田園 里山 野鳥そしてアルプスの山々

日進市と近隣の里山、春から秋にはアルプスの山々を歩いて感じたこと、考えたことなど・・・

甲武信ヶ岳山頂からの展望

2013年11月02日 | 山歩き

甲武信ヶ岳は甲州、武州、信州三国にまたがる奥秩父の名峰。標高は2475m。信州側の川上村・毛木平から31日、1日の1泊2日で登ってきました。

甲武信小屋に泊まった翌朝、秋晴れの好天に恵まれ、富士山、八ヶ岳、アルプスをはじめ素晴らしい景観を満喫しました。まずは山頂からの写真を紹介しましょう。

                日の出直後  朝日に輝く富士山

武信小屋同宿の7人が日の出前の5時50分ごろ山頂に揃い、御来光を待ちました。日の出直後の富士山。朝日が山頂の新雪と薄い雲を黄金色に染めています。

その後テント泊の大学生グループ6人も合流し、しばらくは賑やかな山頂でしたが、ひとり、ふたりと山頂を離れて行きます。、私は最後にひとり残って7時10分まで過ぎゆく時間を味わいました。

                  山頂を離れる直前の富士山

風も弱く、寒さは感じませんでしたが手袋なしではいられないほどで、気温は推定零度より少し下でしょうか。

以下は約1時間半、山頂滞在の間に撮影した写真です。

     日の出直後の八ヶ岳連峰 左から権現岳、赤岳、横岳、硫黄岳

  雲海に浮かぶ御座(おぐら)山 左奥に北アルプス、右奥に高妻山などが遠望される

    浅間山(右端)から黒斑山、篭ノ登山、湯ノ丸山、烏帽子山と続く浅間連峰 

                                     湯ノ丸山背後には妙高山

     朝日岳(中央)と金峰山(その右) 左遠方は白根三山、右遠方は甲斐駒ケ岳

                     北アルプス白馬連峰

   北八ヶ岳と蓼科山(右端)    中央、八ヶ岳の背後に新雪の穂高・槍連峰

         カラマツが朝日に染まる  遠景は大菩薩・小金沢連峰

    甲武信ヶ岳北隣り、埼玉県の最高峰 三宝山(左、2483m)と両神山

                             両神山後方遥かに日光連山

       北アルプス 左から鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、白馬連峰

       白馬三山のズームアップ 左から鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳

ひとつ前の写真では白馬連峰も白く写っていませんが、上空の雲で陽光が遮られ、雪が白く見えない状況だとそうなるのだと思います。

   後立山の赤沢岳と岩小屋沢岳の間に剣岳が白い頭をのぞかせる

        頸城山塊遠望 中央やや右が高妻山 右端に焼山と火打山

     南アルプス 白根三山 左から農鳥岳、間ノ岳、北岳

         八ヶ岳連峰と左手前の小川山 左奥には中央アルプス

ということで、とりあえず山頂の景観写真をご紹介しました。山行の詳しいことは後日あらためて投稿します。

     


能郷白山登山

2013年10月29日 | 山歩き

28日、日帰りで岐阜・福井県境の能郷白山(1617m)に登りました。この山は冬になると真白な雪を被った雄大な姿が日進の自宅近くからも見られ、いつか登ってみたいと思っていた山です。

27日午後4時過ぎに家を出て、薄墨桜で有名な、山麓の根尾まで行き、車中泊。翌朝4時に起きて国道157号線を福井県境の温見(ぬくみ)峠へと向かいました。峠には5時半に到着。天気は上々。東の空が薄赤く染まり、近くの山がシルエットで浮かんでいます。車の温度計によると気温は2°C。支度をして5時40分、登り始めました。

                       早朝の温見峠

登り始めると間もなく、梢越しに日の出が見られました。このあたりはブナやカエデの紅葉が盛りを迎えていて、朝日に染まりひときわ鮮やかです。

                 木々の間から顔を出す朝日

                        紅葉の尾根道

                  朝日を浴びて輝くブナの紅葉

温見峠から能郷白山に向かう山道は、県境に沿った尾根道の急登がひとしきり続きます。この登りが終わって最初のピーク(1432m)に到着。少し傾斜が緩くなり、背後には新雪を着けた白山の姿が大きく見えてきます。

          新雪を抱く白山(中央)と別山(右) 左手前には荒島岳

行く手には目指す能郷白山の丸い姿の全容が見えてきます。距離的にはこの辺りがちょうど真中なのですが、傾斜が緩く眺望の良い尾根道になり、前半に比べて快調に歩が進みます。

                  行く手には能郷白山の姿が

ここからは意外に短時間で、9時には山頂に着きましたが、一等三角点と文字の消えかかった柱だけで山頂を示す標識はありません。2~30mほど来た道を戻ると、木の枝に「能郷白山 1617m」と書かれた小さな札がぶら下がっています。

