「講演会:人と生きものが集う森・里山~動物行動学者・日高敏隆氏から見る自然」
主催:静岡県 企画・運営:NPO法人しずおか環境教育研究会
静岡県県民部環境局自然ふれあい室森づくりスタッフと言うところが管轄する「しずおか里山体験学習施設 遊木の森」と言うところの企画だと思っていたんだけれど、まぁ、大きく言えば、県か。
で、モーターボート競争の団体の冠付きだったのかも知れない。
その辺はなはだ不透明なんだけど、とにかく日高敏隆が静岡で講演をした。
私にとっては、学部生時代からの、あこがれの人だ。
正直、松田修を知るより、高田衛を知るより、もっと前に知っていた。
憧れていた人だ。
講演会と言うより、会場にいた某氏の言葉を借りれば「ファンの集い」。
ほぼ、質疑応答というか、ファンがそれぞれに「熱い想い」をぶつけるのを、大先生が痛快に捌くという……。
その某氏も言ってたんだけど、質問(と言うか、しゃべくり)の内容は、ホントに「キレイ」。
「私はこんなに自然と共生してますよ、褒めて下さい」と言わんばかり。
しかし、大先生は「それ、ホントの自然じゃないでしょ」とかわす。
講演は、最初「里山」という言葉は、昔からあった訳じゃないんだよなぁ……、から始まり、人工的な自然体験教育公園としての「里山」の展開について、自然とふれあい、観たい物が簡単に観られるようになったことを悦ばしく思う、と評価するコメントがあり……。
で、「会場の皆さんの里山体験を聴かせて下さい」と言うことになったのだけれど、会場は、いきなり質問したり、里山とは関わらない体験談を語りはじめたり……。
最初(だったと思う)の質問がいきなり「ニホンミツバチを誘導して飼う方法」で、答えが、「人間くさい虫は余り好きではないからよく解らない」。
……素晴らしい!
発言者の多くは「自然体験教育(あるいは啓蒙)」活動をしている人達のような印象(あくまでも、印象です)。
しかし、日高先生の虫との出逢いは、そして、研究は、本物の自然の中にいる生き物だ。
そこには、恐い物、危険な物、汚い物、醜い物、臭い物……、たくさんのネガティブな要素がある。
そして、解らないことだらけだ。
公園としての「里山」には、そういう物がない(ホントはあるんだけどね。指導員は「解らない」「知らない」とは言いたくないのかな)。
もし、自治体や企業が運営している「里山」(むしろ森林公園と呼ぶべきだ)で、子供が毒虫に刺されたら親は黙っていないだろう。
私の知っている「山」は、原生林ではなく人が出入りする雑木林のような物だったけれど、そういう危険がいくらもあった。
毒虫も、食べてはならない植物も、危険な崖もある。
とがった枝や竹の切り口でひどいケガをすることもある。
……こう書いていると、柿の渋さが、竹を踏んだ時の激痛が、ありありと再現される。
そういう体験を通して「自然」の面白さを「発見」するのだ。
大学生の頃、埼玉の森林公園にみんなで行って、「自然は良いねぇ」等と仲間が言っているのをながめつつ、私の目には自然が全く見えなかったのに仰天した記憶がある。
四半世紀前の話だ。
数年前、どこかの水族館で、さわれる潮だまりの展示をしたのを見たことがある。
しかし、そこには、学芸員が持ってきた物しかない。
図鑑と見比べて納得できる自然。
自然というのは、書物よりも前からあるんだよ。
「指導員」の知っている「自然」。
「ほら、ここに、“○○虫”がいるよ、毒はないし、こうやって触ればつぶさずに済むから大丈夫だよ」
なんて言われて子供が虫好きになるわけがない。
子供は、親も知らないような場所で、自分だけの発見をしたいのだ。
初めて見る不思議な生き物に、一番最初に触って、それでかぶれてしまっても隠し通して、次に近づく仲良しに自慢したくて仕方ないんだ。
強く握りすぎて内臓を破裂させ、トンボ釣りで気がついたらクビからちぎれ……。
そういう体験を排除して、「自然とふれあいましょう」なんて、家の中でゲームをしているのと全く変わらない。
そういうことを、もう、オトナが解らなくなっている。
もっとはっきり言おうか。
解らないオトナが、そういう活動をしてる。
自然を知っている人は、「体験しましょう」なんて言わないよ。
「色んな種類の虫がいますが、好きなのはどれですか?」
と言う質問が、「色んな肌の人間が居ますが」と問うのと同じ発想だと気づかない貧困。
日高氏は、その一つ一つに、誠実に「わかりません」と答える。
「蛇嫌いは人間の本能だそうですが、私は蛇が好きです」という質問。
「蛇嫌いの本能」なんて、誰がどこで決めたやら。
“生まれつき蛇が嫌いな人”と言われて手を挙げた人が居たから驚き。
なぜ“生まれつき”だと判るのだい?
