『君の名は。』が、これだけのヒット作になるとは、全く予想できませんでした。
私は、公開初日に観に行きました。しかし、レイトショーなのに座席は完売、物販も長蛇の列でした。翌日も映画館をハシゴしたのですが、ほとんどのグッズが売り切れでした。まさかこんなに人気があるとは、思いも寄りませんでした。
さまざまなメディア展開、プロモーション戦略が成功を収めたようです。私は予告編を観ただけで、都会の男の子と、田舎の女の子の物語ということしか知りませんでした。映画を見終わってから、神社の階段でお互いを振り返るビジュアルが、『転校生』へのオマージュであったことに、気づきました。
私は最初のうちは、この作品を心から楽しんでいました。
スタッフがすごかったですよね。
キャラクターデザインは、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(あの花)『心が叫びたがってるんだ。』(ここさけ)の田中将賀さん。『ここさけ』は、すっかりハマってしまいました。田中さんが表紙イラストを手がけた『君の名は。』スピンオフ小説集『Another Side:Earthbound』は、早速購入しました。小説版もおもしろかったです。
作画監督は『千と千尋の神隠し』『思い出のマーニー』の安藤雅司さん。冒頭で、目玉焼きの卵がぷるんと落ちて、トマトをサクッと切って、ご飯が炊きあがるシーンが、ものすごくジブリっぽかったですね。卵のプルプル、みずみずしいトマトの弾力と固さ、ご飯の熱さが余韻となって、「瀧」入り三葉がもみしだく乳房の質感と体温がよく伝わってきます。目にも心にも「おいしい」導入でした。
主題歌とサウンドトラックは、RADWIMPS。「前前前世」含めて全部で4曲あり、楽曲がストーリーの中に不可欠なパーツとなっています。しかし、音楽は一度聴いたらもういいかな。エネルギッシュでカロリー満点な歌詞やメロディがマシマシで、おじさん胃がもたれそうです。
ものぐさな私が、新海監督の新作を、公開初日にわざわざ観に行ったのも、『秒速5センチメートル』』や『言の葉の庭』が、それだけすばらしかったからです。本作は、前作に続く「古典路線」であり、前作のヒロインが古典担当の「ユキちゃん先生」として登場していました。
本作も、古典に興味がある人には、いろいろ楽しめる作品だと思います(悪口だって人生の楽しみなのです)。
これはだれかが指摘しているでしょうが、日本の文学は、「your name?」から始まっているといっても過言ではありません。日本最古の歌集である『万葉集』の冒頭を飾るのは、次の雄略天皇の歌です。
「籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜(な)摘ます児 家聞かな な告(の)らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾(われ)こそをれ しきなべて 吾こそませ 吾こそは 告(の)らめ 家をも名をも」
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このおかに なつますこ いえきかな なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそは のらめ いえをもなをも
( 籠〈かご〉もよい籠を持ち、堀串〈ふくし:木製のヘラ〉もよい堀串を持ち、この丘で菜を摘んでいる娘よ、家をおっしゃい、名前をおっしゃい。大和の国はすっかり私が支配して、隅々まで私が君臨しているのだが、私から名乗ろう。家も名前も)
当時、女性が男性に名乗るということは「求婚に応じる」という意味でした。人物の本名(諱、いみな)はその人物の霊的な人格と強く結びつき、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられていたのです。ちょっとおもしろいでしょう?
