新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

うぐいすの小径

2013年02月26日 | 被災地応援
思わずリツイートしていた、われらが三陸鉄道の久慈ありす@kujiAliceさんのツイート。

《一の渡(いちのわたり)駅「うぐいすの小径」の愛称は、うぐいすやカッコーの声が聴こえることから。ここは宮古駅のための列車退避・交換用の設備を持ちます。近くの山々には”うぐいす”など野鳥が多く、側の小径を散歩したら きっと誰もが優しい気持ちになれるはずです。 2013年2月23日 -12:35pm》

うぐいすの小径。このツイートに、震災直後、満開の桜を見て「今年ばかりは薄墨に咲け」と思わないではいられなかった日々を思い出した。

身捨つるほどの祖国はありや。国が滅んでも山河がある。しかし福島の原発事故は、美しいふるさとの海や山や河まで汚した。

しかし桜は今年も咲く。鳥たちもさえずっていることだろう。

私は被災地の仲間にささやかなカンパとともに、こんな歌を送った。

『世界が終わることを神は好む』

《神は世界を滅ぼすことが好きだ
好きだ 好きだ 好きなのだ
アーイ 神よ

それを鳥たちが気づいた時
うたい始める うたい始める

そして 神がそれを聞いた時
鳥たちが哀れになって
ふたたびもとのままにする
ふたたびもとのままにする

アーイ できないのだ
滅ぼすことなどできないのだ
鳥たちによって》

南アメリカのインディオに伝わる歌。楠田枝里子『ロマンティック・サイエンス』より。

決して滅びない。誰にも滅びさせない。それが生き残った私たちの務めだ。放射能でも瓦礫でも何でも浴びて共に生きていく。私たちは全員が共に帰るべきふるさとも山河も失った、新しい人類なのだから。呪われたまま許されないまま、これからも私たちは生きていく。しかしどうして新しく生まれてくる生命を祝福しないでいられよう。

《私はね、目を閉じて村を歩きまわるんです。彼らに話しかけるんです 。「ここに放射能なんかあるもんかね。チョウチョがとんでるし、マルハナバチもぶんぶんいってるよ。うちのワーシカもネズミを捕っているよ」 と。(泣く)
 ねえ、私の悲しみがわかってもらえただろうかね?  あんたが、みんなにこの話をしてくれるころには、私はもうこの世にいないかもしれないね 。土の下、木の根っこの近くにおりますよ。》

(ジナイーダ・エフドキモ ブナ・コワレンカ……チェルノブイリ事故で強制疎開の対象となった村に帰ってきて、猫のワーシカと一緒に暮らす「サマショール」(帰郷者)の老婆。スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)より)

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