「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」
このカフカのことばについて、ときどき考える。もちろん、考えるだけな。同名の加藤典洋の本はタイトルだけで満足してしまい未読のまま。出品者からご購入ください。
世界と戦う自分のほかにも、「世界の支援に回る自分」がほかにいる。分身の術を使えば簡単な。そのことに気づいたのは、忍者村で特訓を受けたときのこと。でも、太りすぎた。特に水蜘蛛のばか。忍者村の皆さんご指導ご鞭撻ありがとうございます。
個人と世界でなく、プライベート/コミュニティ/ソーシャルの三つのモードを行き来すると考えたほうが、より世界を認識しやすくなる。どこかが頂点になって二等辺三角形を形づくると、すぐさま二項対立関係におちいる。三項が対等にインプロビゼーションを交換する円環運動、すなわち「永遠の三角形」なのだ。と、これはとある広告人さんのお話。
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7e40.html
おむすびコロリン、ポンコロリン、お池にハマってさあたいへんなのだ(それ、どんぐり)。
自分ひとりの人格のなかにも、金策に追われる労組活動家、売上低迷のサラリーマン、びんぼうひまなしの職人の三人がいる。びんぼう人同志、仲よくしたらよいのに、この三人はいつも激しく牙をむき合い、不倶戴天の敵対関係なのだ。
今は角がとれ、まるくなった? 最近は表向きソフトらしい。歳を食って、角も取れなかったかわりに、メタボ効果で球形に近づいているだけ。
われわれは帝国主義のメルカトル図法野郎を乗り越えるための、ローリングたこやき的永続革命理論といってきた(いま、思いついた)。
「円環運動としての永遠の三角形」は、革命のための3D技法にも応用できるな。世界の片隅に追いやられ、平面ガエルのように押しつぶされてきた人民が、「根性根性ど根性」といいながら何度倒されても這い上がり起ち上がってくるのがおれには見える。老眼か難聴か発狂? その全部でいいぜ。
「世界は碁盤の目のように仕切られ、その中で従順でないマイノリティは片隅に追いやられるようになります。連中はそうした存在を隅におきたがるのです。だが、意外にも地球は丸いのです!そして、球形の特徴のひとつはまさに隅がないことなのです」(同志マルコス副司令)
World is Mine/Vo. Hatune Miku

このカフカのことばについて、ときどき考える。もちろん、考えるだけな。同名の加藤典洋の本はタイトルだけで満足してしまい未読のまま。出品者からご購入ください。
世界と戦う自分のほかにも、「世界の支援に回る自分」がほかにいる。分身の術を使えば簡単な。そのことに気づいたのは、忍者村で特訓を受けたときのこと。でも、太りすぎた。特に水蜘蛛のばか。忍者村の皆さんご指導ご鞭撻ありがとうございます。
個人と世界でなく、プライベート/コミュニティ/ソーシャルの三つのモードを行き来すると考えたほうが、より世界を認識しやすくなる。どこかが頂点になって二等辺三角形を形づくると、すぐさま二項対立関係におちいる。三項が対等にインプロビゼーションを交換する円環運動、すなわち「永遠の三角形」なのだ。と、これはとある広告人さんのお話。
http://mb101bold.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7e40.html
おむすびコロリン、ポンコロリン、お池にハマってさあたいへんなのだ(それ、どんぐり)。
自分ひとりの人格のなかにも、金策に追われる労組活動家、売上低迷のサラリーマン、びんぼうひまなしの職人の三人がいる。びんぼう人同志、仲よくしたらよいのに、この三人はいつも激しく牙をむき合い、不倶戴天の敵対関係なのだ。
今は角がとれ、まるくなった? 最近は表向きソフトらしい。歳を食って、角も取れなかったかわりに、メタボ効果で球形に近づいているだけ。
われわれは帝国主義のメルカトル図法野郎を乗り越えるための、ローリングたこやき的永続革命理論といってきた(いま、思いついた)。
「円環運動としての永遠の三角形」は、革命のための3D技法にも応用できるな。世界の片隅に追いやられ、平面ガエルのように押しつぶされてきた人民が、「根性根性ど根性」といいながら何度倒されても這い上がり起ち上がってくるのがおれには見える。老眼か難聴か発狂? その全部でいいぜ。
「世界は碁盤の目のように仕切られ、その中で従順でないマイノリティは片隅に追いやられるようになります。連中はそうした存在を隅におきたがるのです。だが、意外にも地球は丸いのです!そして、球形の特徴のひとつはまさに隅がないことなのです」(同志マルコス副司令)
World is Mine/Vo. Hatune Miku

