新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

鏡花の摩耶山 秋の大阪

2023年10月27日 | おでかけ



引用したサイトで知りましたが、泉鏡花は、摩耶山の忉利天上寺(とうりてんじょうじ)に詣でていたらしいですね。

「母夫人」は、「ははふじん」でも誤りではありませんが、「ははぶにん」と読んでください。摩耶は釈迦の生母の名前、山号の忉利は摩耶夫人が昇天したあとの忉利天にちなむのだそうです。

摩耶山は、播磨の一乗寺を中心に活躍した、天竺から来た法道仙人が開山したと伝えられます。中興の祖が、全国どこでも大活躍の弘法大師こと空海です。

唐に渡った空海は 密教の奥義を極め,その帰国にあたって,時の皇帝憲宗より譲り受けた摩耶夫人像を日本に持ち帰り、摩耶山に日本にただ一つの摩耶夫人堂を建立し、その本尊としたのが、山の名が「仏母摩耶山」となり、寺の名前が忉利天上寺になったいわれだそうです。以後、摩耶山天上寺は「女人高野」と呼ばれ,安産祈願の本山として長く女性の信仰を集めるようになったと伝えられます。

安産腹帯も、摩耶夫人堂の前の鐘の緒に巻かれた浄布を持ち帰り、腹帯とした慣わしにはじまるのだそうです。摩耶山の腹帯は「鐘緒」と書いて「はらおび」と読み,天上寺は「安産腹帯発祥の霊場」といわれるのだとか。

もちろん、これはネット記事の受け売りで、検証が必要です。

安産腹帯は、源氏物語の「宇治十帖」で、薫が今や人妻で妊娠している中の君に迫る、際どいシーンにも出てきます。当時の皇族・貴族女性に、安産腹帯が定着していたのも、忉利天上寺が、紫式部が仕えた彰子中宮の一条天皇の父親である、花山天皇(平安時代中期の天皇)の御願寺だったという歴史も、関係しているのかもしれません。

ただし、紫式部の時代の仏教は、古代インドの女性蔑視の思想を受け継ぎ、女性は往生成仏できないとしていました。女性にも仏の救いがあるといわれるようになったのは、紫式部のパトロンの藤原道長も深く帰依し、源氏物語の「横川の僧都」(よかわのそうず)のモデルになった源信が「女人往生」を唱えてからです。

摩耶夫人を祀るのが忉利天上寺だけというのも、ちょっと意外でした。しかし、仏教がいまも女性蔑視の思想を払拭しきれない以上、カトリックがマリア崇拝を異端としたのと似た問題が含まれているのかもしれませんね。

泉鏡花の話でした。

この夏、れんちゃんに誘われて立ち寄った神戸市立文学館の『文豪とアルケミスト』コラボイベントで、泉鏡花に『峠茶屋心中』という作品があることを知りました。

しかし、パネルの作品紹介は要領を得ないもので、青空文庫にも登録がありません。検索の仕方が悪かっただけかもしれませんが、大阪市立中央図書館でも、泉鏡花全集はヒットしません。

京都や奈良や神戸の図書館に行けばあるでしょうか。国会図書館のある東京や、鏡花の故郷の金沢まで行けば、見つかるでしょう。

しかし、結局、『峠茶屋心中』を収録した全集の第17巻を取り寄せました。一冊90円。送料を合わせても、大阪市立中央図書館まで出かけるよりお安くなりました。まして、京都、神戸、東京。

朝の出勤で、久しぶりに、本を読みながら歩きました。

いつも私たちが通り過ぎる不動の滝、峠茶屋、仁王門が出てきて、伝説の名物おかしもネタにされていて、すごくうれしかったのですが……。

この作品は、「差別」というデリケートな問題を取り扱っているため、慎重な取り扱いが必要です。この限界ブログも、最近、Google bot さんに捕捉されるに至ってしまいました。無視して、ほっといてほしいのですが。

そういえば、一年前の記事です。



10月の松屋町筋を歩きました…はぃ!

今日は、谷町四丁目に用事がぁりました。大阪城やNHK大阪や大阪歴史博物館がぁる場所です。大阪府警もぁる? 父が逮捕されて、迎えに行ったのかって?ふふ。そぅかもしれません……!......


やはり、大阪の町はいいですね。
平地で歩きやすいし(!)。
この記事にコメントいただいていたryuchyunさん、お元気かな…。


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