先日トルコ東部で起きた地震により、
NPO法人で救援物資の手配等で活躍されていた、
宮崎淳さんの葬儀が終わったことが新聞に載っていた。
この葬儀には、異例のトルコ大使館の代理大使をはじめ、
トルコメディアや多くのトルコ人が参列されたとか・・・。
日本とトルコには昔から強い、強い絆があることを、
再びの思いで再確認してみよう。
明治23年、台風による荒天で和歌山串本町沖で
トルコのエルトゥールル号が座礁・沈没した。
乗り組員600名が死亡するという大惨事だったわけだが、
村民総出で海に入り、70名を救助した。
海に投げ出されて冷たくなった遭難者を、
村民たちは自分たちが裸になって、体温で温めたという。
まだまだ貧しかった時代、
少々の食料も、遭難者のために一夜で底をつき、
自分たちの食べるものさえなく、
蓄えていた食糧は全て出し合い、
非常用にと飼っていた鶏をさばいて彼らの命を救ったという。
それから約100年後。
イラン・イラク戦争のとき、イラクのサダム・フセインは
【3月20日以降、イラン上空を飛ぶ軍用機、民間機を問わず、全て撃墜する】と発表した。
それは・・・すでに48時間後に迫っていた。
これを受けて外務省は、
当時国営航空だった日本航空に救援機の派遣を要請したものの、
日本航空側は、帰りの安全を保障されない・・・と断った。
テヘランに残された日本人216名。
タイムリミットの迫る中、「もう~だめだ!!」・・
イランからの脱出は不可能。。と思ったその時、
テヘランの空港にトルコ航空の2機が着陸。
空襲警報の鳴り続ける中、
日本人216名と少数のトルコ人を乗せて離陸したのは
タイムリミットのわずか1時間ちょっと前だった。
イランで救出を待ってたトルコ人は600名、
なのに日本人を優先的に乗せた事は、
トルコの人々の間では何の非難も起きなかったという。
残された600名のトルコの人々は、陸路を何日もかけて
イランから脱出したという。
明治に起きたエルトゥールル号の遭難で、
日本人から受けた献身的な救助活動への
トルコの人々の恩返し・・・。
いいえそうじゃなく、「当たり前のことをしただけ」という。
そういえば、エルトゥールル号を救助した串本町の人々も
「当たり前の事をしただけ」というらしい。
あの明治の時代、
救助した70名を手厚く看護し、日本の船で本国トルコに送り届けた日本人。
トルコの人々はこの恩義を忘れず、
ずっと学校の授業で子供たちに教え続けているとか。
こうして日本とトルコの深い絆は、遠い日から伝えられている。
NPO法人で、トルコと日本の絆を強くしていた宮崎淳さんの葬儀は、
トップニュースとしてトルコ本国で伝えられるという。
こうしたしっかりした根っこでつながると、
平和は目の前にあるように思う。
NPO法人で救援物資の手配等で活躍されていた、
宮崎淳さんの葬儀が終わったことが新聞に載っていた。
この葬儀には、異例のトルコ大使館の代理大使をはじめ、
トルコメディアや多くのトルコ人が参列されたとか・・・。
日本とトルコには昔から強い、強い絆があることを、
再びの思いで再確認してみよう。
明治23年、台風による荒天で和歌山串本町沖で
トルコのエルトゥールル号が座礁・沈没した。
乗り組員600名が死亡するという大惨事だったわけだが、
村民総出で海に入り、70名を救助した。
海に投げ出されて冷たくなった遭難者を、
村民たちは自分たちが裸になって、体温で温めたという。
まだまだ貧しかった時代、
少々の食料も、遭難者のために一夜で底をつき、
自分たちの食べるものさえなく、
蓄えていた食糧は全て出し合い、
非常用にと飼っていた鶏をさばいて彼らの命を救ったという。
それから約100年後。
イラン・イラク戦争のとき、イラクのサダム・フセインは
【3月20日以降、イラン上空を飛ぶ軍用機、民間機を問わず、全て撃墜する】と発表した。
それは・・・すでに48時間後に迫っていた。
これを受けて外務省は、
当時国営航空だった日本航空に救援機の派遣を要請したものの、
日本航空側は、帰りの安全を保障されない・・・と断った。
テヘランに残された日本人216名。
タイムリミットの迫る中、「もう~だめだ!!」・・
イランからの脱出は不可能。。と思ったその時、
テヘランの空港にトルコ航空の2機が着陸。
空襲警報の鳴り続ける中、
日本人216名と少数のトルコ人を乗せて離陸したのは
タイムリミットのわずか1時間ちょっと前だった。
イランで救出を待ってたトルコ人は600名、
なのに日本人を優先的に乗せた事は、
トルコの人々の間では何の非難も起きなかったという。
残された600名のトルコの人々は、陸路を何日もかけて
