理想の食事シーンといえば、大藪春彦の小説なんだよね。「ビフテキ1キロ食う→スタミナつく→敵殺しまくる」という王道パターンが、読者を獣欲の虜にして、けだものに変えるのだ。銃やクルマの蘊蓄よりも、あの食事シーンが好き。撃ち倒した羆の腹をナイフでかっさばいて掴みだした生肝、うじの湧いたチーズ、リアルでは引きそうな食材も、ものすごく旨そうに感じる。『孤独のグルメ』にも通じる、これぞ男のグルメ!なのだ。
(もちろん、女の子のグルメも大好きですよ。『女の子の食卓』は、この作品と同時代に生きられる幸せと切なさに満ちた名作)
うまそうだ、と思わせるのは、やはりレトリックの力。文字も絵も本物には及ばない。グルメ漫画(に限らないが)には、リアルとバーチャルを遮断するファイアウォールを突破して、相手の味覚神経をジャックする、凄腕ハッカーのような計算され尽くした表現力が求められる。
土山しげる『極道めし』は、その意味でいま最高に究極のグルメ漫画だと思う。
舞台は全国から札付きの極道たちが集まる浪花南刑務所。
クリスマスイブの夜、雑居房204号室では、一年に一度の男の真剣勝負が繰り広げられる。それは正月に特別に出る折詰めのおせち料理の争奪戦!
その闘いに勝利すると、全員のおせちから好きなおかずを1種類ずつ取れるのだ。その勝負とは、今までに食べた一番旨いモン話。一人ひとりが今までで一番旨かった食い物話をする。その中で皆が一番食いたいと思った話をした者の勝ち。クリスマスイブの夜、男たちのシャバ飯バトルが始まった!
このおせちがまたうまそうなこと。寿ちゅう紙に包まれたフタを開けてみい。鯛の塩焼き・かまぼこ・伊達巻き・エビフライ・コンブ巻き・雑煮(餅一個入り)・茶碗蒸し・酢コンブ(神楽ご用達)・羊羹・ミカン二個。
普段の飯も素晴らしい。さばの塩焼きに肉じゃが! ハンバーグにもやし汁! マーガリン入りコッペパンに玉子スープにマカロニサラダ!
ああ、夢のよう。ムショの飯のうまさは諸先輩方に聞いてきたが(あざーす)、いまだに憧れる。
やはり優勝は元刑事の闇金屋・丈治の卵かけご飯。次点は立ち食いそば。また、カツ丼とトンカツ定食のうまそうなこと。
トンカツ定食の食べ方も人それぞれ。ソースをドバドバかけて、しなしなになったキャベツだけで最初の一杯を食うという発想はなかったな。
B級グルメばかり? みな、出身地も年齢も生きていた世界も違う。ヤクザや詐欺師もいれば、サラリーマンや元教師もいる。みんなの知らない料理の話をしても通用しない。大阪人ばかりだからと、高得点狙いでお好み焼きの話をした名古屋人はスカを引く。大阪人の誰も反応しない。小さな頃からコナモンで育ってきたから、お好み焼きならあの店と、こだわりがあるんだね。
さて、極めつけは昨年優勝者の、サッポロ一番みそラーメン(作中ではトッポロラーメン)。
リストラで一家離散、やっと見つけた建築現場の仕事。給料日まで一週間、所持金315円の真冬の夜。有り金はたいて買うた特売のインスタントラーメン。具なんか入れるのは邪道。鍋から直接すする。眼鏡は曇る、鼻水は出る。しかしそのラーメンはどんな食い物よりも……。
「空気の冷たさとラーメンの熱さがビンビン伝わってきて、身体の芯から暖まってきたんや……」
しかしその男は医療刑務所に移り、すでにこの世の人ではない。時流に乗れず廃業したものの、「時うどん」を得意にする噺家だったという過去を持つ。だからあのリアル感を伝えることはもう誰にもできない。
グルメ漫画にもかかわらず、その勝負においては料理はおろか食事すらしない。ただ「会話」だけで成り立つ、この作品の本領発揮。
「愛している」と百万語を費やしても、相手に愛させることはできない。言葉ほど無力なものはない。しかしこの言葉は無力で実体のないものだから、相手の心に働きかけることができる。それがレトリックの可能性だね。いま私はとても良いことを言いました。
年越しそばのどん兵衛も、これがまた旨そうなんだよなあ。今年もまた大晦日がやってくる。
☆極道めし マンガ食堂-漫画の料理、レシピを再現(今はリンク切れ)