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新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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もうたくさんだ!

2011年06月03日 | 政治・経済・労働組合
 内閣不信任決議案の採決は、賛成152、反対293、欠席・棄権33で否決。


 しかし、ほんとうにどうだっていいな。

 こんなことをやっている場合だろうか。今の急務は、被災地の一日も早い復旧・復興であり、福島原発事故を安全に収束させることであり、それ以外のことは二の次である。避難所の被災者はようやく10万人を下回ったばかりである。福島原発事故による避難者も9万8千人にのぼる。経済も大手メーカーのサプライチェーンの話ばかりで、農漁業や中小零細は後回しだ。みんなを置き去りにして、与党も野党も何をしているのだ。

 結局、「震災対応に一定のメドがついたら辞任」という結論だった。「一定」なんて曖昧な言い方をしたら、またもめるだろうに。
 その後、鳩山さんが挨拶に立った。復興基本法の成立と第2次補正予算案の成立をもって、月内退陣。これで一時は民主党の分裂を回避した。

 しかし今朝の日経を見ると、「首相、年明けまで続投意欲」である。
 原発冷温停止メドだって? 次はプルトニウム239の半減期までと言い出すのではないか。

 政治はいったい何をしているのか。しかし私はここで、「政府は従いながら統治せよ」というサパティスタの言葉を想起しなければならないように思う。

 これまでの政党は、社会はほっておけば自然にカオスに行き着いてしまう、だから社会を管理できる強い政府が必要だと主張してきた。しかし実際には逆である。政府こそが、ほっっておけば自動的にカオス、独裁、反民主主義、強権主義や腐敗へと行き着くようにできているのであり、だからこそ社会全体で政府を監視・統治しなければならない。そのことを通じて権力を握ることなく政治を変えることができるとサパティスタは考える。

 Y--興味深いテーマですね。権力を握ることなくどのように政治を変えるのですか?(後略)

 マルコス--われわれは無茶苦茶だよ! 
 (『サパティスタの夢』マルコス/イボン・ル・ボ 佐々木真一・訳 現代企画室)

 この一節はいつ読んでも痛快だ。国家に抗する社会を組織化すること。このことばは、震災後の現代日本の政治状況にこそ有効である。

 「われわれは権力を批判する。しかし、だからといってわれわれは権力を排除しようとしているのではなく、適正に機能し、社会の役に立つ権力を求めているのだ。(中略)
 投票することは社会的崩壊の問題をなにも解決しない。政府の論理が変わらない限り、解決はない。だから社会を組織する必要があるのだ。政府に要求するためではない。ポピュリズムとは違うのだ。そうではなくて、政府が問題を解決しなくても、社会でそれを解決してしまうためだ。われわれは土地、屋根、健康、教育などを要求しており、政府はこれらの要求を受け入れるべきだ。だが、政府がそれを受け入れるか受け入れないかということとは別に、サパティスタの村はそれらの要求を自ら解決してしまう道を模索している。このようなことを社会の他の階層もやるべきだ。取り返しのつかない事態になる前に、悪夢がやってくる前に、この崩壊の過程に抵抗するため組織していくべきなのだ」

 われわれは必ず勝利するだろう(せめてセシウム137の半減期より前がいいね)。
 同志マルコス副司令風にチェのことばを引用しよう。被災者のみんなのためにすべてを。われわれには何もいらない。

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2 コメント

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Unknown (氷川 渉)
2011-06-03 20:26:32
冗談ではなく、我々は1917年2月革命以後のロシアにいるように感じます。

しかし、我々にはメンシェヴィキもボルシェヴィキも、社会革命党も持っていません。

そういう状況で、サパティスタを思い出させてくれた管理人に感謝。
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Unknown (くろまっく)
2011-06-06 20:18:48
震災後の吉本×イトイ対談でも、ロシア革命になぞらえる話が出ていましたね。

訳者の佐々木さん、1977年生まれで一世代下ですが、「何ができますか」と彼らにたずねたら、「自分のくにに帰って自由と平等と民主主義のためにたたかいなさい」と諭されたそうです。

これも、たぶんお好きでしょう。『ラカンドン密林のドン・ドゥリート カブト虫が語るサパティスタの寓話』より。

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この日の最初の指令は、政治研究と文化活動のための細胞組織に名前をつけることだった。エットーレ・スコラに敬意を表して、われわれは「汚く、醜く、悪い奴たち」と自分たちの組織に名称をつけた。しかし異議申し立てがあった。カミーロが言うには、汚く、醜い奴は存在するだろうが、悪い奴というのはあまりにも単純きわまりないマニ教的二元論の考え方である。カミーロは「悪い奴」を「いやらしい奴」に替えることを提案した。しかし、結局は「汚く、醜く、悪く、いやらしい奴たち」となった。

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