新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

夕凪の街 桜の国 クロニクル

2011年08月09日 | コミック/アニメ/ゲーム
 きょうは長崎忌。黙祷。

 この季節になると、必ず『夕凪の街 桜の国』を読み返す。もう50回以上は読んだ。

 急に年表を作ってみたくなった。
 すでにちゃんとした年表はどこかにあるのだろうけれど、これは自分自身のための備忘録。
 1950年までは数え年だったり、早生まれなどの可能性もあるが、それは考慮外にした。

1932年
 ・平野皆実、平野天満・フジミの二女として生まれる

1939年
 ・春、平野旭、長男として生まれる 

1945年ごろ
 ・平野旭、伯母が嫁いだ水戸の石川家に疎開

1945年
 ・8月6日、原爆投下。平野翠(三女・12歳)行方不明に
 ・8月7日、平野天満(父・41歳)勤務先で亡くなる
 ・10月11日、平野霞(長女・15歳)亡くなる

1946年頃
  太田京花生まれる
  「うちねえ 赤ちゃんの時 ピカの毒に当たったん…」
  (胎内被曝か)

1950年
 ・平野フジミ・皆実、水戸に旭を迎えに行く
  旭は広島に戻るのをいやがり、伯母夫婦の希望で石川家の養子に

1954年ごろ
 ・夏、皆実は京花に浴衣の着付けと髪まとめをしてやる
 ・この年以前にフタバ洋装店開業
 ・マリリン・モンロー夫妻新婚旅行で来日、広島を訪ねる

1955年 (皆実23歳、旭16歳)
 ・皆実は原爆ドーム北側の相生通り(原爆スラム)で母と二人暮らし
  市内の〈大空建研〉に勤務している

 ・7月14日(木) 
  同僚の古田さんと一緒に作っていたワンピースが完成
  帰宅後、皆実は水戸の旭からのハガキ(7月7日付消印)。
  「旭君 野球部か カープに入りゃええねえ」
  旭はこの年に高校に入学したのだろう
  「いまにおカネ貯めて連れてったげるけえ!」
  ハガキを眺める母を励ます皆実

*この年の7月7日は木曜日。
  現在、水戸-広島間の普通ハガキが届く目安は翌々日。
  明治初頭でも、東京-大阪間は3日で届いたというが、
  この頃は1週間程度か


 ・7月15日(金)、皆実は会社を欠勤
  同僚の打越、外回りのついでに平野家を訪ねてくる
  「ゆうべの雨でぴかぴかなん」
  晴れたので洗濯と屋根の修理をしていた
  皆実が竹の皮を集めていたのは、草履を作り靴代を倹約するためだった

 ・7月16(土)~17日(日) 打越は実家に帰る
  祖母に草履を編んでもらう

 ・7月18日(月) 皆実は残業
  「うち先週休んだぶんの仕事が残っとるけえ」
  帰り、〈フタバ洋裁店〉にたたずむ打越
  「すきな人にあげる」贈り物を、皆実が見立ててやる
  皆実は打越から祖母の草履と、そのハンカチをプレゼントされる
  キスをされて逃げ出す皆実
  
 ・7月19日朝、会社で皆実と打越が対話
  「うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」
  「生きとってくれてありがとうな」
  その日から体に力が入らなくなる。

 ・その翌日から皆実は病に伏せる
  友人や同僚たちが見舞に訪ねてくる

 ・9月8日朝、水戸から石川の伯母さんと旭が到着
  皆実はハンカチを握りながらこと切れる

1958年(旭19歳、京花12歳)
 ・4月、石川旭、広島の大学に入学
 ・まだ相生通りに暮らす母と一緒に暮らし始める
 ・小学6年生の太田京花と出会う 中学を出たばかりの