『君の名は。』の企画段階での仮タイトルは、『夢と知りせば(仮) 男女とりかへばや物語』だったそうです。
後者の『とりかへばや物語』は、ご存知のかたも多いでしょう。権大納言には男の子と女の子がいたけれど、男の子は女性的、女の子は男性的だったので、やむをえず女の子を「若君」として、男の子を「姫君」として育てるという物語です。現代ならトランスジェンダー物語ということになるでしょうか。この「男女入れ替え」というアイデアに加えて、
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」
(あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを)
という小野小町の歌にもとづいた、夢のなかで男女が逢瀬を重ねる『転寝草紙』(うたたねそうし)が、この物語の骨格部になったようです。このお話は、ある大臣の姫君が、うたた寝の夢の中で出逢った貴公子を忘れられず、恋の病に臥してしまうが、石山観音の霊験によってその男性(左大将)と結ばれる、というストーリーです。
三葉の暮らす糸森町では、「たそかれどき(誰そ彼時)」「かはたれどき(彼は誰時)」などの古語が転じて「カタワレ時」になったということになっています。この説明は、ちょっと苦しいものがあります。漢字を宛てると、「彼誰我時」になってしまいますから。「彼は誰?あ、おれか」では、ドッペルゲンガー現象になってしまいますからね。しかし「片割れ時」という漢字をあてると、プラトンのイデア説を思い出させて、興味深いものがあります。
このイデア説によると、人間はイデア界ではもともと1種類のみの存在でしたが、意地悪な神さまが、現世に人間を送り出す際に、人間を二種類に分割してしまったというのです。それから人間は、生まれる前にイデア界で見た自分の片割れを求めて、それに一生を費やすことになったのです。かつて男と女の結合体であった人間は異性に憧れ、かつて男同志または女同志の結合体であった人間は同性愛者となる、といわれます。このお話を知っていると、三葉と瀧の運命的な出会いも、「片割れ」を探す必然的なものだったということにも納得がいきます。まあ、細かな点に疑問や不満を感じる自分を、理屈をつけて納得させなければならなかったということでもあるのですが。
それはさておき、男女の入れ替わりシーンでの、主演二人の演じ分けは、ほんとうに見事でした。特に、上白石萌音さんの名演に尽きます。東京の瀧に会いにいく、電車の中でのモノローグが切なくていじらしく、あの場面が観たいばかりに、私はこの映画に5回通いました(実はだんだん観るのが苦痛になっていったのですが、このシーンがあれば5回までは耐えられました)。「男子の視線、スカート注意、人生の基本でしょう!?」という台詞が、すごくよかったですね。
市原悦子のおばあちゃん役も、はまり役だったし、三葉の親友さやかを演じる悠木碧さんもチャーミングでした。
『君の名は。』に出会えて、よかったと思います。世代を越えたいろいろな人たちと、会話も弾みました(悪口含みます)。二次創作作品『おかしお姉ちゃん』を購入したのをきっかけに、ねことうふさんの作品を知ったことも大きな収穫でした。
しかし最近、夏に予約したグッズが届いたときには、すっかり熱が冷めていることに気づきました。
この作品には、さまざまな批判があります。彗星については、私もいろいろ調べました。新海監督は、「こまけぇこたぁいいんだよ!!」といいたいでしょうが、きっと『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の白色彗星のように、「中の人」がいるのでしょう。
しかし困ったものです。代表作『秒速5センチメートル』は、「ねえ、秒速5センチなんだって。桜の花の落ちるスピード」という、少女の無邪気なせりふがもとになっています。しかし、流体工学析ソフトの解析結果によれば、桜の花びらの落下速度は理論値では秒速1.4メートル。実際には、桜の花びらは、傾きながら回転しているために、これよりも落下速度は速くなるそうです。秒速1.4メートルだと、物語が根本から崩壊してしまうのではないか。本作でも、こうした設定の甘さや乱暴さが目立ちます。