何か漠然とした危険を予測して行動することは、もしかしたら人間にも備わっているのかも知れない。
それを、安全なものだけ与えておいて、自然と共生して生きる力なんて、ねぇ。
あぁ。
なんだか悪態オンパレードになった。
しかし、私はこの“講演会”に大満足だった。
日高氏は、一貫して、媚びることなく、誠実に、あるいは冷徹に、科学者であり続けた。
解らないことを解らないと言い、論理的な検証に堪えうることしか仰らなかった。
自然というのは、優しく美しいだけの物じゃないと言うことも、ちゃんと仰った。
研究者や教育者は、否、職業に関係なく、
知らないことを知っているように取り繕うのはやめよう。
解りやすい物語にして理解したつもりになるのはやめよう。
私は、こういう科学者でありたい、と、改めて思った。
休憩時間に質問を書いて出したのだけれど私の質問
「公園としての里山は本当に必要だと思いますか」
は、取り上げられなかった(主催者が選択)。
あ、“茶の世界”を受講している学生が来てたな。
あとで感想を聞いてみよう。
長くなった。
本当は、私の日高氏への“熱い想い”を書きたかったんだけれど、それはまた別の機会に。
主催:静岡県 企画・運営:NPO法人しずおか環境教育研究会
静岡県県民部環境局自然ふれあい室森づくりスタッフと言うところが管轄する「しずおか里山体験学習施設 遊木の森」と言うところの企画だと思っていたんだけれど、まぁ、大きく言えば、県か。
で、モーターボート競争の団体の冠付きだったのかも知れない。
その辺はなはだ不透明なんだけど、とにかく日高敏隆が静岡で講演をした。
私にとっては、学部生時代からの、あこがれの人だ。
正直、松田修を知るより、高田衛を知るより、もっと前に知っていた。
憧れていた人だ。
講演会と言うより、会場にいた某氏の言葉を借りれば「ファンの集い」。
ほぼ、質疑応答というか、ファンがそれぞれに「熱い想い」をぶつけるのを、大先生が痛快に捌くという……。
その某氏も言ってたんだけど、質問(と言うか、しゃべくり)の内容は、ホントに「キレイ」。
「私はこんなに自然と共生してますよ、褒めて下さい」と言わんばかり。
しかし、大先生は「それ、ホントの自然じゃないでしょ」とかわす。
講演は、最初「里山」という言葉は、昔からあった訳じゃないんだよなぁ……、から始まり、人工的な自然体験教育公園としての「里山」の展開について、自然とふれあい、観たい物が簡単に観られるようになったことを悦ばしく思う、と評価するコメントがあり……。
で、「会場の皆さんの里山体験を聴かせて下さい」と言うことになったのだけれど、会場は、いきなり質問したり、里山とは関わらない体験談を語りはじめたり……。
最初(だったと思う)の質問がいきなり「ニホンミツバチを誘導して飼う方法」で、答えが、「人間くさい虫は余り好きではないからよく解らない」。
……素晴らしい!
