エマニュエル・トッド『パンデミック以後 米中激突と日本の最終選択』(朝日選書)を読んだ。以下、感想というかブックレビューというか、読書メモ。
2018年7月から2021年1月まで、『朝日新聞』や『AERA』や『論座』などで発表された、エマニュエル・トッドのインタビュー集である。出版直後には買い求めたのだけれど、しばらく積ん読になっていて、連休中、ゲラの裏にメモをとりながら読み終えた。
トッドには異論や批判もあるのだが、トランプ問題、COVID-19の問題、ネオリベラリズムとその補完勢力であるリベラル派の諸問題、いわゆる「先進国」の少子高齢化と移民の問題等々について、自分なりの考えをまとめる良い機会になった。読書メモを3回ほどに分けて掲載してみたい。
まずはトランプ問題から。第一章「トランプ政権が意味したこと」(2021年1月11日〜18日 『AERA』)は、バイデン大統領就任直前になされた最新のインタビューだ。
私はまさかトランプ大統領が登場するとは夢にも思わなかった人間の一人である。私の知る「アメリカ」はNYやワシントンやLAなどの「知的」で「洗練」されたエリートたちの「きれいな」アメリカだけで、金成隆一氏の『ルポ トランプ王国』(岩波新書) シリーズが丹念に取材したラストベルトの斜陽産業のプロレタリアたちの本音、南部のバイブルベルトのキリスト教保守主義者の実像など全く知らなかったに等しい。都市・郊外・地方の乖離と分断、特に地方の衰退ぶりは日本の未来を先取りしている。
「トランプは米国史にとって重要な大統領だった、しかし偉大な大統領ではない」
このトッドの見方には賛成である。率直にいって、トランプの虚言や詭弁や妄言の一つひとつが勘に障り、4年間、あの顔を見るだけで毎日不愉快極まりなかった。しかし「重要なのは経済である」というトランプのメッセージが、アメリカの労働者階級が求めるものだったことは間違いない。
「考え方、イデオロギーの転換が必要になると、例外的な逸脱した指導者を求める動きが起きる」とトッドはいう。エスタブリッシュメント出身でありながら(だからこそ?予防反革命である)ケインズの修正資本主義を最も早く採用したルーズベルト、「カウボーイ」出身のレーガン、そしてトランプも「らしくない」人物だった。
しかしトランプは再選を果たすことはできなかった。海外移転した工場をアメリカに取り戻すというトランプの空約束は結局果たされることなく、ラストベルトを初めとしたプロレタリアの期待と幻想が裏切られたことが大きかったと私は考える。アメリカにおける近年の雇用喪失の約60%は技術変化に起因するものであり、広く非難されているメキシコ、中国その他への企業の海外移転によるものは30%にすぎない(D.ハーヴェイ『《資本》の謎』)。
しかしトッドによると、バイデン支持には二つの動機があり、第一にコロナ禍でのトランプ批判であり、第二にブラック・イズ・マター運動に代表される「人種という基本的な問題」である。
もちろんこの二つの動機も重要だとは思うのだが、またここがトッドのよくわからないところなのだが、人種問題を焦点化した民主党の政治戦略は「罪つくりなことだった」という。黒人差別は建国以来のもので、それを持ち出すのは卑怯だとでもいいたいのだろう。
「トランプ氏が人種差別主義者(レイシスト)だとか黒人排斥主義者だとはまったく思いません。トランプがいちばん標的にしていたのはメキシコ人。彼は外国人嫌い(ゼノフォーブ)なのです。メキシコ人だけでなく、中国人も嫌った。しかし黒人は彼の標的ではない」
たしかにトランプをヒトラーにたとえるのは誤りだし、トランプの直接の標的は黒人ではなかったのも事実だろう。
しかしコロナ対策と同様、黒人問題も、民主党の戦術的勝利というよりトランプの「オウンゴール」だったとしか私には思えない。トランプが黒人暴動を「アンティファ主導の無政府主義者」や「左翼の無政府主義者」のせいにして、アンティファをテロ組織に指定しようしていたデタラメを、どうして許すことができようか。
「トランプは共和党支持者たちの黒人への態度はひどいし、警察官たちは悪い米国人なんてトランプはいうわけにいかなかった。民主党の政治的な計算でしょうが、このやり方はひどい」
ここも評価がズレているように思う。トランプ政権に入っていわゆるヘイト犯罪が増加したのは周知の事実ではないのか。トランプは人種差別主義者たちや民族差別主義者たちにお墨付きを与えたのだ。安倍ネトウヨ政権が右派の支持を取り付けるために韓国・朝鮮人に対するいわゆるヘイトスピーチを野放しにしたのと一緒である。
ブルジョア民主主義が擬制であり幻想だとしても(トッドもいうように、アメリカ民主主義は権力の暴走を抑止するチェック機関が備わっている点でソ連や中国の自称「人民民主主義」よりマシだが)、擬制であり幻想だからこそ、アメリカ人民の代表であるアメリカ大統領としてトランプは警察の黒人虐殺と不当な扱いを批判すべきだったのだ。それがトランプに望むべくもなかったことにしても、そうしなかった時点で、トランプに大統領の資格はなく、もう終わっていたのである。非常識を絵に描いたようなトランプも、大統領に就任したら「公人」として常識的現実的な方向に軌道修正するかと思ったが、トランプは最後までトランプにすぎなかった。