                       山頂を示す白い札

山頂の少し手前と、山頂を過ぎて5分ほどの神社の付近が眺めがよく、空気が澄んでいれば南北中央のアルプスや大峰山系も見えるようです。残念ながらこの日は山頂に着くころは風が強くなり、ガスも多くなってきて西から南にかけての眺望はいま一つはっきりしませんでした。

            能郷白山山頂付近からの白山ズームアップ

それでも白山は雲の上に頭を出していて見事です。昇る途中に追い抜いて行った男性が神社のそばにいて、話をしましたが、地元の根尾出身で今は岐阜市にお住まいとのこと。市内長良川にかかる忠節橋から能郷白山が良く見えるので、反対に山頂から橋が確認できるか、望遠鏡を用意してきた、とのことでしたが、岐阜市方面はガスで少しはっきり見えず残念がっていました。

             能郷白山神社奥宮 右手奥が山頂

山頂付近ではもう一人、大垣から来た男性と会い、私を含めて3人の単独行者だけでしたが、10時過ぎ、下りにかかると、週日にもかかわらず続々と登ってくる人が続き、人気の高い山であることが伺われました。

                   紅葉に染まる尾根道の下り

   頂上付近に1時間ほど滞在し、紅葉の道を下って温見峠へ戻りました。

樽見から峠までの国道157号線は幅が狭く、対向車とのすれ違いが面倒なこと、谷側にガードレールがほとんどないことなどから”酷道”と呼ばれています。登り口のゲート脇には有名な看板、”落ちたら死ぬ” が建てられており、途中、そこここに”転落現場”の看板もあります。それでも峠まで全面舗装されており、”酷道”というほどではないと思いましたが、運転には注意が必要です。

                国道登り口ゲート脇の看板

最後に、2011年2月に岐阜市金華山の岐阜城天守閣から撮った雪の能郷白山の写真を載せておきます。

                岐阜城から見る冬の能郷白山

      

 


針ノ木峠と佐々成政

2013年10月09日 | 旅日記

針ノ木峠は標高2536m。針ノ木岳と蓮華岳の間にあり、立山黒部アルペンルートの長野県側、扇沢駅から針ノ木大雪渓を登るのがもっとも容易なアプローチです。今回は船窪小屋からここへ縦走し、逆に扇沢に下りました。

      針ノ木峠に立つ道標 道標の後ろは左から赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳

           その背後に白馬岳(左)と鹿島槍ヶ岳が見える

峠には針ノ木小屋があり、今回はここに1泊して、朝針ノ木岳山頂を往復したわけです。

                       針ノ木小屋

ここ、針ノ木峠は、戦国時代末期、越中富山の城主、佐々成政が冬のアルプスを横断し、浜松の家康を訪ねた際、通ったところ、と伝えられています。優れた冬山装備のある現代でも12月~1月の厳冬期にこのルートを通ることは大変難しいことです。ただ、徳川家臣で後の肥後松平家の祖先にあたる松平家忠が残した日記があり、天正12年12月25日、成政が浜松を訪れた、という記録があることは事実です。

秀吉と不仲であった成政は、秀吉に味方する前田利家と上杉景勝に東西を抑えられ、小牧長久手の戦後秀吉と和睦した家康と織田信雄を説得するため、アルプスを越えて自ら浜松を往復した、というのです。状況と記録から、アルプス越えは眞實とみられていますが、どこを通ったかまでは記録がなく、はっきりしたことはわかりません。もっとも有力な説が、旧立山温泉→ザラ峠→五色ヶ原→黒部川→鉢ノ木峠→信州大町ということになっています。

何はともあれ、家康の説得に失敗した成政は失意のうちに再びアルプスを越えて富山に帰った、ということになっています。

失意の成政に追い打ちをかけたのが、愛妾小百合が家臣と密通したという知らせでした。小百合を妬む家中の女どもの讒言だったことに気付かず、激怒した成政は”小百合を切れ”と旅先から命令し、恨みをもった小百合は「立山に黒百合が咲く時、佐々家は滅びる」と予言して死んでいきます。後にそれが本当になり、黒百合のおかげで成政は秀吉や北政所の前で赤恥をかかされ、その数年後、秀吉に切腹を命ぜられる、という話につながっていきます。

”黒百合は恋の花 愛する人に 捧げれば ・・・”という、織井茂子が歌った歌がありました。佐田啓二と岸恵子の有名なラジオドラマ、”君の名は”の第2の主題歌でした。”立山ではクロユリは恨みの花”と、数年前、室堂のガイドの方に教えていただいたことを思いおこします。

                 針ノ木峠から、黎明の槍・穂高

成政はどんな気持ちで冬のアルプスの山々、槍・穂高を眺めたことだろうか?とその心情がしのばれます。

    


