客人を大阪にお迎えすることになった。
とりあえず「串カツ」という話になり、新世界へ。
しかし八重勝やてんぐも、今は行列で1時間以上待ちは必至。私が大阪に来た1995年頃は、どちらも並ばずスッと入れたのにね。ま、串カツはこの酷暑に行列して食べるほどのものではないです(暴言?)。
大阪に来た頃、新世界を訪ねたら、阪本順治監督『ビリケン』の撮影中でした。この映画では、新世界一帯が大阪五輪の選手村開発のため(もちろん利権バリバリです)立ち退きを命じられるのですが、断固拒否する劇中の通天閣社長の言葉がいいんですよね。
「通天閣倒すなら、倒したらええがな。また建て直すがな。二代目があるちゅうことは、三代目もあるちゅうこっちゃ。わしら金ないけど自分ら知らんぞ!」
二代目があれば三代目も 映画「ビリケン」
https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/c91cfeca587723b98fc89ef3b64e8ad7
倒されたらまた建て直す。不可視の都市はひとたび創建されるや否や根絶不可能になる(エリアーデ)。京都や奈良の国宝や重要文化財ばかりが「文化」なのではない。街に生きる人々の生活に直結した、譲渡不可能な自由に結びついたこの想像上の空間こそ、ほんとうの「文化」なのです。
『ビリケン』公開から少し過ぎた頃、新世界を訪ねたときの記事を以下に再録します。
〈JR新今宮駅前にフェスティバルゲートがオープンして久しい。世界の温泉を集めたスパワールドもできた。この街にも若いカップルや家族連れが増えた。
一九一二年、内国博覧会の跡地に出来た「新世界ルナパーク」は、日本のテーマパークの先駆けである。この新世界のシンボルが通天閣。凱旋門を模倣したビルの台座にエッフェル塔を乗せるという、いかにも大阪らしい奇抜なデザインだった。
しかし大阪を代表する歓楽街だった新世界も、「戦後は停滞した」(『日本地名事典』)。『男どアホウ甲子園』には、機動隊の盾を石で打ち抜く(?!)剛腕投手が登場する。この街は西成暴動で記憶される、男どアホウな労働者の街でもある。
通天閣の足元には、坂田三吉の王将の碑があり、歌謡劇場がある。通天閣の歌姫・叶麗子は、『ふたりっ子』のオーロラ輝子のモデルになった。
通天閣では地上から展望台入口に昇るための、連絡用エレベータにぜひ乗りたい。エレベータの権威・滋賀県立大の細馬宏通氏おすすめの、古典的エレベータの名作である。フランス映画の『死刑台のエレベータ』のようで私もファンだ。もちろん展望台エレベータもなかなかいい。交通安全のお守りがあって、京阪電車を思い出してしまう。
展望台は地上九一メートル。「東」「西」「南」「北」のパネルに味わいがある。三六〇度のパノラマの眺めも、意外といい。展望台の名物は、映画にもなったビリケンさん。足の裏をくすぐると願いがかなうという、アメリカ生まれの福の神だ。
ジャンジャン横丁へ。飛田遊廓へ通じる道で、三味線を鳴らして客引きしていたことからこの名がついたといわれる。 串カツ・どて焼き・ホルモン・寿司屋・将棋倶楽部などが所狭しと並ぶ。名物だった弓道場は、訪ねる機会がないまま火事で焼けてしまった。串カツの八重勝と天狗には若者の行列が出来ていた。
初代通天閣は、戦争中、鉄材回収のために解体。しかしお国の役に立つことはなく、敗戦後しばらく明石の浜に錆びついたスクラップが転がっていたという。現在の通天閣は一九五六年(昭和三一年)に再建された二代目。阪本順治監督の『王手』『ビリケン』は、ぜひ見てほしい作品である。
通天閣本通には、パリのショッピングモールをモデルにしたという、古き良き新世界の面影がある。通天閣前にあるお蕎麦屋さんは、小津映画に出てきそうな店のたたずまいで、いつ来ても落ち着く。
通天閣の帽子のライトは明日の天気予報。白なら晴れ。オレンジなら曇り。ブルーなら雨。通天閣をバックに、若くてきれいなお母さんに記念撮影を頼まれた。あすの大阪は「晴れ」だ。〉(了)
帰ってきた大阪環状線物語(内回り編 6) 今宮・新今宮
https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/07fd1a70ec8fb1d5bb4e061c7d69e5de
この新今宮編で、大阪環状線を巡るエッセイの連載は終了しました。
「あすの大阪は晴れだ」とヤングくろまっくは書いていますが、実際のところは、土砂降り続きです。フェスティバルゲートも閉鎖し、跡地は維新にパチンコ屋に売られてしまいました。しかし、私はあのとき写真撮影を頼んできた、あの母子の幸せのために闘うまでです。
