摩の人だ、と言うのを村山七郎が確かめて……という話の味付けに、外国人が鹿児島の街に取材に行って、辞書にある言葉で買い物しようとするが……という話。デパートではうまくいかず、朝市のおばあさんがいい反応、という。
そのおばあさんは、「ちゃのこ=あさごはん」と言うのを今は使わないが、訊かれて思い出したと言い、これから使いたい、ありがとう、というようなことを言っていた。社交辞令が半分かも知れないけれど、これは、フィールドワークの中で起きる愉しい事件なのだ。
授業でも言ったけれど、私自身も、同じように、「あなたに訊かれて、ずっと忘れていた昔のことを思い出した、有難う」というようなことを、何度か言われている。
こうやって繋がって行ければ学問以上の何かになっていく。
知らない人と接触するのは恐い。
私も本当に臆病だから、よほどのことがなければ自分から声をかけるようなことはしないのだけれど、そういう意味でもフィールドワーク授業というのはチャンスなんだと思う。
「静岡の文化」に出てくれた学生からも、そういう効用についてありがたいコメントをもらっている。
だから続けられる。
中学生君も、楽しい出会いがあったかなあ。
なんだかえらそうなこと書きすぎた。
今の私はそんな立派なモンではありません。
お借りした資料を返し忘れて叱責されたり、たくさんの情報や資料を提供していただきながら棚さらしにしたり、ひどいモノです。
本当に申し訳ありません。
良かった時のこと、ひどいこと、いろんな事があって、今でも胸の痛むことも、恐ろしく沢山あって、だから、学生達が、保護されたまま、授業という仮構された現実を「フィールド」だと思ってしまって欲しくないなと。
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