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(メモ)「らんまん」最終回史実と違う展開「ヒロインへの愛情、礼儀」

2023年09月29日 | 読書
「あの、先生はネ、ときどき、じいっと奥さんの写真を、このベッドの上からごらんになってましてネ、小さな声で、寿衛子(すえこ)、寿衛子って、呼びかけられるんですよ」

池波正太郎「牧野富太郎」(新潮文庫『武士(おとこ)の本懐』所収)より、最晩年の牧野富太郎の入院先の付き添いの看護婦さんのことば。

当時劇作家だった池波が牧野を訪ねたのは、牧野を主人公にした新国劇の芝居の取材のためだった。牧野は、「わしも、わしの芝居を見に行くぞウ」と娘の鶴子に向かって、おおはしゃぎしていたという。一時危篤から奇跡の回復を果たすものの、結局、牧野は翌年公開された自分の芝居を見に行くことはなかった。



夜の追記。

久しぶりの昼休みの更新になりました。

このメモを書いた時点では、まだ『らんまん』最終回は見ていませんでした。
このネットニュースを読んで、ちょうど仕事で読んでいた『武士の本懐』に収録された「牧野富太郎」を思い出したのでした。

この投稿をサクッとアップして、職場の食堂に行ったら、テレビでちょうど始まったところでした。

なるほど。今日が最終回でしたか。

『らんまん』が牧野本人はあくまでモデルにとどまり、名前を変えて架空の人物としたのも、このラストシーンほか、史実と異なる設定があったからなんでしょうね。池波正太郎の短編には、「貧乏ぐらしで、芝居に連れて行ってやれるわけでもなく、苦労をかけた」と亡き妻を述懐するシーンがあります。せめてフィクションのなかだけでも、妻孝行させてあげるのも、池波の芝居を見たがっていた牧野、そして寿衛子さんの供養になっていいのではないですか。

まあ、例のごとく、ちゃんと見ていたわけではありません。食事が終われば、すぐに昼の日課のウォーキングに出かけてしまいますからね。先週か先々週、関東大震災のシーンで、主人公がおじいさんになっていることに気づいたくらいでした。

久しぶりに朝ドラらしい朝ドラでした。植物収集のフィールドワークでロケが多かったのも、画面に開放感があふれて、よかったのではないでしょうか。

沖縄がテーマだったはずの前々作は、ほんとうにひどかった。前作も、なんだかよくわからない話でしたが、セリフもBGMも静かなだけマシでした。前々作ストーリーや演出以前に、主人公はギャーギャーうるさく、BGMも爆音で、「じゃかぁしいわ!」とスイッチを切りたくなったものです。

しかし、熱心に見ている同僚がいるわけです。「こんな番組よく平気で見ていられるねえ」と聞いたら、話がひどすぎて、営業トークのネタになっていたんだそうですよ。私も一時営業職でしたが、その発想はなかったな。コロナ禍で業績厳しき折、営業支援(!)のため「忍」の一文字でした。

『忠臣蔵』は池波正太郎のライフワークのテーマの一つだったようです。

『武士の本懐』は、いま唯一の連載仕事で(いつまで続けさせてもらえるかなあ)、高田馬場を取り上げることになり、本書収録の「高田馬場の決闘」を参照するために取り寄せたものです。

実は同じ池波正太郎の『堀部安兵衛』も取り寄せたのですが、文章がかっちりしすぎて、少しイメージがちがいました。まだ劇作家と小説家の二足のわらじで、文体も講談調の「高田馬場の決闘」のほうが、私の書きたい文章の雰囲気に合っていました

これについては、またの機会に。




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