私は昭和生まれのおじさんですが、瀧が三葉を「おまえ」と呼ぶところなども、「何様?いつの時代の男?」と不快に思ったものです。スマホがあり、日記アプリも使っているのに、時間のズレに気づかないのも、すでに多くの人が指摘しているとおりで、ご都合主義すぎました。
冒頭の神楽のシーンには、『ひぐらしのなく頃に』や『RDG』を思い出しましたが、「巫女さんの口噛み酒」が出てきたり、元々は「オタ」向けの作品だったのでしょう。
『叛逆の物語』は31回、『アナ雪』と『シン・ゴジラ』は5回観て、それぞれ作品に対する批判もありますが、作品そのものが嫌いになるということはありませんでした。かわいい女の子とキャッキャウフフして、その女の子に辛い思いをさせ、男の子に救いに行かせ、ラストは感動させて、泣かせておけばいいんだという、往年の「泣きゲー」の焼き直しのような「あぞとさ」「せこさ」「いか臭さ」が、鼻について仕方なくなったのです。
『あの花』『ここさけ』のような作品をめざしたのかもしれませんが、『あの花』『ここさけ』にはあって、『君の名は。』にないもの、それは作り手の「誠実さ」でしょうか。ひとことでいえば、ニンニクと脂と化学調味料を大量投入して、ボリュームとパンチだけで勝負する、ラーメン二郎のような映画だと思いました。好きな人には悪いのですが。
ツッコミどころ満載で、本来なら、「おっぱいwww」「隕石の軌道www」「新幹線の座席www」と、オタのおもちゃになるのが、関の山のだったのでしょう。それがなぜか、「リア充」たちに爆発的にヒットしてしまった。これは、一種、文化人類学的なテーマといえるかもしれません。
ラストに近いシーンで、瀧と再会した奥寺先輩がいう「幸せになりなさい」は、『ノルウェイの森』のセリフでしたね。実はそんなに良い出来の映画でないところも含めて、『ノルウェイ』の流行に共通したところがあるように思いました。この問題については、またいつか考えてみたいと思います。
2019年9月20日の追記。6月30日の地上波放送は、病室で見た。新海の女性像には、村上春樹の悪影響を感じる。女性を、ペニスを突き立て、ファンタスティックな世界のこじ開ける鍵穴のごときものとしか思っていなさそうなところとか。春樹のほうについては、こんな記事を書いてみた。
◆「白浜残酷物語 村上春樹における〈差別〉の構造」
私は、公開初日に観に行きました。しかし、レイトショーなのに座席は完売、物販も長蛇の列でした。翌日も映画館をハシゴしたのですが、ほとんどのグッズが売り切れでした。まさかこんなに人気があるとは、思いも寄りませんでした。
さまざまなメディア展開、プロモーション戦略が成功を収めたようです。私は予告編を観ただけで、都会の男の子と、田舎の女の子の物語ということしか知りませんでした。映画を見終わってから、神社の階段でお互いを振り返るビジュアルが、『転校生』へのオマージュであったことに、気づきました。
私は最初のうちは、この作品を心から楽しんでいました。
スタッフがすごかったですよね。
キャラクターデザインは、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(あの花)『心が叫びたがってるんだ。』(ここさけ)の田中将賀さん。『ここさけ』は、すっかりハマってしまいました。田中さんが表紙イラストを手がけた『君の名は。』スピンオフ小説集『Another Side:Earthbound』は、早速購入しました。小説版もおもしろかったです。
作画監督は『千と千尋の神隠し』『思い出のマーニー』の安藤雅司さん。冒頭で、目玉焼きの卵がぷるんと落ちて、トマトをサクッと切って、ご飯が炊きあがるシーンが、ものすごくジブリっぽかったですね。卵のプルプル、みずみずしいトマトの弾力と固さ、ご飯の熱さが余韻となって、「瀧」入り三葉がもみしだく乳房の質感と体温がよく伝わってきます。目にも心にも「おいしい」導入でした。
主題歌とサウンドトラックは、RADWIMPS。「前前前世」含めて全部で4曲あり、楽曲がストーリーの中に不可欠なパーツとなっています。しかし、音楽は一度聴いたらもういいかな。エネルギッシュでカロリー満点な歌詞やメロディがマシマシで、おじさん胃がもたれそうです。
