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ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

楽しき郊外生活者たち 与謝蕪村『晩秋遊鹿図』の世界 逸翁美術館『蕪村 時を旅する』鑑賞メモ(1) 

2022年06月16日 | 作家論・文学論

逸翁美術館『蕪村 時を旅する』の会期は6月26日(日)まで。

 

 残り10日になってしまったが、なんとか会期中に鑑賞記を書き終えることができた。

 

時を旅した蕪村さん 始まりの物語です…はぃ! 

https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/c954c8cb3ee1243a82f83043498f7054

 

時を旅した蕪村さん 永遠の物語です…はぃ!

https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/1df9b43272b29a62ebf48063ac153bf6

 

 

  この5月の連休に行なったブログの引っ越しは、過去を振り返る良い機会になった。

 

ブログの引っ越し作業を終えた私は、久しぶりに街に出かけ、帰りの電車のなかで逸翁美術館の中吊り広告を見かけた。

 

このブログのカテゴリ 「アート・ミュージアム」は長年放置状態で、コロナ禍もあって、もう3年近く展覧会に通っていない。

 

逸翁美術館に行くつもりが、池田と間違えて石橋で降りてしまい、「ええい、ままよ」と箕面線に乗り換え、箕面の滝に行ってしまったこともあった。 

https://blog.goo.ne.jp/kuro_mac/e/27af0e2bc8c18fd50039525c7dd35d26

 

「美術館はまた今度にしよう」と思って、気がついたら、2年近く経ってしまった。

 

蕪村展は前期と後期に分かれていて、前期は残り一週間しかなかった。

 

急に行ってみる気になった。 

 

20年前、大阪市立美術館で蕪村展を見たことがあった。しかし、大阪環状線をめぐる観光記事を書くために美術館に寄っただけで、あのころは、蕪村について何か深い興味や関心があったわけでもない。

 

しかしこの20年の間には、源氏物語の本を書いたり、浮世絵絵画のエッセイを連載したり、古典に触れる機会が増えた。

 

昔とは違った受け取り方ができるかもしれないと思ったのだ。

 

 結果としては、逸翁美術館を訪ねた成果は、まずまずだった。

 

以前は蕪村の『奥の細道図巻』を見ても、絵を眺めて終わりだったが、蕪村の見事な文字を堪能することができたように思う。

 

情景によって変わる字体や筆勢など、源氏物語絵巻に触れたことが大きかった。崩し字が読めないのは相変わらずだが……。

 

この鑑賞記は、「れんちゃん」と「お母さん」(和ちゃん)との対話編となり、前後編のかなり長文のエントリになってしまった。

 

中学3年生の「れんちゃん」に、蕪村は渋すぎるラインナップかなあとも思わないでもなかった。

 

しかし、昨年には俳句少年が主人公の劇場版アニメ『サイダーのように言葉が湧き上がる』が公開された。未見だが、本作のタイトルも、劇中句も、高校生の作品だという。

 

そして、れんちゃんの将来の夢は、イラスト入りの文章をかく「エッセイストの人」になることである。俳画の完成者である蕪村には、何かしらインスパイアされるものがあるのではないだろうか。

 

れんちゃんも、蕪村展を心ゆくまで楽しんでいたようだ。

 

 

私たちはこの『晩秋遊鹿図』の鹿たちを家族だと解釈した。

 

最初からそう考えたわけではない。蕪村にひとり娘がいることを知り、「愛娘」と対話するうちに、そう思うようになったのだ。

 

もう晩秋なのに夏毛のままのこの鹿の家族を、私たちは困窮を極めた蕪村一家の自画像だと考えた。

 

朔太郎のことばを借りるなら、蕪村が生涯求め続け、ようやくたどり着いた「スイートホーム」「家郷(ハイマート)」がこの絵のなかはある。れんちゃんがこの絵に感じた優しさ、暖かさ、切なさは、朔太郎のいう「慈母の懐袍(ふところ)」であり、「炉辺の団欒」であり、「侘しく悲しいオルゴールの郷愁」であろう(『郷愁の詩人 与謝蕪村』)。

 

と、わざわざ朔太郎を持ち出す必要もあるまい。

 

この鹿たちは絵を見たままに家族と考えたほうが自然だし、しかつめらしく万葉集の牡鹿の「妻恋」に結びつける必要はないように思われる(漢字では「鹿爪らしい」と当て字を当てるのだそうだ)。

 

そう考えたほうが、この絵の所有者で、この絵を愛したであろう小林一三にふさわしい気がする。

 

この山でくつろぐ鹿の家族こそは、彼のことばを借りるなら、「田園趣味に富める楽しき郊外生活」を謳歌する「模範的郊外生活者」ではないだろうか。

 

阪急マルーンと同じ秋の色に染まったこの鹿たちは(なぜか夏毛であるわけだけれど)、阪急電車で通勤・通学し、宝塚歌劇を見て、阪急百貨店で買い物する、中堅サラリーマンの「田園都市生活」のシンボル的存在ともいえる。

 

