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がちまや、沖縄を往く。その6

2011年08月09日 23時38分47秒 | 旅行

なわけで、7月上旬に、沖縄をぶらぶらしてきました。

ツイッターでつぶやいていたので、どんな感じの旅行をしてきたか、

ブログにいつも、いらっしゃってくれる方には、すでにご存じかとは思いますが、

ちょっとだけ、ブログで紹介させてください。

とはいえ、文章を長く書く気力がないので、写真ばかりで申し訳ないです。

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沖縄県国頭郡本部町渡久地。

沖縄旅行の後半戦の宿は、本部半島の先端に近い、漁港の町を選んでみた。

この日は、朝一番で石垣島を出て、飛行機で那覇へ。そのまま高速バスに乗って名護へと一足飛びでやってきたが、

本部半島は、車のない観光客にとっては、難儀な場所だった。

まず、名護バスターミナルで、本部半島一周するローカルバスへの乗り継ぎがたまたま、良くなく、イマイチ。

あとから解ったのだが、高速バスなら、終点手前の、名護市役所あたりで降りると、いろいろと乗り継ぎや便利がよさそうだった。

そして、渡久地から出ている水納島行きの船は、ピーク時の運行ダイヤのつもりで行ったら、

運行ダイヤが、まだピーク前で、船が出てしまって、次の便まで2時間待ち。これも事前によく調べていなかったのが原因だった。

ならば、ゲストハウスに荷物を預けようと思って港の近くに立つゲストハウスに立ち寄ると、

昼間でお客さんもスタッフも誰もいないのか、声を掛けども反応なし。

…仕方ない。重たい荷物を背負って、バスで20分ほどの、今帰仁城跡へ向かった。

バス停は、半島の道路沿いにあるのだが、今帰仁城跡自体は、城だから、当然、高台。

約1km続く上り坂。「わ」ナンバーのレンタカーが次から次へと走っていく隣を、とぼとぼと歩く。労役かと思うほどだった。

しかも、帰りはビジターセンターにいたおっちゃんの勧めで、登山道を下ってきた。

崩れかけた城壁の跡などもあり、面白い道だったが、

標識など、あまり整備されていない上に、大きなバックパックを背負った自分に、

この道をすすめたおっちゃんには、後から恨めしかった。

そして、バスを待ち、ゲストハウスのある、渡久地へ。

…やっとゲストハウスで休憩できる。気がつけば、ゲストハウスから携帯に着信が入ってた。

時刻は午後6時前。連絡なしで到着するにしては、ちょっと遅い時間帯だろうか。

くまぞー「あっ、こんちはー!」

そこには、男性客二人とゲストハウスのご主人。そのうち一人は、沖縄旅行初日、那覇のゲストハウスで出会った男性だった。

かつお漁の研究をしていて、仕事で渡久地へ行くと言っていたので、

那覇のゲストハウスで、少し情報を聞いたりしていて話したが、その時のゆんたくは、他の若いお客さんやスタッフが中心で、

お互いには、それほど話をしていなかった。

でも、聞けば、なかなか面白そうな話を始める。

研究で南太平洋へ行ったりした時の話や、マーシャル諸島の水爆実験の話、

全国の水族館の話、渡久地のかつお漁についてや、

本部半島にあるいろんなゲストハウスについての話など、

2晩とも、夜遅くまで、つっこんでいろんな話を聞かせてもらった。

石垣島で同部屋だった男性の時と同様、またもや面白い再会となった。

 

ゲストハウスの目の前は、渡久地港があり、小さな湾の入り口には、大きな橋が架かっている。

橋に沈む夕陽を眺めたくて、岸壁の低いコンクリートの壁に、座っていたら、

一人の老人が道路を渡って僕の近くに来て腰をかけた。

くまぞー「こんばんはー」

老人「……。」

老人が、たまに話しかけてくれる言葉は僕にもなんとか解るものの、

耳が遠いためか、僕が問い返す言葉には、少し反応が悪く、一方通行のコミュニケーション。

すると、一人の中年の男性が岸壁に止めた車から降りて僕らのほうへ近づいて話しかけてきた。

どうやら、この中年の男性も、老人も、岸壁の道路一本隔てたところに住んでいる地元の方。

老人は、もう90歳を超えているとか。夕涼みがてら、こうして毎日、夕陽を眺めているらしい。

中年の男性は老人に、東京から来た僕の事を、二人にしか解らないような、ニュアンス豊かな方言で、

「大和からやってきたお客さん」と紹介してくれた。

 

夕陽はとっくに沈み、しかも、大きな雲に隠れ、きれいに焼けなかったが、

地元のお二人に、いろんな話を聞かせてもらった。

若者が船に乗らなくなり、次第に衰退していったカツオ漁のこと。

沖縄海洋博で大きな橋がかかり 、別の場所に大きな港ができ、離島へ渡るお客さんが減り、賑わいが減った町の話。

数年ごとに行われる豊年祭や綱引きの話。準備のための苦労や、夜、行われる練習の話。

気がつけば、日もとっぷり暮れて夜9時ちかくになっていた。

くまぞー「ありがとうございました。そろそろ戻りましょうかねー。」

ゲストハウスに戻ったら、すでに他の宿泊者は、自由に使えるキッチンでご飯を作って食べ終わっていた。

その日の昼間はちゃんとご飯を食べる機会がなくはらぺこだったが、地元の人と話せた充実感は、なによりも幸せだった。

 


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