1963~1971年
 ・兄の元春が結婚したため、京花は独立を考えている
  旭はサラリーマンで、自分の家に来るように遠回しにプロポーズ
  母・フジミは被爆者との結婚に反対する
  「うちはもう知った人が原爆で死ぬんは見とうはないよ」
 

1973年(旭34歳、京花27歳)
 ・石川旭、東京転勤を命じられる
  今は給食会社などの仕事をしているらしい京花にプロポーズ 
  「もう今から三秒以内に目の前に来た人に決めちまおっかなー!」
  「誰も来てんなかったね」
  フジミ・京花とともに、東京都中野区に移る

1976年(旭37歳、京花30歳)
 ・石川七波、旭・京花の長女として生まれる
 ・利根東子生まれる

1977~78年ごろ
 ・石川凪生、同じく長男として生まれる
 
1984年ごろ(七波8歳、凪生6~7歳、旭45歳、京花38歳)
 ・七波が小学校から帰ると、母の京花が吐血して倒れていた
 ・この年、京花38歳で亡くなる

1987年(七波11歳、凪生9歳、旭49歳)
 ・凪生はぜんそくのため〈西東京総合病院〉に入院している
 ・4月、七波・東子、学校を休んでいる凪生のために桜吹雪の出前
 ・8月27日 平野フジミ逝去(80歳)
 ・秋、凪生が通院になったため、石川家は病院の近所に引っ越し
  同じ西武新宿線沿線(現在西東京市の田無市?)

1997~1998年(七波21~22歳、凪生20歳)
 ・凪生、一浪して医大もしくは医学部に入学
 ・この頃、七波はもう働き出している

2003年~2004年(凪生26歳)
 ・凪生 大学を卒業して研修医となる
  看護師になっていた利根東子に再会

2004年(七波28歳、凪生26~27歳、旭65歳)
 ・夏、旭の不振な行動が目立つ(携帯電話の請求額、帰らない)
 ・凪生・東子は結婚を前提にした付き合いをしていたが、東子の両親が反対
 ・七波は「桃を買いにいく」と称して夜出かけた父の旭を尾行
 ・田無駅で凪生に会いにきた東子と、七波は再会
 ・東子に強引に誘われるままに、二人は父を追って高速バスで広島に

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(メモ)
 この作品で年齢がはっきりしているのは、「夕凪の街」の皆実、「桜の国」の七波、およびフジミの年齢だけ。
 旭と京花の年齢については、いろいろ迷った。
 旭が大学入学の時点で、京花は小学6年生だった。二人が7歳差だというのははっきりしている。
 「赤ちゃんの時」を胎内被曝の可能性も含めて、胎児から乳児までの期間と考えると、京花の生まれたのは1944年から1946年までになる。
 しかし38歳で京花が倒れた時には、七波はランドセル姿で、すでに小学校に入学している。つまり亡くなったのは1983年以降のことで、1944年は成り立たない。
 当初は旭が1938年生まれ、京花が1945年生まれではないかと考えていた。
 しかしハガキを見た皆実が「旭君 野球部か」と話しているのは、高校入学後の近況報告と考えた方がスムーズだ。
 また、旭は2004年の夏には「退職したて」らしい。60歳定年なら1944年生まれだが、雇用延長などで65歳定年なら1939年生まれになる。
 凪生は研修医の1年目か2年目。研修医になりたてで、最初の3ヵ月で、恋愛から結婚まで行くのは、かなりタイトなスケジュールかもしれない。
 しかし読者は読んで泣いたり笑ったりしているだけいいけれど、この作品は考えに考え抜かれているなあと心から感心した。
 七波・東子が〈洋服のフタバ〉を通り過ぎると、〈フタバ洋装〉の時代の「お針子さん募集」の貼り紙を見て独立を考えていた京花の回想シーンに切り替わる場面とか。ほんとうに自然なんだね。
 〈洋服のフタバ〉の創業年を1954年以前としたのは、創業50年過ぎても、あの手のサインはそのままになっていることがあるから。


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