現物を処分したので、正確な引用はできませんが1967年に栗原登一(太田竜)が「世界革命」(三一書房)で書いていたことを思い出します。
「森が居城に歩いてくることがない限り安泰だ。」という予言を信じて慢心した僭王マクベスを帝国主義本国の支配層に例えていました。(言うまでもなく、マクベスは森が歩き出し城を包囲する場面に遭遇するのですが。=これは反マクベスの部隊が擬装のため木の枝を上半身につけて進軍したため。) 「辺境に押しやったはずの森が、それに倍する力で反発し、包囲を縮め締め上げる」(毛沢東的第三世界革命のイメージ)というのももちろん当時の「先進国でしか社会主義革命は有りえない」と考える一派より先駆的ではありましたが、残念ながらこのイメージも今や陳腐化してしまった。
>意外にも地球は丸いのです
「隅に押しやったはずの人民は辺境ではなく一周して支配層のすぐ背後に戻ってきた。(後頭部をすぐにでも一撃可能)」という展開になれば面白いのですが。
副司令官 マルコス
1994 年5月
マルコスは、サンフランシスコのゲイである。 そして、南アフリカの黒人であり、 ヨーロッパのアジア人であり、 スペインの無政府主義者、 イスラエルのパレスチナ人、 観光地の先住民である。 貧民街の暴力団員、 由緒正しい大学のロックミュージシャン、 ドイツのユダヤ人、 国防省の中の人権擁護者、 政治的な政党の中のフェミニスト、 冷戦後の共産主義者、 ボスニアの平和主義者、 ギャラリーも地位もない芸術家、 メキシコのあらゆる都市や場所に暮らす、土曜日の夜を過ごす家庭の主婦、 20世紀の終わりにおけるメキシコのゲリラ、 御用組合の中でストライキをする者、 フェミニズム運動の中のセクシスト、 午後10時に地下鉄の駅に1人でいる女性、 土地のない農民、 地下出版社の編集者、 失業した労働者、 オフィスのない医者、 流行にはずれた学生、 ネオリベラリズムに反対する反対派の人、 著書や読者を持たない作家、 そしてもちろん、メキシコの南東部のサパティスタ。 言い換えるなら、 マルコスは、この世にどこにでもいるような人間である。 マルコスは、 受け入れられず、抑圧され、単に利用されている、すべてのマイノリティーであり、抵抗し続ける少数派だ。 そしてこう言っている。
「もう、たくさんだ!」
彼は、いま話し始めている少数派の、1人1人である。そして彼は、口を閉じて黙り人の話を聞かなければならない多数派の、1人1人である。
彼は、話す方法を、彼ら自身が話すための方法を探している、あらゆる受け入れられていないグループの一つ一つである。
パワーを創り出すもの、そして、権力の中にいる人たちのあの不快な「良識」--これがマルコスである。
あなたは歓迎される、司法長官のオフィスの親愛なる紳士。
私は、あなたに奉仕するためにここにいる。いま我々は宣言する。もうたくさんだ!
(「ラカンドン密林宣言」より)
サパティスタの結成メンバーがラカンドン密林に入ったのは、80年代、おそらくポストモダニズム派マルクス主義者です。ゲバラをリスペクトして、「辺境最深部に退却」した「遅れてきた」左翼ですね。
しかし村に入るにつれ「固い言葉が丸くなっていった」という表現があります。このあたりの展開がおもしろい。気がついたらチェックしてみてください。
今日、見たら「ワールドイズマイン@ミク」がアップされているので関係がありそうでないyoutube画面でも。
ある18禁ゲームのデモムービー。(これ、れっきとした公式から来ている奴で、素人が改変したものではない。) しかも、同人ゲームではなくれっきとした商業作品。 確かに今時OPの歌もないとこ「コストパフォーマンスが悪い。」、「製作費をけちっている。」と悪評が立つのは事実なんだが。 元々、ヒロイン1人だけのジャンク18禁ゲーム(ここ数年プレカリアートの増加に対応して廉価でヒロイン少数という分野の作品数は多い)であることは誰もが認めていることで、評判気にして形だけOPテーマ入れる必要あったのかどうか??(ボーカル不要の典型)
「恐れさえ強さに変え闘いに行くよ」という「左翼的言辞」で最期がしめられているこの2分弱のデモムービーを見終わったらなぜか「ナミダガトマリマセン」でした。
http://www.new-akiba.com/archives/2012/02/post_26589.html
念のため、断っておきますが18禁ゲームの歌や音楽でも出来のいいものは決して侮れないです。
さて、このオープニングは歌わされている本人が「もうたくさんだ」と思っていそうな・・・。
う~ん。80年代ヘビメタ想起しました。高校時代かなあ。
といえば、雁屋哲・池上遼一「男組」ですね。もっとも、漫画界のことはよく知りませんが。
>こうの史代
検索していったら、なぜかNHK「梅ちゃん先生」にたどりつきました。お昼の再放送で見るつもりはしていますが。
「ヌードは一瞬の恥、写真は一生の恥」というセリフを思い出しました。「けっこう仮面」だったかな。