ヘルシーでオーガニックな病人食メニューも、毎日毎食続くとさすがに飽きてくる。先日の昼休み、おばちゃんの食堂に出かけた。
いつも頼むのは、焼き飯セットである。おばちゃんの焼き飯は、美味しい日もあれば、イマイチな日もある。味も火加減も、日によって違うところが、気まぐれな亡母が作るチャーハンに良く似ていた。「うん、今日はイケてる」「今日はベタベタしてまずいね」というギャンブル性が、私にとっては「おふくろの味」だった。亡母やおばちゃんが聞いたら、「そんな文句を言うなら、もう二度と作らない」と怒られそうだが。
おばちゃんも病気をしてから、店を休みがちだった。その日もシャッターが降りていた。また出直しかと思ったら、つい先日来たときにはなかった、ワープロで印字された閉店のお知らせが張り出されていた。
またひとつ、なじみの店がなくなってしまった。
飲食店の競争は厳しい。長く続けていくのは、ただでさえ大変なことだ。そこに高齢化、人手不足、消費税増税が追い打ちをかけてくる。以前の大阪には、安くておいしいお店を見つける楽しみや喜びがあった。しかしここ最近は、お店がまだ元気に営業しているだけで安心するようになってしまった。
おばちゃんの食堂には、昭和三十年代前半の日付が入った調理師免許が、額に入れられて飾られていた。まだカラーテレビの放送も始まっておらず、東海道新幹線も開通していなかった頃だ。60年、この街とともに歩み続けてきたおばちゃんに、ねぎらいのことばをかけることも、お別れの挨拶さえできなかったことが、今はただ悔しい。おばちゃんの無念さを思うと、何か一言、言っておかねばならない気がしてきた。
2014年に消費税が5%から8%に増税になったとき、社員食堂を利用する人が急に増えた。外食組が、仕出し弁当を取るようになったり、コンビニやスーパーで昼食を買ってくるようになったのである。おばちゃんの食堂にも打撃だったろう。
10月の消費税増税で、外食産業から客足がさらに遠のくは間違いない。おばちゃんの店以外でも、バタバタと閉店が相次いだ。大阪市内でもこんな状況なのに、地方の疲弊はさらに深刻なものだろう。地方に出かけるたび、強くそう感じる。
47都道府県のうち、40以上の道府県が人口減少にあえいでいる。秋田や青森、高知などでは年間1%を越える減少率だといわれる。高齢化と少子化、さらに都市への人口流出で、地方の人口減少は年々加速化していく。ただでさえ人口が少なくなっているところに、消費税増税がとどめを刺す。最低賃金は都道府県ごとに違い、地方ほど低くなるというのに、逆累進性の高い消費税率は全国一律だ。地方に「死ね」といっているのに等しい。
この記事のタイトルは、以下のはるさんの記事にお借りした。地方の疲弊と、選挙戦略を考える上で、重要な示唆に富んでいる。『武器としての世論調査』とあわせてご一読することをお勧めしたい。
◆ 自民党は地方に何をしたか(第25回参院選精密地域分析Part3)
「かつて日本には、都市も地方も発展していた時代がありました。しかし今はそうではありません。トランプとの取引のなかでも、都市部の工業・自動車産業のために、地方の農業は売り飛ばされるのです。
地方は犠牲にされています。
だから、地方の人は、考えてください。有権者も、これから有権者となる人も、与党の人も、野党の人も考えてください。地方が犠牲にされている今の状況を止め、都市と地方のバランスを回復させるということを考えてください」
この記事が、一人でも多くの地方の有権者と、有権者になる人たちに読まれてほしいと心から願う。
私たちの労組では、地方の生産者と、都市の消費者を結ぶ産直事業に、ささやかながら取り組んでいる。地方拠点の地元ブランド豚を、おばちゃんの食堂に卸し、看板メニューにしてもらうことが、私のささやかな夢だった。しかし、豚コレラの流行で、この計画は一時見送りになったままである。いつ再開できるかもわからない。大切に育ててきた豚を殺処分しなければならなかった養豚家は、どれだけ悔しく無念だったろう。いつまでも豚コレラを鎮圧できない日本の農政と地方行政は、完全に壊れている。地方を犠牲にして、都市のごく一握りの富裕層だけが肥え太る政治と経済を、やめさせなければならない。