先生からメロンちゃんにお花が届きました
大変お世話になってありがとうございました
重ねてお心遣い頂きまして嬉しいですね
感謝です
うちの子達は
最初がハスキーの桃ちゃんでした
当時の動物病院から紹介されて
そのペット霊園
合同で慰霊法要をして慰霊碑に納めて頂いています
モモちゃんにダイスケにタローにと母と私で家族になった子達ですが
主人も加わって家族になってみんなを見送りました
そして最後の子がメロンちゃんです
メロンちゃんは主人と私で送りました
主人もお別れのメッセージの初頭は
「メロン長い間ありがとう」でした
私もですが
メロンに掛ける言葉は「ありがとう」しか浮かんできません
本当にありがとう・・・・・・
先生からいただいたお花
我が家はここ10年ぐらい生花を飾った事が有りません
どんな花に毒性が有るのか詳しくないのと
何か有ってからより心配しないで済むので
飾らない
庭の花も切ってさしてすぐ乾燥花にと・・・・・
特に茶色いのが色々やってくれます
ここ数日2階で閉じ込められてるので
メロンちゃんのお花も有りがたく久しぶりの華やかさで嬉しいです
最後もお庭のお花を飾ってあげてましたが
メロンを送る時にもいっぱいいっぱい一緒にお箱に入れて綺麗でした
先生ありがとうございました
メロンはシーズー
シーズーを飼いはじめの経緯などが浮かんでくる
長くなるのでスルーして下さいませ
平成3年に岡山に帰ってきたので
それ以後の岡山暮らしが私の人生で一番長い時期になってます
母がリハウスして駅前のマンションに移ったのですが
岡山のマンション事情は
都会のマンション事情とはまた別の位置づけのような気がします
岡山の地方都市では
普通は大体一戸建てがスタンダードな感覚ですので・・・・・・
なのでどうにも我慢できない事だらけが起きるので・・・・母がたまりかねて
またすぐのリハウスになりまして
新築の一戸建てへとリハウスするのをきっかけに
私も横浜のマンションを人に貸して
一旦引き上げる形で2,3年のつもりで帰ってきました
車の運転を始めるためです
初めはぶつけるから新車じゃなくてもと叔父から言われたのですが
大衆車の新車買いました
30代後半での初めての車です
そして
私が2,3年後には帰るので
その時寂しく無いようにと母が犬を飼いたいと言って
母がシーズーを気に入って
私がハスキーを飼いたくて
当時TVで所さんがハスキーと一緒に出ていて
私もハスキー欲しいと
なので流行りの頃なので
居る居る!
どうしても飼いたいけど
横浜に連れて帰れる訳もなく
断念したのですが
母が自分が飼うから置いて行っても大丈夫だと言うのよ
まだ60になって無かったからね
そんな事で
ハスキーとシーズーが家族に加わり
犬2人2の生活が始まり
そして間もなく
うちの子達が居たお店にいつ行っても重ねられたゲージの最上段で
いつもニコニコで尻尾を振り続けてる子がいるのよ
お店のバックヤードなので遠くに見てるだけなのですが
お尋ねすると
連れてきてくれた
だが様子がちょっと・・・・・・・
するとあちらがこの子はちょっと目が弱い
光りは見えるのですがはっきりしてない・・・との事
未熟児を店長さんが大きくしたのですが
目に障害が有るとの事
もうねえシッポを振り振りでたまらなく可愛いのよ
そうすると
あちらが
この子はお安くします・・・と言うのよ・・・・
ええええええ・・・・・・
この子完全に目が見えないでしょう
一生あのゲージから出さないの?と心配になって
この子は繁殖に使うつもりだと言うのよ
でもオスなのよね・・・・おかしいし・・・・
???????な気分でいたら
あちらが
育ててくれるならタダで良いと言いだして
結局はゲージやフードまで付けてくれて
あちらはやはり厄介払いでいたと言った感じでした
うちとしては
シーズーが居るから
1ッ匹育てるのも2匹育てるのもかわりゃしない
で
うちの子になりました
お兄ちゃんのタロウと目が見えないダイスケです
外に出ると道路に伏せて歩けない
歩くとしてもホフク前進のごとき
私が時間をかけて
それでもタロウ兄ちゃんが居るから
タロウがしてる事は自分も出来ると思うらしく
頑張るのよ
誰も大助は目が見えないからと教えないからね
意識が無いのよ
自分だけが見えてない事に
なので兄ちゃんのする事は大体出来るまでになりました
ベッドからだって下りてましたよ
家の上り段でも上がれるし下りれる
降りるときは「マワして」が合図
すると前足に力を込めて
後ろ足をずらして着地まで下ろしていくのです
上手に降りれてました
熱心に教えると覚えて出来る様になるものです
散歩も兄ちゃんとなら普通に出来ていました
その犬のタロウが
死ぬの生きるのと大変な事になってしまって
結局動物病院の医療レベルが最低と言う事です
2軒回ってどんどん酷い事が起きてくる
手足にの皮膚が赤くなって腫れてきて
病院へ行ったのですが
あれでも無いこれでも無いと色々試してみたけどどうにもならず
病院を替えてますますひどくなって来て
最終的にはこのままでは死にますと言われて
うちのハスキーから輸血と言う事で一時的に命を繋ぎ
もう病院を必死で探して
池田動物園の併設の病院へ
その時大阪の病院に勤務した経験の先生がおられて
その経緯を聞いてくれて
全く意味の無い箏をしてきたことが判明しました
意味がないどころか
その事に由来してあちこちに致命的なダメージを与えて
最後には命を失うところまで行きました
それでも経験ある先生にたどり着けて
兄ちゃんも復活できたのですが
あれをあのままにしていたら・・・・・・・・
そんな事を経験したので
タロウと私の絆が深くなり
横浜へ帰る機会を逸してしまったと言うことに
そんな一心同体のように思える子が居たのです
この話したら思いが止まらないわ
ダイスケも良い子だったし
3代目のシーズーがメロンさんです