新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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ウシガエルが棲むまち

2024年03月05日 | 読書
吉村昭を初めて知ったのは映画にもなった『漂流』でした。

その後、『破獄』を読んで、すっかり虜になりました。

北杜夫の『牧神の午後』とともに駅前の古本屋で買い求めたのですが、単行本刊行直後で、いわゆる新古書でした。自分の小遣いで初めて買った文庫本が、北杜夫の『船乗りクプクプの冒険』だったので、北杜夫と吉村昭は、私のなかで近い存在です。

吉村昭を知るきっかけになった『漂流』映画版は、1981年公開でした。吉村昭は今も読み続けていますから、かれこれ40年以上の付き合い。自分のバックボーンをつくった太宰治と変わらないか、タッチ差で早いかもしれない関係です。

吉村昭で忘れがたいのは、駆け出しのころ、当時の若い小説家の小遣い稼ぎだった、某週刊誌の小説風スキャンダル記事の依頼を断ったエピソードです。「筆を曲げることになる」ということばは、私のこころに深く刻まれました。ライターになったものの、筆を曲げることを拒否してきた私は、いまだに貧乏なままです。肉体労働に舞い戻り、関西に流れて、現在に至ります。

さて、きょうご紹介する『鯨の絵巻』は動物相手の生業の男たちが主人公の短編集です。表題作は伝統の鯨の網とり漁法最後の筆頭刃刺(捕鯨作業の指揮者)、「紫色幻想」は錦鯉の養殖家、「おみくじ」は小鳥に芸を仕込む「芸鳥研究家」、「光る鱗」はハブ捕獲人、「緑藻の匂い」はウシガエルの捕獲人が主人公です。

「鯨の絵巻」は紀州太地、「紫色幻想」は新潟県山古志村(現 長岡市)、「光る鱗」は奄美大島が舞台です。「おみくじ」と「緑藻の匂い」には地名が出てきません。

しかし、「緑藻の匂い」の舞台に合致する町は、日本のどこにもないんですよね。


吉村昭は、いったいどこの地をモデルにしたのか。

原作から描写を拾ってみると、

・関西にあり、修学旅行のコースにもなっている(いた)

・城跡があり、濠がある

・筆や墨を売る店のある静かないい町

・岸辺や水底から埴輪が見つかった「埴輪池」こと清澄池がある

・清澄池ではウシガエルが群生し、金魚を養殖している

・清澄池はふたつの県にまたがっている

城跡があり、濠がある町といえば、大阪もそうですが、都会すぎるようです。奈良県の大和郡山か、三重県の伊賀上野、兵庫県の篠山城・明石城などが思いつきます。大和郡山は金魚の名産地でもあります。三重県は「関西」ではありませんが、「近畿」圏内ではあります。三重県がモデル候補なのも、ウシガエル(食用蛙)の養殖が盛んだったからです(作中では茨城県や滋賀県の名が挙げられています)。

「筆や墨を売る店のある静かないい町」も、奈良や三重を思わせます。筆の名産地の吉野村は三重県です。

「上空を四国方面・九州方面に向かう飛行機が通過する」という描写は、むずかしいところです。

執筆当時はわかりませんが、現在の航路では、四国や九州に向かう飛行機は奈良県上空は通過しないようなのです。高知や熊本・鹿児島方面に向かう便は三重県を通過するのですが。
岸辺や水底から埴輪が見つかった池といえば、大阪狭山市の狭山池、同じく大阪府の高槻市の「ハニワ工場公園」のある新池などが思い出されますが、府境(県境)にはまたがっていません。

渡良瀬遊水地は群馬県、栃木県、埼玉県、茨城県にまたがっていますが、四つの県だし、関西でもありませんね。「ふたつの県にまたがっている」条件に合致するのは、私の知る限り、島根県と鳥取県の中海(なかうみ)と、青森県と秋田県の十和田湖だけです。いずれも関西ではありません。「西日本」に拡大解釈して、中海がモデルとしても、中海は海水の混じった汽水湖なのですね。イモリやカエルなどの両生類も生息しているようですが、金魚の養殖には向いていないでしょう(金魚が病気になったり寄生虫につかれたら塩を入れることはあるようですが、塩水になると抵抗力が衰えるようです)。十和田湖もカルデラ湖で、ウシガエルが繁殖する緑藻に覆われた池のイメージには程遠いです。

結局、ウシガエルの棲む町は、どこかにありそうで、どこにもない町なのです。

歴史小説家、記録文学者としては、史実を重視した吉村でしたが、オリジナル、フィクションの現代小説に関しては、想像力の翼を自由に羽ばたかせたのだな、と。

『緑模の匂い』以外の『鯨の絵巻』所収作品については、あす、また書きます。




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