田園 里山 野鳥そしてアルプスの山々

日進市と近隣の里山、春から秋にはアルプスの山々を歩いて感じたこと、考えたことなど・・・

氷見海岸の日の出 

2013年12月26日 | 旅日記

25日の朝、富山駅発 5:38 の列車に乗り、高岡で乗り換えて氷見に向かいました。6:27氷見着。2駅手前の雨晴駅に向かって海岸を歩くことにしました。

雲が多い朝でしたが東の空は雲が切れていて、茜色の空に毛勝三山、剣岳、立山、薬師岳と続くアルプスの山なみが海の彼方に黒々と浮かんでいます。

        氷見海岸  日の出前のアルプス 中央付近に剣岳と立山

剣岳と立山付近をズームアップしてみました。午後にならないと雪山の白い姿は見えませんが、海面から立ち昇る霧が薬師岳の姿を薄く覆い、見ごたえのあるシルエットです。

      

               剣岳-立山方面のズームアップ

手前の浜辺にはダイサギらしき鳥が佇んでいます。砂に足を取られながら波打ち際を雨晴海岸に向かいました。

やがて立山と薬師岳の間、ザラ峠のあたりから陽が昇ります。ザラ峠は佐々成政が冬季アルプス越えをしたときに通ったところと伝えられています。

                    アルプスから昇る太陽

氷見駅から雨晴海岸まではおよそ6km。日のあたる海岸を歩いていくと、チドリの群が波打ち際を走る姿が目に入りました。

                      浜辺を走るチドリの群

ズームアップしてみると、コチドリに似た大きさですが、この季節にはいないはずです。チドリの種のどれかであるとは思うのですが、はっきりとは確認でいていません。

 

          チドリ                         ハクセキレイ

セキレイが1羽やってきて、こちらは尾羽を上下させながら歩いています。他に歩く人影もなく、風も穏やかで、波の音だけが響いています。

日の出と、渚を走るチドリの姿を動画にし、YouTubeに投稿しました。

    http://youtu.be/-mPOEFDtK-Y

                         雨晴駅

雨晴駅には8時過ぎに到着。このころには眩しい太陽のためにアルプスの姿を見ることはできなくなっていました。8:29発の列車で9時過ぎには富山駅着。この日の仕事に向かいました。

    


晩秋の奥日光

2013年11月14日 | 旅日記

日光の2日目、車を借りて二人で奥日光へと旅しました。すでに紅葉は終わって晩秋の雰囲気。風も強く、時にみぞれがちらつくほどでしたが、ところどころ残る紅葉が秋の名残を伝えていました。

いろは坂を明智平へ。しかし霧で風景は見えず、ロープウェイをあきらめて中禅寺湖へと向かいます。

                  中禅寺湖のほとりに残る紅葉

冷たい季節風に湖面は波立ち、わずかに残る紅葉の木々も寒さに震えているようです。戦場ヶ原も枯野の風情で人影も少なく、冬を待つ姿。

                       戦場ヶ原

戦場ヶ原のさらに奥、晩秋の山々に囲まれ、湯ノ湖が静かな湖面を見せています。数羽のマガモがやってきていて、一足早い冬の訪れを告げているかのようです。

                          湯ノ湖

            オスのマガモ ゆっくりと湖面を横切っていく

横谷峡以来、少しばかり ”滝” づいている感もしますが、日光と言えば多くの名瀑を外すことができません。まずは湯ノ湖から流れ落ちる湯滝。

 

      湯滝の落ち口付近                滝壷から見上げる湯滝

湯滝を見るのは初めてのような気がしますが、末広がりの姿とスケールの大きさはなかなかのものです。滝つぼから落ち口まで遊歩道もあります。落ち口の雰囲気も風情があります。

次は竜頭の滝。ゆるい傾斜を流れ落ちる水量は多く、なかなかの迫力です。中禅寺湖から近く、結構賑わっていました。

 

     竜頭ノ滝の最下段              名前の由来となった岩・竜の頭

最後はやはり華厳の滝。この日の水量は毎秒2トン。1日17万トンという勘定になりますがそんな膨大な量が循環している自然の大きさにいつもながら驚かされます。

          華厳の滝  -エレベーター上側の展望台より

日光3名瀑というのがあるそうで、それは華厳の滝の他には霧降ノ滝、裏見ノ滝とのこと。今回はそこまで足を伸ばせませんでしたが竜頭ノ滝、湯滝も立派な名瀑です。ただ、これらはシリーズ(直列)なので3名瀑になっていないということなのでしょうか?