ちなみに、古いフランス映画が好な人は、あの戦前のまま地下から地上までの連絡エレベータだけは一度は乗ったほうがいいと思います。いつかはなくなってしまうでしょうし。
村上春樹がエッセイで、「東京にはビフカツがない!」と嘆いていました。『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌「My Favorite Things 私のお気に入り」から、「ヌードルを添えたシュニッツェル」(ウィーンの名物料理。仔牛のカツレツ)というフレーズを引用していました。このシュニッツェルが、すごくうまそうなんですよね。
私も、関西に来るまではビフカツは食べたことがありませんでした。高価な牛肉はステーキか焼肉に限るという固定観念がありましたから。しかし大阪で、いまも通う洋食屋さんでスパゲティ添えのビフカツに出会って以来、考えが変わりました。
小林カツ代さんいわく、串カツは庶民向けにリーズナブルな価格でアレンジされた洋食(ビフカツ)なのです。関東で串カツといえば、玉ねぎを挟んだトンカツでした。肉じゃがも関東は豚、関西は牛ですが、こんなところにも東西の文化差があります。
小林カツ代さんは、料理をしたこともない船場生まれの御乳母(おんば)育ちのお嬢でありながら、結婚後、関西のテレビ局の料理番組でブレイクして、夫の転勤に伴い関東進出を果たしました。カツ代さんがあれだけ支持されたのも、東と西、両方のレシピを知っていたからだと思います。
以下は、新世界めぐりメモ。
新世界に行ってきました れんの夏休み日記
https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/3f76517e2493d8bd4349f9686b53a714
通天閣に行ってきました…はぃ
https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/342591cf4166e2d45e3999d38088a6c9
以下はツイートの再録です。串カツについて。新世界が串カツの街として定着するのは2000年代以降。ご当地グルメ、B級グルメブームの先駆けのような部分があったのかな。
@kuro_mac
以前、宇能鴻一郎の『姫君を喰う話』のレビューを書いたとき、こんな坂口安吾の文章に出会った。
「今日の食べ物はホルモン焼ッきや」
オカミがこう云うと、
「ありがたい。シメタ」
一膝のりだして相好くずす芸人連。特に私の目にアリアリ残るのは淀橋太郎である。
この男の飲みッぷり食いッぷりは人に食慾を感じさせる。ジュウ/\煙のあがる臓モツに大口をあいて噛みつく。ムシャぶりつく、挑みかかる、というような食い方をする。そして、ウマイ! というような嘆声を発する。
しかし、こういう食い方は淀橋太郎一人のものではなく、概してホルモン焼きに噛みかかる人たちが共通に示す食いッぷりのようでもある。焼きたてのアツイうちに、というような必然的な要求に応じているのかも知れん。
私はどうもホルモン焼きは苦手である。(中略)
支那やフランスなどの料理の発達した国では、肉よりもモツの方が値が高いそうだ。牛の脳ミソやシッポなどは特に珍重される由。以前は脳ミソやシッポは牛肉屋がタダでくれたそうだが、高級フランス料理店が買い占めるようになって手にはいらなくなったと林達夫先生がこぼしていたものだ。(中略)
ホルモン焼きというのは染太郎のオカミサンが勝手にこしらえた言葉だと思っていた。(中略)
ところが、大阪は新世界のジャンジャン横丁を歩いたら、おどろいたね。ここはホルモン焼きの天国だよ。人々はホルモン焼きを餓鬼の如くにむさぼり食っているが、決して地獄ではない。
数丁にわたるジャンジャン横丁全体がホルモン焼きの煙と匂いにつつまれ、どの店も立錐の余地もなく労働者がホルモン焼きの皿をかかえてムシャぶりついている。
このホルモン焼きで飯を食って、ジャンジャン横丁の労働者は二十五円で一度の食事ができるのである。労働者の天国だ。
(「安吾の新日本地理 道頓堀罷り通る」青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45902_37421.html
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@kuro_mac
@kuro_mac
ウィキペディアより。1990年代は行列するほどでもなかった。
>さらに串かつが大阪名物と言われるようなったのは2000年代以降のことで、2001年に同店の後継者に後輩を送り込んだ赤井英和(俳優・タレント。元プロボクサー)が料理番組などで宣伝に励んだことが大きいという。