一昨日は危うく遅刻しかけました。
数年に一度、寝坊し、大遅刻をやらかすことがあります。
幸い、ギリギリセーフでしたが。
8月に入ってからは、夏バテか、疲れが抜けず、なかなか起き出す気になれません。
アラームが鳴っても、30分後にタイマーを設定して、二度寝してしまいます。最近はさらに30分延長して三度寝。結局、7時半過ぎまで寝ています。
一昨日は鳴り出したタイマーを止めて、そのまま寝落ちしてしまいました。鳴ったのはタイマーなのに、寝ぼけてアラームのスヌーズだと勘違いしてしまったのです。
幸い、このときは、半覚半睡でした。まだタイマー鳴らないなあ、30分って長いなあ、このまま鳴らないでほしいなあ、と、幸せな気持ちで過ごしていたわけですが、ふと目を開けると、7時46分。
いくら職場が徒歩圏とはいえ、さすがに焦りました。
こんな日のために、会社には髭剃りも用意してありますが、幸い、シャワーを浴び、髭を剃る時間はありました。
全く、ある女性もいうとおり、髭剃りは身だしなみの基本です。と、これはTwitterで見かけた投稿。
同人に推し活に楽しく過ごしていた彼女でしたが、結婚を思い立ち、親戚の薦めでお見合いをしたそうです。しかし、結局、お断りすることに。
その男性とは三度会ったのですが、三度とも、髭の剃り残しがあったのが理由とか。伸ばしているのでなく、たんに一部分だけ、剃れていなかったそうで……。
「髭の処理は、最低限の身だしなみじゃないの。女の子は、普段からスキンケアやまつパー、髪のメンテ、お出かけ当日は、服、メイク、アクセサリー、全身全霊を賭けているのに、これって許されるの」
という怒りのツイート(ポスト)でした。
お見合いを薦めたご家族やご親族も、最初は「そんなことで!?」という反応だったそうですが、いろいろ話すうちに、「そんな小さなことが今の時点で気になるくらいなら、多分その人こと好きじゃないでしょ」と言われて、おしまいになったそうです。
お見合いとも色恋沙汰とも縁のなくなったおじさんにも、このエピソードは、グサッと来るものがありました。
3か月に1回、歯医者さんに歯石除去に通っています。出血があると、手鏡を持たされ、歯周病チェックで口の中を見せられますが、あのとき、口まわりの剃り残しの髭、伸びかけた髭を見なければならないのは、いやなものです。
歯科衛生士さんの話を聴きながら、昔はスモーカーだったことを思い出し、よくもまあ、こんな汚らしい口で、愛を囁いたり、一緒に食事をしたり、キスできたものだ、こんなおれを受け入れてくれたなんて、あの子らは人類ではなく、天使だったのではないか、いや、あれは女狐で、あいつはへび女であったか、と、アホな感慨に耽ってしまいます。
さて、このお見合いを破談にした女性に起きたのが、最近流行りの「蛙化現象」でしょうか。
「蛙化現象」とは、中学生ぐらいから20代半ばの「Z世代」の間で流行っていることばで、特に女性の間でよく使われるそうです。
意味は、「恋愛感情や好意を抱いている相手のささいな言動が気になり、気持ちが急速に冷めてしまうこと」。
お姫様の前に現れたカエルが王子様(原作は王様)に変身するグリム童話の「蛙の王様」とは逆に、王子様がカエルに変身してしまったので、「蛙化」というわけです。
この「蛙化」は、もともとは、ある男性に好意を持つ女性が、その男性も自分に好意を持っていることがわかると、生理的な嫌悪感を抱いてしまう現象を意味したそうです。あこがれのアイドル、父や兄や弟、あるいは犬や猫、もしかしたらぬいぐるみのように思っていた相手が、実は自分を「女」として見る「けだもの」「オス」であることに気がついて、おぞましくて肌がゾワゾワする感覚でしょうか。学校でも、職場でも起こりそうなことですね。
しかし最近の「蛙化現象」は、この「両思いに気づいて嫌悪感を抱いた」という元々の意味でなく、「相手のささいな言動で気持ちが冷めてしまった」という意味で使われるようになりました。
埼玉学園大学の川久保 惇准教授によると、「蛙化」が若者の共感を集めるのは、SNSや「推し活」、マッチングアプリの影響があるようです。
いまの若い人は、加工し、理想化した写真をインスタグラムやTikTokにアップすることに慣れてしまって、リアルで会ったときに理想とずれていることに、急に冷めてしまうこともあるというのですね。
架空のキャラクターも対象になる推し活に夢中な人は、理想の存在である「推し」とリアルな人間との差を感じ、相手の些細な失敗も気になってしまう、と。
マッチングアプリも、アプリに登録する写真や自己PRなどは基本的にプラスに見せようとするものばかりです。そういった情報の中で欠点が見えると、冷めることがあるのかもしれません。