北葛岳・蓮華岳・針ノ木岳

2013年10月02日 | 山歩き

28日朝、6:45、船窪小屋を出発。針ノ木小屋に向かいます。15分ほどで七倉岳山頂、ここでは写真撮影に15分ほどを使い、七倉乗越への下りに向かいました。前方には北葛岳。蓮華岳に向かう稜線上にどっしりと控えています。登り始めが手強そうですが道はうまくつけられています。七倉岳からの下りの方が痩せていて緊張させられるところがあります。

               七倉岳から見る北葛岳の登り

9:30、北葛岳を登りきると、これまで見えなかった頸城山塊の高妻山と妙高山がこのコース初めて姿を見せます。

                   妙高山(左)と高妻山(右)

眼前には蓮華岳が大きく迫ります。ここから蓮華岳まで、300m の下り、500m の登りが待っています。 

       

                    北葛岳山頂からの蓮華岳

山頂で30分、ゆっくり眺めを楽しんだ後、下りにかかりました。北葛乗越着は11:08。尾根道も秋色に染まっています。

              北葛乗越から来た道を振り返る

乗越から蓮華岳に向かう登り口は大岩壁。ちょっと見るとどうやって昇るのかととまどうくらいですが、ステップは豊富で鎖もあり、見た目ほど大変ではありません。

                北葛乗越から蓮華岳への登り口

北葛乗越発11:20。途中昼食休憩を挟みましたが蓮華岳山頂着 14:30。この登りに3時間もかかってしまいました。

ここまですれ違った人は男性4人の単独行者と年配のカップル一組だけ。昨日も出会った人はすべて単独行でした。蓮華岳山頂に着くとカラフルな服を身に着けた男女のグループなど、急に賑やかになりました。

蓮華岳頂上からはこれまで見えなかったアルプス北部の山々が姿を表します。赤沢岳、鳴沢岳、爺ヶ岳と続く後立山稜線の彼方に鹿島槍ヶ岳と白馬岳の姿が目をひきます。

            蓮華岳山頂からの後立山と鹿島槍ヶ岳、白馬岳

蓮華岳山頂から針ノ木小屋まではおよそ1時間の下り。16時、少し時間を費やしましたが何とかこの日の目的地、針ノ木小屋に到着しました。

小屋のある針ノ木峠は、戦国時代末期、佐々成政が家康との同盟をかけて越えたといわれる伝説の地です。季節は冬ということですが、積雪の時期に富山からこの道を越えて三河の地を往復することは容易ではありません。どこまでが真実であるのか、興味深いところです。

翌日も良い天気。夜明け前の針ノ木峠から、八ヶ岳と南アルプスを左右に従えた富士山の姿がひときわ美しく見えます。

         針ノ木小屋からの富士山 左に八ヶ岳、右に南アルプス

青空を背景に、針ノ木岳山頂が朝日に輝いています。朝食の後、6:30 、カメラと三脚だけを持って山頂に向かいました。

                   峠から仰ぎ見る針ノ木岳山頂

山頂にはちょうど1時間で到着。アルプスど真ん中の高峰だけあって360度、アルプスの山なみが広がります。1ヶ月前に初登頂した鷲羽岳も見えます。その右に笠ヶ岳がチョコンと頭を出しているのが印象的でした。山頂で撮った写真数枚を紹介します。

 雲のベールを薄くまとった山なみ 中央に飯縄山 その右はるか後方には越後駒ヶ岳

    爺ヶ岳(中央やや右) 後方は左から焼山、火打山、妙高山、高妻山、黒姫山

          八ヶ岳、富士山、南アルプスの遠望 手前には美ヶ原

       鷲羽岳(左)とワリモ岳(右)の間にチョコンと頭を出す笠ヶ岳

            赤牛岳山頂左の尾根には黒部五郎岳が顔を出す

山頂での眺望を十二分に楽しんだ後、小屋に戻り、荷物をとって、針ノ木谷を一路扇沢に向けて下山しました。扇沢からはタクシーで車を置いた七倉山荘へ。天候と人の和に恵まれた3日間の山旅を無事終えることができました。

     

 


船窪小屋

2013年09月28日 | 山歩き

以前親不知で出会ったFさんから薦められていた船窪小屋を訪ね、27日朝 6:40、登山口を出て七倉尾根を登りました。

                     七倉尾根上部の山道

長くつらい急登を登りきると、紅葉の始まったナナカマドと真っ青な秋の空のお出迎えで、それまでの疲れが一気に吹き飛びました。小屋には13:40着。

到着すると早速熱いお茶のおもてなしです。 「Fさんの紹介で・・・」 と話すと、何とFさんは前夜宿泊し、今朝烏帽子岳方面に向かったとのこと。ちょっぴり惜しいすれ違いでした。