ものぐさな私が、新海監督の新作を、公開初日にわざわざ観に行ったのも、『秒速5センチメートル』』や『言の葉の庭』が、それだけすばらしかったからです。本作は、前作に続く「古典路線」であり、前作のヒロインが古典担当の「ユキちゃん先生」として登場していました。
本作も、古典に興味がある人には、いろいろ楽しめる作品だと思います(悪口だって人生の楽しみなのです)。
これはだれかが指摘しているでしょうが、日本の文学は、「your name?」から始まっているといっても過言ではありません。日本最古の歌集である『万葉集』の冒頭を飾るのは、次の雄略天皇の歌です。
「籠(こ)もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この丘に 菜(な)摘ます児 家聞かな な告(の)らさね そらみつ やまとの国は おしなべて 吾(われ)こそをれ しきなべて 吾こそませ 吾こそは 告(の)らめ 家をも名をも」
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このおかに なつますこ いえきかな なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそは のらめ いえをもなをも
( 籠〈かご〉もよい籠を持ち、堀串〈ふくし:木製のヘラ〉もよい堀串を持ち、この丘で菜を摘んでいる娘よ、家をおっしゃい、名前をおっしゃい。大和の国はすっかり私が支配して、隅々まで私が君臨しているのだが、私から名乗ろう。家も名前も)
当時、女性が男性に名乗るということは「求婚に応じる」という意味でした。人物の本名(諱、いみな)はその人物の霊的な人格と強く結びつき、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられていたのです。ちょっとおもしろいでしょう?
『君の名は。』の企画段階での仮タイトルは、『夢と知りせば(仮) 男女とりかへばや物語』だったそうです。
後者の『とりかへばや物語』は、ご存知のかたも多いでしょう。権大納言には男の子と女の子がいたけれど、男の子は女性的、女の子は男性的だったので、やむをえず女の子を「若君」として、男の子を「姫君」として育てるという物語です。現代ならトランスジェンダー物語ということになるでしょうか。この「男女入れ替え」というアイデアに加えて、
「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」
(あの人のことを思いながら眠りについたから夢にでてきたのだろうか。夢と知っていたなら目を覚まさなかっただろうものを)
という小野小町の歌にもとづいた、夢のなかで男女が逢瀬を重ねる『転寝草紙』(うたたねそうし)が、この物語の骨格部になったようです。このお話は、ある大臣の姫君が、うたた寝の夢の中で出逢った貴公子を忘れられず、恋の病に臥してしまうが、石山観音の霊験によってその男性(左大将)と結ばれる、というストーリーです。
三葉の暮らす糸森町では、「たそかれどき(誰そ彼時)」「かはたれどき(彼は誰時)」などの古語が転じて「カタワレ時」になったということになっています。この説明は、ちょっと苦しいものがあります。漢字を宛てると、「彼誰我時」になってしまいますから。「彼は誰?あ、おれか」では、ドッペルゲンガー現象になってしまいますからね。しかし「片割れ時」という漢字をあてると、プラトンのイデア説を思い出させて、興味深いものがあります。
このイデア説によると、人間はイデア界ではもともと1種類のみの存在でしたが、意地悪な神さまが、現世に人間を送り出す際に、人間を二種類に分割してしまったというのです。それから人間は、生まれる前にイデア界で見た自分の片割れを求めて、それに一生を費やすことになったのです。かつて男と女の結合体であった人間は異性に憧れ、かつて男同志または女同志の結合体であった人間は同性愛者となる、といわれます。このお話を知っていると、三葉と瀧の運命的な出会いも、「片割れ」を探す必然的なものだったということにも納得がいきます。まあ、細かな点に疑問や不満を感じる自分を、理屈をつけて納得させなければならなかったということでもあるのですが。
