宇能鴻一郎『姫君を喰う話』
「ほぅ」
本書を読み終えた私は、あの箱入り娘のように情けないため息交じりの声を漏らすだけだった。本書の読後感を、言葉にするのはむずかしい。
あるクライアントに、おまえの文章は長過ぎる、優秀なプログラマーほど短い行数でまとめるものだとお叱りを受けたことがある。たしかに、ダラダラ書くことはかんたんで、一言で的確にいいたいことをまとめることほどむずかしいことはない。まして本書の感想を一言でまとめるなど、私の言語能力、語彙力では到底不可能なことだ。以下、思い出話も交えながら、ダラダラとあらすじ紹介に終止するレビューを書き留めることをご容赦いただきたい。
かつてスポーツ紙や週刊誌で、宇能鴻一郎氏の名前を見かけない日はなかった。性に興味関心を持つ年代になれば、当然、そのご高名に触れることにもなる。しかし、昭和のサラリーマンの煩悩と妄想にあふれた宇野作品のヒロインたちに「お世話」になるには、私たちは稚く若すぎた。「私~なんです」が決り文句の女性独白体の宇野作品は、私の年代には欲望の対象というよりは、一種のパロディの対象になっていたように思う。
これは過激派時代の思い出だけれど、三里塚闘争で機動隊から装甲車を奪取した7・21成田用水戦闘の現地闘争レポートを、私は機動隊員を語り手にして書いた。「私、思わず逝っちゃったんです。でも、学生さん許してくれなくて」という宇能作品のパロディで、同志諸君が回し読みしてゲラゲラ笑い転げていたものだ。
吉田戦車氏の生み出した「火星田マチ子」の独特のキャラクターにも、宇能ヒロインの影響をそこかしこに感じてしまう。ある作品で、セーラー服を着た女学生のマチ子が、若くハンサムな男性教師に、「先生、私、平気なんです」と猛アタックを仕掛ける話があった。一体何が平気だというのか。『高校教師』が流行していた頃だったか、要するに自分を押し倒してもいいということだろう。ハンサムな先生は怯え、とまどうばかりだが、マチ子はただ「平気なんです」としかいわない。この場面のシュールさとおかしみは、マチ子が熟女妻でも美人OLでも美少女でもなく、タコ型星人であるところにあった。
私は、宇能作品のヒロインたちに、火星田マチ子のような不条理さ、シュールさを感じながらも、どこかでそのばかばかしさを愛していたように思う。しかし政治運動を離れて、いくつかの仕事を経て会社員となり、営業の合間にスポーツ紙や週刊誌を眺める時間も増えた頃には、もう宇能氏の名前を見かけることはなくなっていた。私も書店で本書を手に取るまで、その名前すら忘れていた。
後述するように、手に取って、たまたま開いたページがあまりにもアレな内容で、買うべきかどうか一瞬逡巡したが、芥川賞受賞作『鯨神』が収録されていることを知ってレジに直行した。いつか読んでみたいと思っていた作品だったのである。
本書には6編の短編と、書き下ろしのエッセイが収められている。以下、長くなるけれど、感想メモを残しておきたい。
『姫君を喰う話』 「小説現代」1970年3月号
表題作である。冒頭の一文を引用する。
「食べるものに私は関心が深いけれども、かならずしも美食家ではない。打水をした粋な料亭で、凝った料理をほんの少量味わい、目を細め、芸者の酌に舌を鳴らすのはむろん好きである。けれどもそれと同じくらいに、たとえば煙のもうもうとたちこめる朝鮮料理屋で、香ばしく炙られてゼラチンが適当に溶け、ニタニタ、ギタギタする豚の足や、あたたかく柔らかい焼肉や、胡麻で味をつけ生卵をつけた生肉刺身で、ビールを喉にほうり込むのも、好物なのである。要するに私は、美食と悪食をひっくるめた、貪食家なのであろう」
前半パートはホルモンを焼く煙が立ち込める朝鮮料理屋が舞台である。これほどホルモン料理の醍醐味を描ききった作品が、かつてあっただろうか。「焼肉文学」「ホルモン文学」というカテゴリがあったとしたなら、本書は間違いなくベスト1にランクインするだろう。
横光利一の『春は馬車に乗って』の鳥の臓物料理も忘れがたいけれど、こちらはフレンチ風の「美食」仕立てということになろうか。本作の朝鮮料理屋での前半パートはまさに「悪食」の極みというほかなく、悪趣味、破廉恥、猥褻の連続である。
坂口安吾が、 ホルモン焼きに食らいつく浅草の芸人たちや、ジャンジャン横丁の労働者たちを紹介しながら、挑みかかり、ムシャぶりかかるような食べ方は、ホルモン焼き特有のもので、いくら空腹のときでも、他の食べ物を相手にするときにはしない、そこには、ホルモン焼きのもつ必然的なものがあるのだ、という趣旨のことをいっている。(『安吾の新日本地理 道頓堀罷り通る』)。しかし安吾はホルモン焼きがあまり好きでなかったようで、この「必然的なもの」について立ち入って考察することはなかった。
ホルモン焼きを前にすると、なぜわれわれは攻撃的になり、餓鬼のような姿になりおせるのか。人間は自然の一部だというけれど、要するに人間は元々けものだということであろう。私もモツはあまり好きではないが、ホルモン焼きのあの味と匂いと熱には、人間を野性に返す力があることは認めざるをえない。ライオンやヒグマがまず獲物の内臓を貪り食うように、けものに返って熱いのにむしゃぶりつくのが、モツを食べる正しいスタイルなのであろう。冷めたモツなど食べる気もしない。なに、ホルモンの冷製仕立てもあるって? うん、おごりなら食べてもいいよ?