     スカイラインからの中禅寺湖と男体山 左下に八丁出島が見える

中禅寺湖からいろは坂の下りにかかる手前に”半月山展望台”の道標があり、どんなところかと思って行ってみました。中禅寺湖スカイラインという行きどまりの自動車道で、ここから眺める中禅寺湖と男体山の眺めは大変よさそうです。

というのはこの道を走っている間は霧が出てきてみぞれまじりの雨になり、霧の晴れ間に少しだけ良い景色を望むことができたのですが、晴れていれば中禅寺湖と反対側の山並みも素晴らしいことが垣間見られました。

             JR日光駅(右手)と雪をつけた日光の山々

いろは坂を下り、昨日見逃した改修中の三仏堂を見学してJR日光駅に着くと、ようやく青空が広がり、レトロな駅舎と交番の向こうに新雪を被った女峰山と赤薙山の姿が美しく、旅の終わりを飾ってくれました。

今回訪れた”三名瀑”の風景をYouTubeに投稿しました。

   http://youtu.be/e7z-KNKEglI

      


日光東照宮

2013年11月13日 | 旅日記

東京へ出たついでにおよそ50年ぶりで日光を訪れました。神橋近くに宿をとり、早速参道を東照宮へと向かいます。

                     大谷川と神橋

神橋下の大谷川ではミソサザイが水浴びをしています。

                   大谷川に遊ぶミソサザイ

参道を振り返ると杉の木立の間に紅葉した木々が彩りを添え、向かいの山が霧に煙っていました。

                 東照宮へと向かう参道を振り返る

東照宮へ入り、まず目に付くのは三神庫と呼ばれる3つの建物。5月に行われる百物揃千人行列の装束が納められているそうで、校倉造風に朱と金の装飾が美しい建物です。

    三神庫の一番奥にある上神庫 妻にある像の彫刻(左下に拡大)が有名

その左手奥の陽明門は平成の大修理が始まったばかりで残念ながら見ることができませんでしたが、その奥の唐門と左右に広がる透塀は見事です。

              白い胡粉が美しい唐門と左右の透塀

門の左右に昇竜と降り竜。透塀の井桁を挟んで上には花鳥、下に魚が隙間なく彫られ、極彩色に彩られています。

                  透塀と上下の彫刻

その右手の坂下門から奥宮への石段を往復するのですが、入口の長押の上に有名な眠り猫があります。

  

               注意を促す看板(左)と眠り猫

看板がなかったら見過ごしてしまいそうな小さな像ですが、人々はみな立ち止まって写真に収めています。

ここからは長い石段を奥宮へと往復します。この日は混み合っていて、往復には30分近くかかりました。

 

 奥宮にある宝塔 家康の神柩を納める  久能山・東照宮の神廟(2011年10月に撮影)

奥宮は拝殿・石の間・本殿からなる権現造り。その奥に家康の遺骨を納めた宝塔があります。家康は自らの遺骨を久能山に納め、1年後に日光に小堂を立て勧請することを命じたとのことですが、遺骨がどちらにあるのかは今でも謎のようです。

奥宮から戻り、陽明門の内にある小さな神輿社を覗くと天井には”日本一の美人天女”が描かれています。

             神輿社天井に描かれた天女舞楽の図

陽明門を出ると鳴竜で有名な本地堂があり、案内の僧侶が拍子木をたたいて鳴竜の声を聞かせてくれます。

三神庫の広場に戻ってくると、向かいには神厩舎がありますが、これは極彩色に彩られたほかの建物と異なり、白木のままの素朴な姿をしています。

                    素木造りの神厩舎

この欄間にあるのがこれも有名な”見ざる・言わざる・聞かざる”の三猿の彫刻です。8枚の絵で人の生涯のありようを描いた彫刻の2番目が三猿で、純真で影響を受けやすい幼児期に、悪いことを見聞きしたり、悪い言葉を話すことなく育つように、という意味が込められているのだそうです。

           ”見ざる・言わざる・聞かざる” 三猿の彫刻

彩り鮮やかな建物を見続けてきた目には、白木の建物と人生訓を含んだ素朴な彫刻の物語が何か新鮮に響いてきました。

昼食をとり、その後東照宮の大改装を行った三代将軍家光を祀る輪王寺大猷院へと向かいました。

      


針ノ木峠と佐々成政

2013年10月09日 | 旅日記

針ノ木峠は標高2536m。針ノ木岳と蓮華岳の間にあり、立山黒部アルペンルートの長野県側、扇沢駅から針ノ木大雪渓を登るのがもっとも容易なアプローチです。今回は船窪小屋からここへ縦走し、逆に扇沢に下りました。

