ウトピア

真実と欲望が出会うところ

人を見て法を説け(2)

2010-06-02 02:17:30 | Weblog
他人と何か一つのテーマに絞って話し合ったり、少々込み入った政治社会現象などについて話すと、人によってはかなり話が頓珍漢なものになってしまって、議論にならない事がある。これは、互いに利害が対立していることが明確な場合はおおいに予想されることだが、一見しては、また客観的には、両者に利害の対立は認められないのに議論にならないばかりか、感情的にすらなる。(究極的には利害対立はあるのだろう。虚栄心や心理的防衛機制が関係するのだから)
原因はいろいろ考えられるが、利害対立がないとすると、残される原因で一番可能性があるのが、両者の教育歴、教養、性格などが考えられる。

ここでは教育歴によってある程度教養が養われている人とそうでない人を考えてみよう。もちろん前者には高等教育機関から教育を受けていないけれど、独学や個人的な交流・努力によって教養を身につけた人も含まれる。また、高騰教育機関で教育を受けたけれど教養を身につけなかったか、失ってしまった人は後者に含まれる。教養とは幅広い知識を身につけている状態は言うまでもないが、それを使って幅広く考えられる能力をも意味する。

両者を考える為にいくつかの知見を参照してみよう。
まず、明治の時代に岩崎弥太郎と福沢諭吉がかわした書簡の中から、岩崎がなぜ慶応義塾の出身者を彼の会社に採用するか、その理由を述べたところ。専門知識を彼らに期待するところはあるが、それに加えて、教育あるものは教育のない者の真似はできるが、教育のない者は教育をうけた者のまねはできないこと、もその理由に挙げている。
ある心理学者が挙げている事例で、セールスマンが相手によって、売り方を変えているという話。つまり、大学卒で、インテリ風の人とそうでない人とは売り方を変えるという。前者に対しては商品の良い面も悪い面も説明して、悪い面を補って余りある利点があることを強調して売り込むが、後者に対しては商品の良い面だけをこちらからは徹底的に売り込む、そうである。

こうして考えると、われわれは、相手の教養や思考能力のレベルを考える必要がある。日常的に言葉で概念操作をする機会や時間が少ない人は、それをやっている人に比べて当然それを困難と思うだけでなく不必要だと思ってやらない傾向があろう。単純化した思考、一般的な世間感情的な反応を思惟と思い、正しいと思いやすい。

特に日本の大マスメディアは、単純化した感情的な思考を助長する役割を果たしている。娯楽番組でなくとも、商業主義的な面白おかしさ、刺激的な報道をする。政府以外の集団や社会への批判はスポンサーがらみで制限される。大衆批判をほとんどしない。
学校現場について、多くの人気評論家は、学校教育の内容は世間に出て役立たない。退屈な時間を過ごす忍耐力を養うことに意義があるとも平気で言う。
確かに直接的に役立つものは、文系の進路に進むものには少ないように思われるが、これは知識偏重になっていることからくる教育方法の問題である。思考訓練が行われることが重要なのだがこれが各科目で行われない。数学は数学の論理、国語は国語の論理、社会科(公民・地歴)は社会科の論理と専門分野に固有の論理はあるが、教師は論理の性格を説明しない。論理は各教科に共通する部分があることを教えない、というか、教師もその論理の教育を受けていない人が大半である。

すなわち、論理学や哲学を訓練されていない。フランスの高校では哲学の科目があり、西欧諸国には論理を戦わせる場が学校だけでなくいたるところにある。特に選挙ともなれば、各候補者やその運動員は個別訪問で直接選挙民と話しあうことで論理的な議論が戦わされる機会が多いであろう。候補者も運動員も選挙民も自己の論理を訓練しなければならない。

しかし、日本ではその必要はない。禁止されている。日本では個別訪問は選挙法で禁止されている。「選挙の争点や国民の要求」なるものは、候補者の一方的なものか大マスメデイアや評論家、政治家同士(その裏には官僚の指導が入っていようし、圧力団体の主張が入っていよう)の議論で出てきたもので、国民はその中からお選びくださいとなる。

学校教育で基本的な論理学や哲学が行われていないのは、日本の政治や社会が論理に合わないことでいっぱいであることが分かってしまうのを恐れているからだろう。(自衛隊の法的解釈、選挙区の定数問題などを参照しよう)
幅広い教養が日本社会で育成される可能性は少ない。

話が飛びすぎたが、このような社会状況なので、他者と話をする時に、相手の知識、教養を推測して話す必要があろう。
論理的な話ができるか否かは、自分の主張とそうでない主張、価値観についてよく知っている事、そして、自分の主張がどのように普遍的意義に近いかを述べられるか否かになろう。
一方的な主張しかできない人、「価値観の相違ですね」をすぐ口にする人は要注意であろう。
このような人には、話を止めるか、先に挙げたセールスマンの対処法をとるか、他にないのだろうか?
伝えられるお釈迦様の説得のやり方は出来すぎている。


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