素晴らしい秋晴れ、夕食までのひとときは小屋の前のベンチに座り、ビールをいただきながら眼前に広がるアルプスの大展望をのんびりと楽しみました。

  船窪小屋前から不動岳方面を望む 不動岳左遠方に赤牛岳、右手の薬師岳は雲の中

船窪小屋はランプの宿。電気は何セットかあるソーラーパネルで電池に貯めて使っています。

         囲炉裏を囲むメインルーム 食事はここでとります

冷蔵庫は無いので、冷たい水や外気で肉、魚、野菜を保存しているとのこと。水場は片道30分ほど歩いたテント場の近くで、水を確保する苦労もしのばれます。

         テルテル坊主の揺れる窓越しに水晶岳(左)、赤牛岳(右) 

今年は小屋創立60周年とのこと。最初の小屋は水場の近くに建てられ、そこが船窪岳近くだったので”船窪小屋”の名がつけられたそうです。

雪の多い場所で小屋の保守が大変だったことから、20年後に今の場所に移転して40年が過ぎたということでした。

4時半から夕食。おかみさん自ら手作りした味噌の汁にこの日はナメコが入り、その美味しいこと。前日に泊まった女性はあまりに美味しいので夕食朝食合わせて5杯おかわりしたそうです。

        夕食は山菜の天ぷらをメインにおかみさん手製の生春巻など豪華

お米は健康食の紫米。この日の宿泊客は私を含めて5人でしたが、テント場から男性がひとり、30分かけて”外食”を食べにやってきました。いつもは自炊だそうですが、おかみさんの美味しい食事を知っていて今宵は特別だそうです。山小屋での、手の込んだ豪華な食事に一同大感激しました。

食事を終えて外へ出ると夕暮れです。雲が赤く染まって青空と黒い山影とのコントラストが見事でした。

                   七倉岳の上に浮かぶ夕焼雲

振り返ると薄い雲をまとった槍ヶ岳が夕日に染まって昼とは違った表情を見せています。

                     夕日に染まる槍ヶ岳

6時からは囲炉裏を囲んでお茶会でした。Sさんの司会で客5名ととスタッフ5名。自己紹介や感想を述べあい、和やかなうちに時間が過ぎていきました。スタッフはオーナーご夫妻と若手4人ですが、おひとりが休暇で近くのアルプスを歩いていて、この日は若手3人でした。

お茶会が終わって外に出ると、すっかり暗くなっていて、満天の星に天の川、久しぶりに見る素晴らしい星空でした。

8時消灯。7~8人寝られるスペースを独り占めして、布団に入るとすぐにぐっすりと寝込んでしまいました。夜中に目が覚めると、枕もと横にある窓の向こうにオリオン座が昇ってきています。

  ガラス窓越しのオリオン座 左の明るい光は月、その下は大町?の夜景、左端は木星

  上の写真、中央やや左下にある赤い光はカーテンを漏れてきたランプの光の反射です。

朝5時前に布団を抜け出し、日の出前の朝の風景をひとしきり撮影しました。その中からいくつかの写真を紹介します。

       黎明の東の空 左に四阿山、右に浅間山、手前には信濃大町の灯

                  八ヶ岳(左)と富士山(右)

               四阿山と浅間山の間から昇る朝日

             朝日に輝く立山(右)と竜王岳(中央)

     裏銀座コースの三ッ岳(中央)と左背後に野口五郎岳、右遠方は水晶岳

        船窪小屋全景 背景は左から唐沢岳、燕岳、大天井岳

6:45 針ノ木小屋を目指して出発。小屋のスタッフの皆さんは鐘を鳴らし、手を振って見送りしてくださいました。

          北葛岳山頂から見る船窪小屋 背景は三ッ岳と野口五郎岳

遠方から見た船窪小屋の写真を2枚ほど紹介します。1枚目は北葛岳山頂から見た船窪小屋。

        七倉岳山頂近くに小さな船窪小屋を見る  - 針ノ木岳より

 2枚目は針ノ木岳山頂からの遠望です。肉眼ではわからなかったのですが、近くにいた目の良い人が”船窪小屋はあそこに見えますよ”と教えてくれました。双眼鏡をのぞくと、七倉岳山頂付近の短い尾根の真ん中に確かに3連の青い屋根が見えます。ズームをいっぱいに効かせて取ったのが上の写真です。右下は高瀬ダム湖です。

山旅はこのあと、北葛岳、蓮華岳、針ノ木岳と続きますが、楽しかった船窪小屋のひと夜の滞在と小屋の皆さんの温かいもてなしを思い出しながらひとまず筆をおきます。

 なお、船窪小屋の公式ホームページは下記になります。

   http://funakubogoya.net/about.html