これは就活のエントリーシートも一緒かな。残念ながら、いまの日本社会は、他人のミスや罪、欠点を許さない、きわめて不寛容な社会になっています。
お見合いを破談にした女性も、「推し活」に熱心な人ですから、男性を理想化しすぎていた可能性はあります。アニメのゲームのキャラクターには、髭は生えませんからね。
しかし、「蛙化現象」がSNSやネット、コンテンツビジネスの時代に特有な現象かといえば、私はそうは思いません。
たとえば、「蛙化」の理由は、私の若い頃にもあったようなものばかりだからです。
「私服がダサい」
「お母さんのことをママと呼ぶ」
「運転が下手で、駐車券が取れずにドアを開けたり、駐車で何度も切り返しをしたりする」
「いつも家の近くまで一緒に帰ってくれていたが、面倒だったと後から言われた」
「交通費がかかっているからと、食事代を多めに払うよう要求された」
「フードコートでおぼんを持ってきょろきょろしている」
「酒癖が悪い」
「タバコを吸っていた」
「そりゃあ、百年の恋も冷めるわなあ」と同情するものばかりです。まあ、私服がダサかったら、自分好みの男にドレスアップしたらいいし、フードコートに慣れないなら自分が引っ張っていけばいいとは思いますが。
しかし、たんにことばがなかっただけで、昔から「蛙化現象」はあったと思うんですね。
私は「新人類」といわれた世代ですが、羽が生えているわけでも、テレパシーが使えるわけでもありませんでした。自分がおじさんやおばさんになったからといって、若者をエイリアンやミュータントのように言うのは誤りです。
太宰治の「きりぎりす」は、「蛙化」してしまった男との別れを決意するに至る、女性の心理の機微を描いた名作です。「きりぎりす」で青空文庫の掲載作品が一発でヒットするのには驚きました。お時間のある方は読んでみてください。
れんちゃんから一言。
「むぅ…。かえるさん、こんなにかわぃいのに…! みんな、わかってないなぁ…」
たしかに若い女性特有の感性で、少女小説や少女漫画に、そのあたりの機微を描いた傑作があったような気がします。
少し蛙化とは違うのですが、吉屋信子の少女小説の世界を現代に再現した人気ライトノベルの「マリア様がみてる」も、学園の憧れのお姉様からの義姉妹の申し出を、「一般人」のヒロインが断ってしまうハプニングが、物語の発端でした。
昔ながらの床屋さんの顔そりは、毛穴が開くまで熱いタオルで蒸らして、深剃りしてくれますが、素人ではああ上手にはいきませんね。
若い頃はありましたね。向こうが近づいてくると急に嫌いになることが…。
あれ、どうしてだろうと思っていたのでしたが、若い女性独特の感性だったのかもしれませんね。
今なら、髭が生えていても頭が禿げていても全然気にならないばかりか、そんなことも含めて愛しく思ってしまうかもしれませんのに…。
それにしても男性の髭剃りも毎日のことですから大変ですね。
加工された画像に慣れすぎて、証明写真の自分を見て、「私、こんなブスじゃない」と泣いた女の人がいたそうです。これをSNS時代の申し子みたいにいう人がいるけれど、アングルは正面だけ、照明もない証明写真がブスになるのは昔からだと思うんですよね。その人だって鏡で加工前の顔は知っているでしょう。
新入社員の名刺用写真の撮影に、「モデルのように撮ってほしい」とあれこれ注文つけ、さらにレタッチを要求した人もいましたが、さすがに例外です。こういう困ったちゃんは昔からいたでしょう。
もちろん、時代の変化もあって、たとえば清潔感なんか典型的ですよね。むかしの病院や小学校には、水飲み用の共用コップがあったの、ご存知だと思います。『生きる』(1952年)の病院のシーンで、主人公が使ったコップをゆすぎもせず、次の人がすぐ水をごくごく飲むシーンは、ちょっと衝撃でした。
『惑星ソラリス』でも、シリアスなシーンで主人公の顔がアップになるんですが、耳毛が気になって、お肌も荒れ気味で、映画に集中できませんでした。髭の剃り残しが許せなかった彼女の気持ちは、あの感じかな?
「自分がおじさんやおばさんになったからといって、若者をエイリアンやミュータントのように言うのは誤りです。」
これ、ほんとにそうですね。
私はミーハーなので新しいものには関心が強くていつも時代に乗っかっていたい(痛い)おじさんです🤣
精神年齢的にはうちの息子の兄貴という感じだと思ってるし、息子もそんな感じで接してくれます。
妻にとって私はとっくにカエルなんだと思いますけど、カエルはカエルとして🐸可愛がってくれているのかなと…笑