新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

「サヨナラ」だけの人生を

2022年05月12日 | 日記
 
トランプ政権が意味したこと エマニュエル・トッド『パンデミック以後』読書メモ(1)

エマニュエル・トッド『パンデミック以後 米中激突と日本の最終選択』(朝日選書)を読んだ。以下、感想というかブックレビューというか、読書メモ。2018年7月から2021年1月まで、『......
 

goo[blog]さんから、「kuro_mac さんの1年前の記事(2021.05.12)」というメールが届いた。

 

「1年前に書いた記事の感想を書いてみませんか?

また、ライフログとして1年後の自分に向けて素敵な思い出をブログにまとめましょう♪」

 

とのことです。ふむ? 1年前の記事の感想を書きなさいと?

 

「長えよ」

 

批判部分は、トッドもたんなるフランスのおっさんに過ぎない部分で、「あー、はいはい」とスルーしておけばよかったような気もした。私は学者でもジャーナリストでもなく、一労働者であり、一労働運動家にすぎない。フーコーのいうように、本はあくまで道具箱であって、武器として使える部分だけ有効活用していけばいいという原点に立脚していくべきではないのか。次のような箇所は「武器」として役立つ。

 

〈自分が「最良の教育」を受けたからといって、自分たちの方がトランプより知的で正しいというエスタブリッシュメントの振る舞いは、トッドのいうように「非民主的」なものだった。グローバルなエリートによって統一された世界。それは民主主義ではなく寡頭制である。そうしたエリートへの反撥とルサンチマンから、トランプ現象も生まれてきたのであろう。〉

 

このエリートと大衆の分断は、反リベラリズムを旗頭にするロシアのプーチンのウクライーナ侵攻まで、この問題は一続きである。

 

「黒人の反ユダヤ主義については、また稿を改めてみたい」と書きながら、未だに放置したままである。以前は、古書街を歩いていると、気になるテーマの参考文献が自ずと見つかったものだけれど、今は三番街に移った阪急の古書街も、骨董店化してしまい、足が遠のいてしまった。

 

 

今週は天候不順で、きょうもあいにく雨だった。2021年の5月12日は晴れで、昼休みのウォーキングで、空き地に昼顔らしき花を見つけている。今もこの場所は空き地のままではあるのだが、この冬に工事が入り、草刈りをして土を掘り返していたから、今年は何も咲かないかもしれない。

 

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトエモアルゾ 

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(「勧酒」于武陵 井伏鱒二 訳)

 

最近、18年続けたブログの引っ越し作業を終えたばかりだ。会社でも引っ越しがあった。部署のたらい回しのため、出たり入ったりではあったが、今までいた場所は、入社当時いて、会社員生活の半分近くを過ごした場所なので、感慨深いものがあった。年史編纂の仕事で、ダンボール34箱に囲まれていた日々が懐かしい。

 

20年以上通った床屋さんも閉店した。今はシャッターも以前のままだが、連休明けに不動産業者の「貸店舗」のポスターが貼られていた。やがては新しいお店が入り、元がどんなお店だったのかも、町の人にも忘れられてしまうのかと思うと寂しい。

 

そしてきょうになって、また新しい「サヨナラ」を告げる手紙が届いた。

 

ある古典芸能の支援団体が、今年度をもって活動停止することを知らせる挨拶文である。多年にわたり、私財を擲って会の活動を支えてきた主宰者の方の高齢化が理由となっている。お元気なうちに有終の美を飾りたいということなのだろう。

 

現時点では、まだ会員にのみ知らされている段階で、プレスリリースなどはこれからだと思われる。混乱を避ける意味でも、このブログで詳細を語ることは控えたい。

 

しかしこの手紙を受け取ったのが2022年の今日だったことは、記録に残しておきたい。差し障りのない範囲で書くことを許してもらえるのなら、以下のエントリで取り上げた能と狂言の鑑賞会も、この団体の企画・主催だった。

 

ぉ能と狂言のぉ話です…はぃ! ―「羽衣」と「千鳥」の世界―

https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/c39d4f682d60af0c71912a8aec1ee04f

 

このエントリで『金島書』の世阿弥について書いていることは、古典芸能者なら誰もが慕い畏敬する、そのお方に捧げた文章といってよい。

 

しかしスポンサー企業も東京に去り、そうでない企業もメセナ活動から撤退して久しく、やがては活動にも終わりが来るだろうとは覚悟はしていた。しかし、現実となるとやはり寂しい。

 

企業のサービスには終わりがあり、会社勤めもいずれ定年になる。再雇用期間が終われば会社を去らねばならない(労働争議となって敗北すれば、当然別れは早まる)。そもそも、人生にはいつかは終わりが来る。楽しかった宴にも終わりの時間が来て、天女も天上界に帰っていくのである。

 

これからの人生は、「サヨナラ」ばかりが増えていく一方なのだろう。ありきたりだが、一期一会の出会いを大切にしていきたい。

 

来年へのメモ。きょうの夕食は、久しぶりにカツ丼。仕事帰りに行ける時間帯にはいつも売り切れで、たまに早く行っても満席の人気店。きょうは滑り込みセーフ。

5月17日の追記

去年、昼顔が咲いていた場所には、ユンボも草刈りも入らなかったらしい。名前がわらからない草が群生をなしていた。そのうちの一本に巻き付いて、今年も昼顔が花を咲かせていた。



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