鹿たちを夏毛にしたのは周囲の枯山の風景に馴染みすぎないようにする、たんなるデザイン的配慮にすぎないもしれない。しかし、安月給で、阪急百貨店に冬服を買いに行けず、「せめてこの子だけでも」と夫婦喧嘩しているところだと解釈したほうが、この絵はおもしろい。

 

国会図書館のデジタルライブラリーの乾猷平 編著『蕪村翁伝年譜』によれば、本書の刊行された1933年時点では、この作品は「北村房吉氏」の所蔵であった(ただこの年譜には『遊鹿図』としかなく、他の作品の可能性もある)。

 

敗戦では多くの美術作品が流出した。いかなる来歴をたどって本作が逸翁の所蔵になったのかはわからない。あくまでも空想だが、この絵の入手が敗戦後なら、逸翁は晩秋の山で夏毛で震える鹿の家族に、「茶色い戦争」に敗れ、焼け野原で素寒貧になってしまった日本人全体の不幸を思い重ねたかもしれない

 

逆に、戦時下に制作され、日本では戦後公開された『バンビ』に通じる、新しい文化や生活や家族のスタイルの可能性を、この絵に見出したと考えるのも楽しい。

 

『バンビ』のコミカライズを手がけた手塚治虫には、連日朝から晩までこの作品に通い、スランプに陥るとバンビの絵のトレースをしていたという逸話が残る。手塚こそは歌劇と並ぶ宝塚のシンボルであり、逸翁の阪神間・北摂モダニズムの正統的な継承者であった。

 

以上は名もない素人の空想(妄想)にすぎない。しかし、一つだけ明らかなことがある。

 

阪急電鉄が分譲住宅の販売を初めて行ったのは、1910年、宝塚線・池田室町だということである。

 

大正当時には、逸翁の邸宅のあった五月山のあたりでも、この絵のような鹿の姿を普通に見ることができたにちがいない。

 

阪急の歴史を考える上でも、この作品が持つ意味と価値は大きい。この鹿の家族は、阪急の創業者である小林一三が提唱した、「田園都市生活」のユートピアのアイコン的存在であるといえよう。

 

 『晩秋遊鹿図』が出展された逸翁美術館『蕪村 時を旅する』の会期は6月26日(日)まで。

 

大阪近郊の人は、ぜひ足を延ばしてみることをお薦めします。

 

 http://www.hankyu-bunka.or.jp/itsuo-museum/

 

 



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3 コメント

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Unknown (a6dorno8)
2022-06-16 16:02:46
蕪村もいいですが、趣味者系ブロガーの立場から気になるのは、

>中野重治

ですかね。

短編「村の家」のクライマックスに出てくる孫蔵と勉次との対話なんかは、ヘーゲル弁証法まる出しなんだけど、息詰まる厚みを感じさせます。テーマは転向ですけれども、昨今話題になっているウクライナ問題を持ってきて読んでみると、「ウクライナ系か、それでもなおロシア系か」という構造的課題に変換できるので結構面白いと思います。

ではでは。
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Unknown (kuro_mac)
2022-06-16 19:21:39
前編で父親が語る「プロレタリア絵画」、後編の「プロレタリア俳句」は、梅川文男論の前振りです。
ただし、いつになることやら。

近日中に投稿予定のエントリで、中野重治は出てくるかもしれません(出たとしても、名前くらいですが)。

同じコメントがダブっておられるので、後で片方削除させていただきますね
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Unknown (kuro_mac)
2022-06-16 20:03:44
>みなさまへ

私は、映画の音声を消して、勝手なアフレコをつけて楽しむのが大好きだという趣味があります

この絵も、あれこれ物語を考えることができて、最高に楽しかったです。

昼休みにアップしたこの記事、19時過ぎには50PVを超えました。

このブログ、四捨五入して1日100PV前後ですから、このブログにしては「バズって」いる状態です。

アクセスいただいたみなさまに、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

そしてれんちゃんも大好きなこの鹿の家族の絵を、一人でも多くのみなさんに見てほしいと願います。

……特に阪急を使って通勤・通学する方々には。

ところで、左隻の鹿だけ毛の色が濃いことが気になっていました。この子だけ冬毛のように見えるんですよね。

仔鹿も冬毛になると白斑が消えますが、白斑がうっすら残るものもいるそうです。

この鹿夫婦、仔鹿のためにはどうにかお金を工面して、冬服を買えたけれど(もちろん阪急で)、

妻「この甲斐性なしがー」

夫「ぐぬぬぬ!」

と、やりあっている最中なのかも?

そんな想像の翼をどんどん広げられるのが、この蕪村の絵の魅力です。

「阪急沿線住民のサラリーマン家庭の夫婦喧嘩」と書いて、急にそんな話を思いついてしまいました。

記事本体をいまから書き直すほどのことでもないので、コメントとして残しておきます。

この鹿の家族の絵については、ぜひ逸翁美術館で本物を見てください。

本当にすばらしい作品です。


今後ともこのブログにアクセスをいただけましたなら幸いです。
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