黒人の87%がバイデンに投票したのを「不合理」だとトッドはいう。黒人の多くはトランプの保護主義政策の受益者であるにもかかわらず、生活水準が最も向上したカテゴリーであるにもかかわらず、反トランプ票を投じたのがわからないのだという。ここも私にはトッドの理解しがたいところだ。
確かに黒人社会は経済的に階層化されている。豊かで恵まれた黒人も貧しい黒人も同じようにシステマティックに民主党に投票するのは、フランスの人口学者の目からは「自然でも正常でもない」と映るようだ。しかしアメリカに黒人差別・黒人抑圧がある限り、黒人が人種的・民族的に団結するのは当然ではないのか。
しかしながらBLM運動がかつての宗教に代わる社会参加、「ゾンビ化したキリスト教信仰」だという指摘は面白い。1994年以降、所属する宗教を持たない人の割合は約5パーセントから約30パーセントに増加した。ただしミレニアル世代(1981年生まれ)に比べて、Z世代(1990年後半以降に生まれた世代)ででは無宗教と答える人の割合は増えておらず、むしろ減少傾向にあり、宗教離れには歯止めがかかってきたといわれる。BLM運動は無神論者と不可知論者と無宗教者に三極化する、アメリカ社会のコミュニティの危機の映し鏡かもしれない。
◆米国で宗教離れに歯止めか 政治学者らが指摘
https://www.christiantoday.co.jp/articles/27767/20200302/us-decline-in-religious-affiliation-may-be-slowing.htm
サンダースの敗北を決定づけたのは黒人票だったという指摘も重要だろう。それは黒人の反ユダヤ主義によるものだった(サンダースはユダヤ系)。トロツキズムがネオコンサバティズムに転化したように、共産主義・民族主義を掲げたブラック・ナショナリズムも反白人主義・反ユダヤ主義の差別排外主義に転落してしまった。この黒人の反ユダヤ主義については、また稿を改めてみたい。
自分が「最良の教育」を受けたからといって、自分たちの方がトランプより知的で正しいというエスタブリッシュメントの振る舞いは、トッドのいうように「非民主的」なものだった。グローバルなエリートによって統一された世界。それは民主主義ではなく寡頭制である。そうしたエリートへの反撥とルサンチマンから、トランプ現象も生まれてきたのであろう。
トッドはいう。コロナ禍は中国の脅威を暴いた。それは中国が発生源だからというわけではない。コロナ禍によって中国が「民主主義と自由」の脅威であることがはっきりしたのだ、と。
このコロナ禍は、フランスでも日本でも、中国への物質的な依存度の大きさを改めて私たちに気づかせた。医薬品・衛生用品をはじめさまざまな物資の供給のライフラインを中国に握られていることは、まさに「自由」への脅威である。
しかし中国の優位は一時的なものに過ぎず、中国が世界を支配する国になることはないだろうともトッドはいう。少子高齢化が進む人口動態上の弱み、高等教育を受けた都市の15%とそうでない地方の85%に引き裂かれた分断と不均衡に苛まれている。農業関係者の集まりで聴いた話だが、日本よりも急速に少子高齢化の進む中国の農村の未来には悲観的な展望しかなく、いずれ食糧が輸入に頼れなくなるときがくるだろうといわれている。
米国、あるいは西側世界の「民主主義」にとってほんとうの脅威は何か。それはトランプが最後にソーシャルメディアから締め出されることによって、自らの身をもって示した。民主主義にとっての真の脅威はTwitterやGAFAに代表されるグローバル企業なのである。しかしトランプ勝利を生み出したのが、Facebookの5000万人の情報の不正利用であり、大衆のルサンチマンと劣情に訴えるTwitterの「活用」であったことも忘れてはなるまい。
賛成できないこともあるが、トッドはときに思いがけない新しい視点を提供してくれる。アメリカにとって「社会の分断」や「民主党の迷走」より危険な兆候は、「肥満問題」だという最後の指摘がそうである。私はこの指摘に、子どもの頃に見た『銀河鉄道999』に出てくる、完全オートメーション化されて家を破壊するほどの肥満者だらけになったディストピア世界を思い出した。アメリカはそれを地で行っている。アメリカ帝国主義は、プロレタリアをスマホ漬け、ジャンクフード漬けにして、人間の身体と生命の尊厳を奪い、光る板をピコピコ叩いてウホウホ喜ぶ退化したサルのごときものに頽落させようとしている。アメリカ人が肥満を気にしなくなったのは、容姿に触れることをタブーとするポリティカルコレクトネスの負の側面かもしれない。
しかし肥満は「自分を律する力の問題であり、未来に向かう能力の欠如だ」とか、「精神分析でいう超自我を失っている兆候である」というトッドの言い分には、全く賛同できない。自分自身の禁煙の体験からいってもそうだ。禁煙に成功できるかどうかは精神の問題ではなく、メソッドやシステムの問題であり、同じことは体型コントロールにもいえるだろう。貧困層ほど炭水化物メイン、カロリー重視の食事に偏るのはどこの国でも共通であり、肥満問題とは要するに貧困問題、すなわち「経済」なのである。
と、今日はこんなところで。
トランプの話なんかしたから、気分が悪くなったので、昨日の昼休みに近所の空き地で発見した花の写真でも。時期はまだ早いようだけれど、昼顔かな?
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