岡山に帰ったころ平成の初めです
ハスキーがTVに出て流行っていた最終頃ですが
平成3年に帰って母がリハウスして買った新居に1年住むことにして帰ってきた
私が横浜に帰るときに
一人っきりになるのは寂しいので
犬を飼いたいと言って
太郎兄ちゃんシーズーを飼いました
そのペットショップにハスキーが居て
私がどうしても買いたい飼いたい
でも大型犬なので私が残して帰るわけにもいかないし
横浜のマンションは動物禁止だし
飼う訳にはいかない・・・・・と諦めたのですが
母が持ち前の明るさで
大丈夫よ!
犬の1っ匹も2匹も変わらないから
私で大丈夫!というではありませんか
それではと お言葉に甘えて・・・とハスキーがうちに来ることになった
雌なのでそう大きくはならないとのことだし
何事につけてもメスの方が御しやすいと言われて
モモちゃんが家族になって
太郎と桃で桃タローですがね
そのうちいつもいる可愛いシーズー
いつ見てもゲージの高い所に置かれている
あの子は?と聞くと
ちょっと目が見えるような見えないような・・・・
って出してこられたのでしたが
全く完全に盲目の子ですがね
可哀そうに可哀そうにここに居ては飼い殺し
もう2匹も3匹も同じと
目の見えないシーズーも家族になりました
それはダイスケです
大ちゃんはお兄ちゃんのタロウが好きで
歳も少ししか違わないので
お兄ちゃんの出来ることは自分もできると何でもやってみる
ダイスケもホントにいい子でした
周りの人からは
目の見えない犬を引き取るなんて・・・・出来ることではないと言っていただきましたが
うちの家族にとっては
目が見えなくてもあまり障害と思ったことはなく
何事も最初は大変なダイスケでしたが
根気強くチャレンジしていき
そのうちお兄ちゃんの出来ることは何でもできるようになりました
おお散歩も一緒に行きましたし・・・・
そうしているうち
太郎が死ぬまでになってしまい
訳が分からないうち
手が腫れてるってことだったのに
薬漬けになり
薬害であろう死ぬところまで行ってしまい
モモちゃんの血をもらってその場しのぎの命をつなぎ
大慌てで病院を換えようと探し回り
やっと見つけた病院で
命をつないでもらいました
そんな事も有って中々横浜に帰れなくなって
2,3年が過ぎてしまい
モモも置いて帰れないなァ‥・・とも思い出し
そのうちご縁が有って主人と結婚してそのまま岡山に居ることになってしまった
結婚して太郎だけ連れ子で主人のところに来たけど
モモとダイスケは母が見てくれてた
ただモモちゃんが散歩が大変だからこちらに来ることになって
今まで家の中だったけど
倉庫で暮らすようになって
今となってはちょっとかわいそうだったなお父さんにもかわいがってもらって
それでもちょっと早い死でした
突然のことで戸惑いました
最後の最後まで気が付いてあげられなくて
ちょっとおかしいと思って病院へ行ったら
もう駄目ですね
・・・・・・・・・・・?????????あっけにとられた感じでしたが
その後数日で容体が落ちていき
それでも死ぬ前夜まで食べると言って食べましたが
身体は受け付けず帰って負担になってしまい後悔してますが
最後の最後まで気丈にしていました
最後の最後の瞬間は感動的で
モモのいい子ぶりが表れていて
よく頑張ってくれました
女の子だから3月3日は女の子のお祭りなのに
1日早く行くなんてモモちゃんらしいと主人も言って
忘れられない命日です
良い子でした
ハスキーのモモちゃん
私が岡山に居るきっかけになったタロウと桃です
良い子だったね
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