イランから脱出したという。
明治に起きたエルトゥールル号の遭難で、
日本人から受けた献身的な救助活動への
トルコの人々の恩返し・・・。
いいえそうじゃなく、「当たり前のことをしただけ」という。
そういえば、エルトゥールル号を救助した串本町の人々も
「当たり前の事をしただけ」というらしい。
あの明治の時代、
救助した70名を手厚く看護し、日本の船で本国トルコに送り届けた日本人。
トルコの人々はこの恩義を忘れず、
ずっと学校の授業で子供たちに教え続けているとか。
こうして日本とトルコの深い絆は、遠い日から伝えられている。
NPO法人で、トルコと日本の絆を強くしていた宮崎淳さんの葬儀は、
トップニュースとしてトルコ本国で伝えられるという。
こうしたしっかりした根っこでつながると、
平和は目の前にあるように思う。
今年の流行語大賞“絆”に一票です。
日本とトルコの感動秘話を読んで、
尚更“絆”を強く意識しました。
今、来日されているブータン国王夫妻と共に、
農業指導者として尽力を尽くした日本人の
西岡さんと言う方がとりざたされています。
日本人の思いやりと温かさが改めて強く感じました。
今回の地震により亡くなった宮崎淳さんへの
トルコの国や人々の思いが、
通り一遍じゃないところに驚きました。
日本の国は「人情」「義理」「情け」を大切にする国だったのに、
今やそんな言葉は死語のようになりました。
でも地球上のどこかに、
忘れられたこれらの言葉は存在してたんですね。
西岡さんがブータンで大根の栽培を教えた・・・。
テレビで見ましたよ。 嬉しいですね。
政治家が出来ないことでも、
一人一人は出来る。
人間っていいですね。
今年のボージョレとペペロンチーノを少し楽しんで
軽い気持ちで寄りましたが・・・
なんとも素敵な投稿ですね。
読んでいて本当に感動しました。
医療従事者として人を思いやる気持ちをいつも
大切にしてきましたが、仕事の忙しさに日々忘れかけていた様な気がします。
満食まで残り一年少しですが気を引き締めて
がんばりますね。
助かった女性が・・・
担架に運ばれながらも宮崎さんの事を伝えようと
一生懸命にアクションをおこしていた姿も素敵でした。
日本人まだまだ輝いていますね・・・。
伊豆を旅したときも、同じような話を
聞き、お寺にも行って歴史を
感じてきたことがありました。
世界各地のいろいろな場面で
活動されている方々の努力が
人の心深くに刻み込まれて、
民間交流の大きな力となっていることが
形となってあらわれるのは、
とっても貴重で意義深いことだと思います。
私たちの生活はそんな礎の上に成り立って
いることを再確認させられました。
民の心と力はいつの世も偉大ですね。
御無沙汰いたしておりました。
日本とトルコの関係
それに 素晴らしい人間関係の
秘話を 私は 初めて知りました。
人から受けた恩義を 私も
忘れないようにと 自分に
言い聞かせました。
素晴らしいお話し 聞かせていただいて
ありがとうございました。
イラン・イラク戦争の時のトルコ航空機の事を思い出しました。
1985年。もう~かなり前の事だから、
忘れかけていたのに、
宮崎さんの葬儀の記事で思い出しました。
自分に再確認の意味でブログに載せたんです。
「北風と太陽」じゃないけれど、
暖かさで包めば、いずれ自分に返ってくるんですね。
国をリードする方々。
重箱の隅をつつくようなことばかりしていないで、
もっと深い心で臨んでほしいものです。
カバーしようとするのがNPOなんでしょうが、
案外身近でも、数ありますね。
「本当に必要?」と思う組織もあるように思いますが、
私たちがのほほんと暮らしてる時間、
世界のあちらこちらで汗を流してる方々が居るのも事実です。
人の手の温かさは、世界共通ですね。
お元気そうで何よりです。
案外記憶に薄い「トルコ」という国。
でもこんなにも深い繋がりがあった国なんです。
今の小さな子供たちは、知らないことなのかも知れませんが、
われわれ大人が、昔、縁側でおばあちゃんから徳になる話を聞いたように、
話聞かせてあげなければと思います。
とても感動したことは覚えているのですが、内容はほとんど忘れてました。
また、いろいろ教えてくださいませ。
お元気でしたか? お元気でしたよね!
このお話はもっと広まっていいのに・・・と思いますが、
私の友人たちも知らない人が多いです。
これって政府の怠慢?
我々が知らないところで金銭援助をするよりは、
受けた恩義や愛情を広く国民に広め、
人としての交流が出来る方がいいと思うんだけど・・・ねっ!
私の方こそ・・・教えてくださいませ。