前期唯一の“まともな”講義科目で、どうやら予備知識が不足している感じだったので、4/24に宿題を出した。
以下の言葉について、いろんな情報を調べてまとめてください。
寛政の改革・洒落本・滑稽本・人情本・山東京伝・遊里・岡場所
分量は、自分の納得できる量、と言うことで無制限。
ただし、提出する物は「手書き」。
そして、使用した資料を明記すると共に、なぜその資料を信用して使用したか、と言う説明も入れてください。
〆切は5/8の授業。
ただし、この宿題は「補習」みたいな物なので、そのくらい知ってますよ、と言う人はやらなくて良いです。
でも、抜き打ちテストやるかも!
あぁ、ホントに意地の悪い教師だね。
ゼミ生がいなくなるのもよく解る。
で、提出された宿題は12/17人。
ペラ一枚というのもいるけど、殆どの人が5枚くらい、びっちり書いてる。
要求すればやってくる、というのは、20年前と変わらないここの学生の美点だねぇ。
で、さて、問題は、なぜその資料を信用して使用したか、と言う説明と言う部分。
別に挙げてある書名は省略。
・両者とも多くの論文・参考資料などからまとめられているため信用した。
・どちらの辞典も各項目ごとにどんな論文や本を参考にしてその項目を説明しているのかという参考文献が載っているから。
・当時の文献を引用、また、実際の書籍や作品、絵を多く掲載しているため。
*この人は、事典類より研究書・原典(活字本)やネット情報を多数使用。
・「寛政改革」を調べる際、文学関連の事典から引くよりも日本史の事典から引く方が良いと考え、また内容も読みやすく整理されていたため選びました。
・内容が豊富で、項目が区切られていて読みやすかったため。また、以前講義で配られたレジュメの中にこの本から引用した文章を見つけ、信憑性の高い資料なのではないかと考えたため選びました。
・『日本古典文学大辞典』よりも用語の解説が短くまとめられており、用語のおおよその情報を知りたかったので選びました。
*読んで判るとおり、項目ごとに事典類を使い分け。
・項目ごとの説明がとても詳しく、掲載している項目の数も多かったため、また、出版年が2001年とかなり新しいため、信用できると考えたから。
*百科事典一種類。
・高校のとき使っていた教科書です
・日本で1番大きい辞典だと聞いたためです
・1番分厚い人名事典だったからです
・項目が多く、絵なども入っており、判りやすかったから。
・いくつか見たが、これが現代語でしっかり詳しく書かれていると思ったから。
・1番身近でわかりやすい説明がされており、広く知られているから。
・2008年6月に改訂されているので新しく、正確だと思ったから。
*電子辞書一種類。
・歴史のことを調べるならまず国史大辞典だと思った。
・江戸語辞典はやはり江戸に関係している言葉だと思ったから使った。
・日本国語大辞典は大きな辞典だから
・基本的な知識がないため、専門的な本を読むよりも、辞書で基本的な事項を見た方がよいと思い、出版されている一般的に信頼できるといえる一番大きい辞書を使用しました。
・山東京伝については、図書館で関連していそうな本を検索して、その本を使いました。
その中でも、今回使った本は彼の生い立ちや一生を完結(ママ)にまとめていてくれたので、分かりやすかったです。
そのほかは電子辞書に入っている、「大辞泉」、「明鏡国語辞典」、「マイペディア」を使いました。理由は、やはりその言葉の意味を知るには辞典を使うのが一番良いだろうと考えたからです。そして、その3つの辞典ではそれぞれどのように説明されているかを比べてみようと思ったので、全てを書き出してみました。その中でも分からない単語を更に調べていくことが出来ました。ある辞典では書かれていないことがもう一方には書かれている、と言うことが多かったので、やはり一つの辞典にだけ頼って調べるのは避けた方が良いと思いました。
こうやって見比べるだけで、その人がどういう“学問”をしてきたか、おおよそ見当が付く。
この差は何なんだろう。
多分、若い学生たちは、例えば最後の人のコメントを読んで、偉いなぁ、と思ったとしても、他の人のコメントのどこに問題があるのか解らないのではないか。
逆に、ちゃんと学問に接している人は、この、少ないサンプルを見ただけで、私と同様、頭を抱えると思う。
もし、あなたが教える立場にいるなら、一度試してみていただきたい。
素晴らしき日本の教育!
ある意味、それは、成功してるんだろう。
教科書なら、有名なら、一番大きいメディアなら、一番新しい情報なら、信用できる。
自分で判断しない人々。
否、これが判断です、と言えてしまうこと。
その恐ろしさに気づいていない。
先日、外国語を教えている某先生と話をした時のこと。
先生は、嘗て高校(だったか、中学だったか)でも教えていたことがあって、定期試験で、テキストにないけれど、授業で扱った文章と同じような構文を出題しようとして同僚に止められたそうだ。
先生曰わく「日本の学校は、考えることをさせません」。
日本語訳を憶えてしまえば点数が取れる試験。
私は試験を殆どやらないけれど、たまにやってもカンニングは不可能です。
学力を問うのであって、記憶力やずるがしこさを試すワケじゃないからね。
それは、言語文化学科の総合問題も同じ事。
それを、まだ理解できない連中が大学の上の方にいるのは、本当に歯がゆい。
以下の言葉について、いろんな情報を調べてまとめてください。
分量は、自分の納得できる量、と言うことで無制限。
ただし、提出する物は「手書き」。
そして、使用した資料を明記すると共に、なぜその資料を信用して使用したか、と言う説明も入れてください。
〆切は5/8の授業。
ただし、この宿題は「補習」みたいな物なので、そのくらい知ってますよ、と言う人はやらなくて良いです。
でも、抜き打ちテストやるかも!