      針ノ木峠に立つ道標 道標の後ろは左から赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳

           その背後に白馬岳(左)と鹿島槍ヶ岳が見える

峠には針ノ木小屋があり、今回はここに1泊して、朝針ノ木岳山頂を往復したわけです。

                       針ノ木小屋

ここ、針ノ木峠は、戦国時代末期、越中富山の城主、佐々成政が冬のアルプスを横断し、浜松の家康を訪ねた際、通ったところ、と伝えられています。優れた冬山装備のある現代でも12月~1月の厳冬期にこのルートを通ることは大変難しいことです。ただ、徳川家臣で後の肥後松平家の祖先にあたる松平家忠が残した日記があり、天正12年12月25日、成政が浜松を訪れた、という記録があることは事実です。

秀吉と不仲であった成政は、秀吉に味方する前田利家と上杉景勝に東西を抑えられ、小牧長久手の戦後秀吉と和睦した家康と織田信雄を説得するため、アルプスを越えて自ら浜松を往復した、というのです。状況と記録から、アルプス越えは眞實とみられていますが、どこを通ったかまでは記録がなく、はっきりしたことはわかりません。もっとも有力な説が、旧立山温泉→ザラ峠→五色ヶ原→黒部川→鉢ノ木峠→信州大町ということになっています。

何はともあれ、家康の説得に失敗した成政は失意のうちに再びアルプスを越えて富山に帰った、ということになっています。

失意の成政に追い打ちをかけたのが、愛妾小百合が家臣と密通したという知らせでした。小百合を妬む家中の女どもの讒言だったことに気付かず、激怒した成政は”小百合を切れ”と旅先から命令し、恨みをもった小百合は「立山に黒百合が咲く時、佐々家は滅びる」と予言して死んでいきます。後にそれが本当になり、黒百合のおかげで成政は秀吉や北政所の前で赤恥をかかされ、その数年後、秀吉に切腹を命ぜられる、という話につながっていきます。

”黒百合は恋の花 愛する人に 捧げれば ・・・”という、織井茂子が歌った歌がありました。佐田啓二と岸恵子の有名なラジオドラマ、”君の名は”の第2の主題歌でした。”立山ではクロユリは恨みの花”と、数年前、室堂のガイドの方に教えていただいたことを思いおこします。

                 針ノ木峠から、黎明の槍・穂高

成政はどんな気持ちで冬のアルプスの山々、槍・穂高を眺めたことだろうか?とその心情がしのばれます。

    


小川村から鬼無里へ

2013年08月23日 | 旅日記

8月17日、長野県の小川村、林りん館に一泊し、鬼無里、白馬村、安曇野と旅しました。林りん館の標高は800mほどですが、泊まった部屋の窓から北アルプスを見ることができます。

  宿から見る夕暮れの北アルプス ”天使の階段”の左に爺ヶ岳、右に鹿島槍、五竜岳

夕暮れどき、雲は多かったのですが、雲間を縫う陽光が眩しく差し込みます。明け方は満天の星に天の川がきれいでした。

朝食前に車で小川村の中をドライヴ。いったんオリンピック道路の走る谷に下り、反対側の斜面を登るとアルプス展望台があります。

                  アルプス展望台からの風景

林りん館からとは少し違う雰囲気で北アルプスが見えます。さらに進むと長野県の県宝、高山寺。三重塔は、江戸時代中期に木食山居上人が再建したと伝えられています。

                  長野県の県宝 高山寺

朝食の後、宿を発って鬼無里の里へ向かいました。峠を越えると、里を前景に戸隠連山が鋭い峰頭を見せてくれます。

               戸隠連峰 -鬼無里へ向かう道より

里へ下りたところに松厳寺があります。17世紀のはじめに建てられた禅寺で、鬼女紅葉の菩提寺として知られています。鬼女紅葉の伝説、私は知らなかったのですが、妻は上村松園の美人画で知っていたようで、何気なく訪れたところがゆかりの寺とわかり、感慨深かった様子でした。

本殿の天井画や欄間の彫刻道元禅師、も時代が古い物のようで立派でした。

                   欄間の彫刻 道元禅師一代記

この寺には川端康成が訪れたこともあり、後に村の人々が文学碑を建立しています。碑には川端康成の筆で道元の歌が刻まれています。

         

   川端康成文学碑 碑文

      「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷(すず)しかりけり」

鬼無里からは白馬村に向かい、黒菱林道を登って八方尾根を散策しました。

        雲間に時おり頭を出す白馬三山と大雪渓  -八方尾根より

白馬から大町を通り、安曇野インターに入ると、西の空は翌晴れ、日没を迎えました。梓川のサービスエリアで一休みし、夕映えのアルプスを眺めつつひと時を過ごしました。

   夕映えの北アルプス 中央の丸い実ねの右奥に蝶ヶ岳、その右のピラミッドが常念岳

                                   - 梓川サービスエリアにて

安曇野をあとに一路自宅へと向かい、夜10時に無事到着し、北信の山里をを巡る旅を終えました。