
見出し画像は、ガーナの広告イラストのアーニャとヨルさん。
夫はスパイ、妻は殺し屋、娘は政府の秘密機関出身のテレパス。この三人が、自分の正体を隠すために、家族を偽装する。
新刊のマーサ編もそうですが、ほんとうは、ものすごくシリアスなおはなしなのです。しかし、アーニャの天真爛漫さ、ヨルさんの天然ボケぶりに、だいぶ救われています。アーニャとヨルさんには血のつながりはありませんが、アーニャは「はは」を全面的に信頼しています(ただし料理を除く)。そこがとてもいいのです。

というわけで、『SPY FAMILY』15巻です。
表紙イラストは、ブラックベル家執事のマーサ・マリオネット。
アーニャの友だちベッキー・ブラックベルのお世話係兼教育係兼ボディーガードです。
超人的な戦闘能力の持ち主と思ったら、従軍経験があったのですね。
実は前巻14巻は、途中まで読んだところで、本の山が崩れ、腐海のどこかに沈んでしまったのです。
だから、マーサが「東国」(オスタニア)の「特別防衛婦人隊」の一員として、「西国」(ウエスタリス)との戦争に出征したことは知りませんでした。
この巻は冒頭からいきなりシリアス展開です。砲弾で部隊は壊滅(マーサのいのちを救ったのは、ブラックベル重工業製造の大砲の陰にいたから)。逃げようとした戦友は非情にも味方に射殺されます。さらに続く砲撃で、部隊は退却を決定。しかし負傷したマーサは取り残され…
しかし、そのおかげで、婦人軍が全滅した戦闘に巻き込まれずに済んだようです。命からがら故郷バーリントに帰ったマーサ。愛する「彼」と運命の再会……しかし、婦人軍全滅の報を受けた「彼」は、1か月前に別の女性と結婚したばかりだったのです。
「イヤぁああああああ」と、絶叫する、話を聞いていたベッキー。
「あーあせめて
戦争なんてなければ
マーサの恋もジョージュ
したかもしれないのに」
「戦争なんて
偉い人たちだけで
勝手にやってれば
いいいのよ!
ゼンリョーな市民を
巻き込まないで
ほしいわ!」
うんうん、わかるよ、ベッキー。
お父さんもそう思うぜ(おじいちゃんだって?)。
しかし、世の中、正しいことだけで動いているわけじゃないんだ。
マーサもいいます。
「世の中はそんなに
単純じゃありません
色々なことが
とても複雑に絡み合っているのです」
と、教え諭すマーサ。
このふたりの対話は、40年以上になる闘争に疲れてきたロートル左翼(トロールといったほうが適切かな?)にも、興味深いものでした。
この「色々」って何なのか。
戦争の意味を知るために、二度目の戦争にも従軍したマーサにも、結局、何もわかりませんでした。
真実は戦争がただただ悲惨だということだけ。
そんなことはわかりきったことなのに、なぜ戦争がやめられないのか。
わかるなあと思いました。
ベッキーの純粋さも、マーサの諦念も、
そのどちらもガザ虐殺の時代の反戦運動には必要なものなのでしょうね。
それに、あきらめることは、そんなに悪いことじゃないですよ。
仏教でいえば「悟り」で、理想の境地ではないですか?
明らかに見ること、こころに一点の曇りをなくすことができないうちは、
「あきらめた」なんていう資格はだれにもないのです。
私にはまだ何もわからないから、最後までじたばた暴れるまでです。
それに、ベッキーのように単純に考えることもたいせつですね。
ひとりでもいのちを救える可能性があるうちは、
戦争屋たちとのたたかいをやめる理由にはならないのです。
ということは、どうでもいいトロール左翼の述懐で、
「ジョージュ」しないからこそ、恋物語は美しいんだなという当たり前のことに、
あらためて気づかされました。
もし恋愛がジョージュしていたら、マーサと「彼」は、
いまも優雅にお茶を楽しむことができただろうかと思うのです。
シリアスなマーサ編が終わったあとは、フォージャー家が港に出現したはぐれアザラシを見に行ったり、デミアンが「てした」と川口探検隊ごっこをしたり、フランキーの前に新しい彼女候補が登場したり、平常運転。
その一方で、オペレーション〈梟〉(ストリクス)も着実に進行中です。
標的のドノバン・デズモンドの妻メリンダが……これは読んでのお楽しみ。
この本はぜひ紙版を手に取っていただきたいと思います。
読み終えたら、カバーをぜひめくってください。
この作品、こんな遊びがあったんですね。
(Amazonの「サンプルを読む」で、Kindle版を確認しましたが、このおまけイラスト、確認できませんでした。
購入すると特典で見られるようになるのかな?)