6月15日、名古屋から塩尻・中央線経由で東京へと、鈍行列車乗り継ぎの旅をしました。大月で途中下車、駅から岩殿山を往復しました。
国道139号の陸橋上(JR中央本線の跨線橋)からの岩殿山 -鏡岩が正面に見える
桂川にかかる高月橋を渡り、丸山公園を経て頂上まで約1時間。標高差 270 m の単調な登り道です。頂上に着くまで知らなかったのですが、標高は 634m、なんとスカイツリーの高さと同じなのです。
岩殿山頂上・展望台にある看板
頂上からは、晴れていれば富士山が見えるのですが、この日は残念ながら雲の中でした。
岩殿山頂上・展望台から高畑山方面を望む
すぐ足元に中央自動車道が見えます。桂川、JR中央本線の向こう側に、昔登った高畑山と倉岳山が見えます。”昔”というのは40年以上も前、大学生だった頃のことです。東京・杉並区に住んでいたので、この辺りの山をちょくちょく日帰りで歩きました。
高畑山には思い出があります。ひとりで、高畑山から倉岳山を歩いた時、”仙人”に出会ったのです。正確に何年だったか忘れてしまいましたが、大学生のときでした。小さな小屋があって、薄汚れた白い服を着た妙なおじいさんがいたのです。自ら仙人と名乗っていろんな話をしてくれました。一つだけ覚えているのは、”我々が住んでいるのは「地球」ではなく、「宇宙移動球」である、「宇宙移動球」と呼ばなければいけない”という話です。”人間は宇宙に生きる生命体”という意味のことを力説されたことを覚えています。
もう一つ覚えているのは、小屋の近くにちょっとした崖があり、其処に突き出した木に縄をかけてブランコが作ってありました。その縄にぶら下がって崖に飛び出し、戻ってくると、ブランコに結んであるおもりのようなものが地面に置いた空き缶のどれかに入るのです。どの缶に入ったかで”君の将来が占える”と言って、ブランコに乗せられました。結果で何か言われたのだと思いますが、それは忘れてしまいました。高畑山の登山コースガイドには、今でも ”仙人小屋跡” の場所が載っています。
この仙人は私が出会って数年後には亡くなっていたようです。昨年9月のテレビ東京、”アド街ック天国”で、仙人の話題が取り上げられています。
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20110917/38346.html
下山の途中、山麓の丸山公園にある”ふれあいの館”に立ち寄りました。大月出身の山岳写真家、白籏史朗(しらはた しろう)氏の撮影した”秀麗富岳十二景”の美しい写真が展示されています。
http://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p2_3268.html
入口のスタッフの人と高畑山の話をし、仙人に会ったことを話すと、「小学生のころ話に聞いていたけれど、大月の人以外で仙人に会った人に会うのは初めて」と驚いていました。
頂上にある岩殿城の説明板
城主小山田信重が織田に寝返り、武田家滅亡の決定的要因となった
長くなったので写真だけにしますが、岩殿山は武田家滅亡とも関わりの深い岩殿城のあったところとして、歴史的にも興味深い山です。
大月は最近、”笑点”の人気者、三遊亭小遊三師匠のふるさととして有名になりつつありますが、この岩殿山をはじめ、美しい富士山の景観を眺められる魅力的な町のひとつであり、私にとっては仙人と巡り合った懐かしい地でもあります。