「宵越しの内蔵(もつ)だけは食べられない」と作者は書く。まだ屠って時間の経っていない宵の口の「まだ仮死状態の──まだ細胞はピンピンして生きている」のに限るのだ、と。この発想はなかった。天満で会社の後輩たちと一緒に食べた一皿250円のこてっちゃんは本当に美味かった。日曜の休日を利用した研修の帰りで、まだ午後の3時を過ぎたばかりだったから、新鮮なのが決め手だったのかと思い至った次第だ。こてっちゃんは牛の小腸だが、これは朝鮮語で牛の大腸がテッチャンであるところから来たネーミングらしい。小さいテッチャンだから「こてっちゃん」というわけか。これが『じゃりン子チエ』のテツと小鉄のネーミングの由来になるのだろうか。
「タンをなめて女の、舌の味がするのなら、大腸であるシロは女の……もっとも生理的な、口にするのもはばかられる味がするのにちがいない」
ここから、アナル責めの変態プレイの話になる。『姫君を喰う話』というタイトルだったはずなのに、いったい、この小説はどこへ行こうとしているのか。
「たしかに、その通りですとも。愛しい女をしゃぶったり、舐めたり、噛んだりするのは、愛しゅうて愛しゅうて食うてしまいたいからなのです。……よう判るとも」
隣の席に割り込んできた虚無僧姿の男は、エロ話が一段落すると、そう語る。この虚無僧の言葉と、タイトルが示すように、本作のテーマは、「食べること」が愛の究極の表現であるという、カニバリズムのタブーに大胆に迫るものである。
この虚無僧が、姫君が喰われる本題である後半パートの語り手となる。私は少し身構えた。後半パートも、ホルモンやアナルプレイの薀蓄を嬉々として語る、同じ描写の密度と濃度で描かれることになることかもしれないことに警戒したのである。思い出したのは、亡くなった少女が自分が解剖されていく様子を実況中継していく、吉村昭氏の『少女架刑』であった。前半パートの勢いなら、姫君が喰われていく場面は、愛しい部位ごとにネチネチと描写されるのではないかと思ってしまったのである。
結論をいうと、そういうことはなかった。前半パートが、俗っ気たっぷりの「悪食家」の側面だったとすれば、後半パートは「美食家」の面目躍如といったところだろうか。まあ、前半パートは尻フェチ、後半パートは足フェチの物語で、どちらも変態であることには変わりないのだが。篠田節子氏の解説によれば、本作は平安時代の秘画絵巻『小柴垣草紙』(こしばがきぞうし)に材を採った、みごとな古典的作品である。谷崎潤一郎の向こうを張った後半パートには、私は良い意味で裏切られた。秋成の『青頭巾』を思い起こさせるような、美しく哀切な物語であった。
『鯨神』 「文学界」1961年7月号
さて、『姫君を喰う話』で、吉村昭氏のデビュー作である『少女架刑』を思い出した話を書いたけれど、自分の貧しい読書遍歴で、本書に収録された宇能作品にいちばん親(ちか)しさを感じたのは、宇能鴻一郎氏とは最も対極的にみえる吉村昭氏の『鯨の絵巻』であった。
『花魁小桜の足』の長崎の正月行事だった花魁の踏み絵行事を知ったのが、『ふぉん・しぃほるとの娘』だったということもあるが、動物たちを相手に生きる男たちを描いた吉村氏の短篇集『鯨の絵巻』と、『姫君を喰う話』収録作品群が、オーバーラップするのである。
吉村氏の『鯨の絵巻』も、本書の『鯨神』も、どちらを明治を舞台に、アメリカの破裂砲が導入される前の網取漁法による古式捕鯨に生きる男たちを描いた物語である。しかし『鯨の絵巻』は丹念な取材に基づいた歴史小説だったが、『鯨神』は神である巨鯨と人間たちの闘争を描いたまさに神話であるというほかない。
