最近、左下の奥歯に、やたらモノがやたら詰まるようになりました。肉やお魚、葉物などを食べたら、100%の確率で詰まります。右下の奥歯は抜歯した後に、ブリッジの入れ歯を入れているので、硬いものを噛み切るときは左がメインです。これは困りました。
3か月に1回の歯のそうじのとき、歯科衛生士さんに相談すると、先生を呼んでくれ、今回の治療になりました。どうやら奥歯が割れてしまったせいで、モノが詰まりやすくなったようです。
席に座ると、電子カルテの画面に、レントゲン写真の画像が表示されています。しかし見覚えのない画像です。カルテNo.は15209、生年月日も私のものではありません。なお画面に表示されるのは、カルテNo.と生年月日と性別だけで、個人情報はわかりません。看護師さんがキーボードを叩いて、画面が切り替わりました。
私のカルテNo.は、診察券に記されたのと同じ5209でした。さっき表示されていた人とは、1万くらい数字が離れています。
奥歯の割れた跡をセメントで補修してもらい、ようやく詰まりから開放されました。これで肉や魚やニラやほうれん草も詰まりを気にせずおいしく頂けます。
この歯医者さんは、日祝、土曜と木曜の午後が休診です。年末年始とGWには長期休暇もありますから、診療日は年間240日くらいですかね。1日2人から3人のペースで新しい患者が増えたとして、年間480人から720人、間をとって年間600人として、かれこれ16年は通っている計算になります。
そう、初めてあの歯医者に行ったのは16年前でした。
ある日の昼休み、会社オーナーのご隠居さんと打ち合わせ中、急に左の頬が激痛とともにパンパンに膨れ上がったのです。
「クロはん、顔が腫れてまっせ。虫歯やな。早く歯医者に行きなはれ」
ご隠居のお言葉に甘えて中座したわけですが、会議室にある鏡に映った自分の顔を見て、愕然としました。朝からシクシク痛みがあり、熱っぽいなあとは思っていましたが、アンパンマンそのままでした。
大阪に移る前、歯医者に通っていたのですが、痛みもなかったし、そのまま治療を放置してしまったのですね。そして十数年。しかし左上の犬歯の下に膿が溜まり、膿袋ができていたのでした。この犬歯は抜歯し、膿袋もきれいに処置して、今は代わりにセラミック製の義歯を入れています。
それ以来、定期検診も兼ねて、3か月に一度は歯の掃除に通っています。
大阪に移る直前の歯医者も、10年ぶり以上でした。このときもかなり最悪の状態だったと思います。
長らく歯医者に通わなかったのは、親知らずの抜歯のために通った歯医者の印象が最悪だったからです。
これがとんだサディスト野郎でしてね。レントゲン写真を見せながら、こんなことを言いやがるのです。
「この右下のが、これから抜く親知らずだよー。でも、キミ、男の子なのに女の子みたいに顎が小さいねえ。この右上の親知らず見てごらん。生えるスペースがなくて、横に倒れている。このまま行くと、ほっぺを突き破って生えてくるかもねぇ。いひひひひ」
なんなんだ、この変態サディスト野郎はと思いましたよ。しかし親知らずの痛みには逆らえません。レントゲン写真を見せられたその日だったのか、その後日だったのかは忘れましたが、抜歯の処置を受けることになりました。
しかしこのサディスト野郎は、局所麻酔を施してから、抜歯のようすを実況中継しやがるのです。
「ふふふ……女の子みたいに顎がちーさなクロくんの親知らずを、今から抜いちゃいまーす! ふふ、親知らずが先っちょだけ顔を見せているよ? もっと普通の男の子並みに顎が大きければ、ちゃんとまっすぐ生えることができたのに、抜かないといけないなんて、かわいそうだねえ。でも、先っちょしか見えないから、ベンチで抜けそうにないなあ。うーん。どうしようかなあ。ね、どうしたらいいと思う? あれー。返事がないぞー。そっか、しゃべれないかー。安心して。じゃーん。これわかる? メスだよ! ベンチで親知らずを引っこ抜けるように、お肉をパックリ切開しちゃうからねー。麻酔してあるから痛くないよ。こわくないよー。よーし、今からメスを入れちゃうぞぉ。えい、えい、えいえい。やったー。歯肉がパックリ割れて、親知らずの頭が見えたよー。いまから抜くからねー。えい! 抜けた、抜けたよ! でも、あれれー? 神経がまだ繋がって、ブラブラしてるよー。困ったねえ。どうしようかなあ。このままだと親知らずブラブラしたままだねぇ。ふふふ、心配しないで大丈夫だよー。今からハサミでチョッキンしちゃうからねー。えーい! はーい、きれいに切れましたぁ。よかったねえ。今から傷痕、糸と針で縫い合わせてあげるからねぇ」
あれは人生でも最低最悪の経験でした。すっかり歯医者がいやになりましたよ。
私がこのとき抜いた親知らずは、半埋伏型(左)と、完全埋伏型(右)の中間型だったようです。
今の歯医者さんが親身になって治療してくれたので、歯科医に対する認識も改めました。いろいろありましたが、良好な関係を築いています。
あのサディスト医師に会うまでは、歯医者は好きではないものの、決して嫌いではありませんでした。振り返れば、生まれ育った新潟の郊外には、地元に歯医者がなくて(まだ半分農村でした)、バスに乗って隣町まで通ったものです。幼稚園児くらいのころで、まだ一人でバスに乗ることができず、祖父が付き添いで来てくれました。帰りにあんパンと牛乳を買ってくれたものです。そうやって甘やかすから虫歯になるんですけれどね。
あの歯医者さん、いまどうなったかな。先生はおじいちゃんで、木造建築の古風なお医者さんでした。玉三郎の『外科室』を観たとき、私はなぜか幼いころに通ったあの歯医者を思い出したものでした。