それはさておき、男女の入れ替わりシーンでの、主演二人の演じ分けは、ほんとうに見事でした。特に、上白石萌音さんの名演に尽きます。東京の瀧に会いにいく、電車の中でのモノローグが切なくていじらしく、あの場面が観たいばかりに、私はこの映画に5回通いました(実はだんだん観るのが苦痛になっていったのですが、このシーンがあれば5回までは耐えられました)。「男子の視線、スカート注意、人生の基本でしょう!?」という台詞が、すごくよかったですね。
市原悦子のおばあちゃん役も、はまり役だったし、三葉の親友さやかを演じる悠木碧さんもチャーミングでした。
『君の名は。』に出会えて、よかったと思います。世代を越えたいろいろな人たちと、会話も弾みました(悪口含みます)。二次創作作品『おかしお姉ちゃん』を購入したのをきっかけに、ねことうふさんの作品を知ったことも大きな収穫でした。
しかし最近、夏に予約したグッズが届いたときには、すっかり熱が冷めていることに気づきました。
この作品には、さまざまな批判があります。彗星については、私もいろいろ調べました。新海監督は、「こまけぇこたぁいいんだよ!!」といいたいでしょうが、きっと『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の白色彗星のように、「中の人」がいるのでしょう。
しかし困ったものです。代表作『秒速5センチメートル』は、「ねえ、秒速5センチなんだって。桜の花の落ちるスピード」という、少女の無邪気なせりふがもとになっています。しかし、流体工学析ソフトの解析結果によれば、桜の花びらの落下速度は理論値では秒速1.4メートル。実際には、桜の花びらは、傾きながら回転しているために、これよりも落下速度は速くなるそうです。秒速1.4メートルだと、物語が根本から崩壊してしまうのではないか。本作でも、こうした設定の甘さや乱暴さが目立ちます。
私は昭和生まれのおじさんですが、瀧が三葉を「おまえ」と呼ぶところなども、「何様?いつの時代の男?」と不快に思ったものです。スマホがあり、日記アプリも使っているのに、時間のズレに気づかないのも、すでに多くの人が指摘しているとおりで、ご都合主義すぎました。
冒頭の神楽のシーンには、『ひぐらしのなく頃に』や『RDG』を思い出しましたが、「巫女さんの口噛み酒」が出てきたり、元々は「オタ」向けの作品だったのでしょう。
『叛逆の物語』は31回、『アナ雪』と『シン・ゴジラ』は5回観て、それぞれ作品に対する批判もありますが、作品そのものが嫌いになるということはありませんでした。かわいい女の子とキャッキャウフフして、その女の子に辛い思いをさせ、男の子に救いに行かせ、ラストは感動させて、泣かせておけばいいんだという、往年の「泣きゲー」の焼き直しのような「あぞとさ」「せこさ」「いか臭さ」が、鼻について仕方なくなったのです。
『あの花』『ここさけ』のような作品をめざしたのかもしれませんが、『あの花』『ここさけ』にはあって、『君の名は。』にないもの、それは作り手の「誠実さ」でしょうか。ひとことでいえば、ニンニクと脂と化学調味料を大量投入して、ボリュームとパンチだけで勝負する、ラーメン二郎のような映画だと思いました。好きな人には悪いのですが。
ツッコミどころ満載で、本来なら、「おっぱいwww」「隕石の軌道www」「新幹線の座席www」と、オタのおもちゃになるのが、関の山のだったのでしょう。それがなぜか、「リア充」たちに爆発的にヒットしてしまった。これは、一種、文化人類学的なテーマといえるかもしれません。
ラストに近いシーンで、瀧と再会した奥寺先輩がいう「幸せになりなさい」は、『ノルウェイの森』のセリフでしたね。実はそんなに良い出来の映画でないところも含めて、『ノルウェイ』の流行に共通したところがあるように思いました。この問題については、またいつか考えてみたいと思います。
2019年9月20日の追記。6月30日の地上波放送は、病室で見た。新海の女性像には、村上春樹の悪影響を感じる。女性を、ペニスを突き立て、ファンタスティックな世界のこじ開ける鍵穴のごときものとしか思っていなさそうなところとか。春樹のほうについては、こんな記事を書いてみた。
◆「白浜残酷物語 村上春樹における〈差別〉の構造」