発言者の多くは「自然体験教育(あるいは啓蒙)」活動をしている人達のような印象(あくまでも、印象です)。
しかし、日高先生の虫との出逢いは、そして、研究は、本物の自然の中にいる生き物だ。
そこには、恐い物、危険な物、汚い物、醜い物、臭い物……、たくさんのネガティブな要素がある。
そして、解らないことだらけだ。
公園としての「里山」には、そういう物がない(ホントはあるんだけどね。指導員は「解らない」「知らない」とは言いたくないのかな)。
もし、自治体や企業が運営している「里山」(むしろ森林公園と呼ぶべきだ)で、子供が毒虫に刺されたら親は黙っていないだろう。
私の知っている「山」は、原生林ではなく人が出入りする雑木林のような物だったけれど、そういう危険がいくらもあった。
毒虫も、食べてはならない植物も、危険な崖もある。
とがった枝や竹の切り口でひどいケガをすることもある。
……こう書いていると、柿の渋さが、竹を踏んだ時の激痛が、ありありと再現される。
そういう体験を通して「自然」の面白さを「発見」するのだ。
大学生の頃、埼玉の森林公園にみんなで行って、「自然は良いねぇ」等と仲間が言っているのをながめつつ、私の目には自然が全く見えなかったのに仰天した記憶がある。
四半世紀前の話だ。
数年前、どこかの水族館で、さわれる潮だまりの展示をしたのを見たことがある。
しかし、そこには、学芸員が持ってきた物しかない。
図鑑と見比べて納得できる自然。
自然というのは、書物よりも前からあるんだよ。
「指導員」の知っている「自然」。
「ほら、ここに、“○○虫”がいるよ、毒はないし、こうやって触ればつぶさずに済むから大丈夫だよ」
なんて言われて子供が虫好きになるわけがない。
子供は、親も知らないような場所で、自分だけの発見をしたいのだ。
初めて見る不思議な生き物に、一番最初に触って、それでかぶれてしまっても隠し通して、次に近づく仲良しに自慢したくて仕方ないんだ。
強く握りすぎて内臓を破裂させ、トンボ釣りで気がついたらクビからちぎれ……。
そういう体験を排除して、「自然とふれあいましょう」なんて、家の中でゲームをしているのと全く変わらない。
そういうことを、もう、オトナが解らなくなっている。
もっとはっきり言おうか。
解らないオトナが、そういう活動をしてる。
自然を知っている人は、「体験しましょう」なんて言わないよ。
「色んな種類の虫がいますが、好きなのはどれですか?」
と言う質問が、「色んな肌の人間が居ますが」と問うのと同じ発想だと気づかない貧困。
日高氏は、その一つ一つに、誠実に「わかりません」と答える。
「蛇嫌いは人間の本能だそうですが、私は蛇が好きです」という質問。
「蛇嫌いの本能」なんて、誰がどこで決めたやら。
“生まれつき蛇が嫌いな人”と言われて手を挙げた人が居たから驚き。
なぜ“生まれつき”だと判るのだい?
何か漠然とした危険を予測して行動することは、もしかしたら人間にも備わっているのかも知れない。
それを、安全なものだけ与えておいて、自然と共生して生きる力なんて、ねぇ。
あぁ。
なんだか悪態オンパレードになった。
しかし、私はこの“講演会”に大満足だった。
日高氏は、一貫して、媚びることなく、誠実に、あるいは冷徹に、科学者であり続けた。
解らないことを解らないと言い、論理的な検証に堪えうることしか仰らなかった。
自然というのは、優しく美しいだけの物じゃないと言うことも、ちゃんと仰った。
研究者や教育者は、否、職業に関係なく、
知らないことを知っているように取り繕うのはやめよう。
解りやすい物語にして理解したつもりになるのはやめよう。
私は、こういう科学者でありたい、と、改めて思った。
休憩時間に質問を書いて出したのだけれど私の質問
「公園としての里山は本当に必要だと思いますか」
は、取り上げられなかった(主催者が選択)。
あ、“茶の世界”を受講している学生が来てたな。
あとで感想を聞いてみよう。
長くなった。
本当は、私の日高氏への“熱い想い”を書きたかったんだけれど、それはまた別の機会に。
会場で合流した某氏(kanagonさんも御存じの人ですが)のコメント引用しちゃおかな。
恐い物、危険な物、汚い物、醜い物、臭い物。。日高氏にはすべて同じものだということをあそこにいたひとで何人がわかったのでしょうか?
「花はきれいだから抜いちゃダメ!雑草だけにしなさい」。。
そんなことを言えるんだろうな彼らは。
花も雑草であること、、ゴキブリもカブトムシも違いないこと。。。
次元が違いすぎて日高氏も答えようがないですよね。
オトナをナントカしないといけません。
kanagonさんちは楽しそうだなぁ。
本当にそうですね~
山里だけに虫がいるわけではないし、すぐそこにもいろいろな虫がいっぱいいます。人は山里には理想的な(カブトムシとか)虫を求めるけれど、自分の家に侵入してくる虫は排除したがります(庭でもたくさん殺します)人間中心のご都合自然。(私も人の事は言えませんけど)
私も、この講座行きたかったな~(チャドクガ(椿につく害虫)に夢中の旦那も興味ありそう)
養老孟司さんもゾウムシ研究されていますよね。