あぁ、ホントに意地の悪い教師だね。
ゼミ生がいなくなるのもよく解る。
で、提出された宿題は12/17人。
ペラ一枚というのもいるけど、殆どの人が5枚くらい、びっちり書いてる。
要求すればやってくる、というのは、20年前と変わらないここの学生の美点だねぇ。
で、さて、問題は、なぜその資料を信用して使用したか、と言う説明と言う部分。
別に挙げてある書名は省略。
・両者とも多くの論文・参考資料などからまとめられているため信用した。
・どちらの辞典も各項目ごとにどんな論文や本を参考にしてその項目を説明しているのかという参考文献が載っているから。
・当時の文献を引用、また、実際の書籍や作品、絵を多く掲載しているため。
*この人は、事典類より研究書・原典(活字本)やネット情報を多数使用。
・「寛政改革」を調べる際、文学関連の事典から引くよりも日本史の事典から引く方が良いと考え、また内容も読みやすく整理されていたため選びました。
・内容が豊富で、項目が区切られていて読みやすかったため。また、以前講義で配られたレジュメの中にこの本から引用した文章を見つけ、信憑性の高い資料なのではないかと考えたため選びました。
・『日本古典文学大辞典』よりも用語の解説が短くまとめられており、用語のおおよその情報を知りたかったので選びました。
*読んで判るとおり、項目ごとに事典類を使い分け。
・項目ごとの説明がとても詳しく、掲載している項目の数も多かったため、また、出版年が2001年とかなり新しいため、信用できると考えたから。
*百科事典一種類。
・高校のとき使っていた教科書です
・日本で1番大きい辞典だと聞いたためです
・1番分厚い人名事典だったからです
・項目が多く、絵なども入っており、判りやすかったから。
・いくつか見たが、これが現代語でしっかり詳しく書かれていると思ったから。
・1番身近でわかりやすい説明がされており、広く知られているから。
・2008年6月に改訂されているので新しく、正確だと思ったから。
*電子辞書一種類。
・歴史のことを調べるならまず国史大辞典だと思った。
・江戸語辞典はやはり江戸に関係している言葉だと思ったから使った。
・日本国語大辞典は大きな辞典だから
・基本的な知識がないため、専門的な本を読むよりも、辞書で基本的な事項を見た方がよいと思い、出版されている一般的に信頼できるといえる一番大きい辞書を使用しました。
・山東京伝については、図書館で関連していそうな本を検索して、その本を使いました。
その中でも、今回使った本は彼の生い立ちや一生を完結(ママ)にまとめていてくれたので、分かりやすかったです。
そのほかは電子辞書に入っている、「大辞泉」、「明鏡国語辞典」、「マイペディア」を使いました。理由は、やはりその言葉の意味を知るには辞典を使うのが一番良いだろうと考えたからです。そして、その3つの辞典ではそれぞれどのように説明されているかを比べてみようと思ったので、全てを書き出してみました。その中でも分からない単語を更に調べていくことが出来ました。ある辞典では書かれていないことがもう一方には書かれている、と言うことが多かったので、やはり一つの辞典にだけ頼って調べるのは避けた方が良いと思いました。
こうやって見比べるだけで、その人がどういう“学問”をしてきたか、おおよそ見当が付く。
この差は何なんだろう。
多分、若い学生たちは、例えば最後の人のコメントを読んで、偉いなぁ、と思ったとしても、他の人のコメントのどこに問題があるのか解らないのではないか。
逆に、ちゃんと学問に接している人は、この、少ないサンプルを見ただけで、私と同様、頭を抱えると思う。
もし、あなたが教える立場にいるなら、一度試してみていただきたい。
素晴らしき日本の教育!
ある意味、それは、成功してるんだろう。
教科書なら、有名なら、一番大きいメディアなら、一番新しい情報なら、信用できる。
自分で判断しない人々。
否、これが判断です、と言えてしまうこと。
その恐ろしさに気づいていない。
先日、外国語を教えている某先生と話をした時のこと。
先生は、嘗て高校(だったか、中学だったか)でも教えていたことがあって、定期試験で、テキストにないけれど、授業で扱った文章と同じような構文を出題しようとして同僚に止められたそうだ。
先生曰わく「日本の学校は、考えることをさせません」。
日本語訳を憶えてしまえば点数が取れる試験。
私は試験を殆どやらないけれど、たまにやってもカンニングは不可能です。
学力を問うのであって、記憶力やずるがしこさを試すワケじゃないからね。
それは、言語文化学科の総合問題も同じ事。
それを、まだ理解できない連中が大学の上の方にいるのは、本当に歯がゆい。
語学の話で行くと、おれは授業には一切出ずに、日本語訳のある本を教科書に選んでる授業を選択、それを(訳を)読んだくらいで試験に挑み、いくつか単位もらいました。
失礼な学生ですね(笑)
でも、電子辞書のみ、と言う人もいました。
学生も失礼だけど、それで通ってしまうような授業やってる教師の方がよっぽど失礼だと思います。
確か、出席してないおれがけっこういい点とって、きっちり出席してた奴が赤点とってました。それを合宿のときにそいつ責められてた(笑)ごめんよ。
教室に来てるだけのヤツはだめです。
ネタ論文読んでる学生なんて、ありがたいです。
そういう学生が驚くような新展開を授業でやるのがまともな教師ですよねぇ。
この考え方は正直惨いですね.
資料を信用した理由=
「いろいろと信じ込まされることで折り合いを付ける人生を送ってきたから」
ってのはどうでしょう?(笑)
それを見つけた上で、裏をかく方がずっと愉しいのに!