「黒雲ばまとうて馳せちゆく大いなるものは何か──嵐ばはらみ、血にあいた嘴(くちばし)ばぬぐいつつとびさるもののすがたは何か──息子よ飛びたってしゃつば追いやい──しゃつが喉い牙ば立て、しゃつが腸(はらわた)ひきさくまでは巣に帰りやんな──その日までは巣は汝(なれ)ば迎えんぞ──母(かあ)が涙の仇の血で拭わるうそのときまでは」
これは主人公である若者の兄も含めた十二人の漁師が鯨神に殺されたとき、若者の母が作った即興の挽歌である。この母の呪詛から始まる『鯨神』は、村を追われた若者が最後には故郷の鍾乳洞に帰って命を断つ胎内回帰幻想をモチーフとした『リソペディオンの呪い』と対となるような構造を持っているといえるかもしれない。「鯨神」は災いをもたらすタタリ神であると同時に村に富をもたらす豊穣神でもある。祖父と父と兄を鯨神に殺された若者の幼馴染の少女が、村の墓所で人に隠れて赤子を産み落とす場面が、この物語の転機となる。鯨神が再び海に現れたとき、若者のライバルの紀州男が、鯨神を相手に予想もしない行動に出て、若者は見事に鯨神を仕留めることに成功する。最後に海中で鯨と見つめ合う場面が印象的だ。
「驚きのあまり綱から手をはなしそうになったのは、水中を走っているあいだに自分が背からずり落ちていて、つい目のまえに鯨神の小さな眼があいているのを見たからである。
蒼みがかったそれは訴えるようにじっと若者をみつめているが、その目は意外に静かに澄んでいて、なんの憤りや悪意も浮かんでいない」
鯨神との闘争で瀕死の重傷を負った若者は、浜で鯨神の頭骨を眺めながら、最後は鯨神と一体化しながら、死んでいく。私はこのラストに深い感動を覚えた。
『花魁小桜の足』 「小説現代」1969年11月号
本書に収録作では、いちばん「ノーマル」な作品ではないだろうか。花魁小桜のかわいらしさ、純真さ、可憐さが光る。
阿蘭陀行きの小桜を囲っていた親切な老甲比丹(カピタン)が母国に帰ることになった。老甲比丹はお土産を約束する。小桜は祖母に聞いた、天竺にいるという、親指ほどの人を何人かお土産にせがむ。化粧箱の引き出しに入れて飼うつもりなのだ。阿蘭陀行きは遊女のなかでも最下層で、老甲比丹が帰った後に、小桜は格上の日本行きになるように声がかかる。しかし彼女はこれを拒む。老甲比丹がまた来たとき会えなくなると思ったのだ。そんな彼女を見習い通訳官の稽古通詞が、「彼はもう来ないよ。歳だし、阿蘭陀に妻子がいるんだ」と冷笑する。しかし「ただひとつ、また会う方法がある。お前も切支丹になれば天国で彼と会えるのだ」と、正月の絵踏みで耶蘇基督の絵姿を踏まず、ハリツケとなってマルチリ……殉教するように唆すのだ。彼は隠れ切支丹であったのだ。
ラストは鮮やかなどんでん返しで、谷崎への限りないオマージュであった。思わず笑ってしまったし、拍手したくなった。
解説によると、本作は単行本収録ごとに、加筆修正が施されてきたという。初出は1969年だが、作中で言及のあるイザベラ・バードの『日本奥地紀行』の邦訳が東洋文庫で刊行されたのは1973年である。原著を読んだのなら別だが、これは1970年代以降の加筆と考えるのが妥当かもしれない。2005年バージョンなるものも存在するらしい。機会があればあわせて読んでみたい。
『西洋祈りの女』 『新潮』1962年3月号
本作もまた、『鯨神』とパラレルになるような作品といえるだろうか。宇能氏の作品は、どれも書き出しがすばらしい。舞台は戦後間もない頃である。
「ふるい世の巨人の屍体がそのまま山に変った、という言いつたえは、どこの山間(やまあい)の村にも残っています。けれどもその言いつたえが、この三重県の山腹の小さな集落を囲む連山について語られるときほど、真実味をおびて感じられることが、ほかの地方にあろうとは私には思われません。たしかに、この山なみは、豊かな体躯の女が頭を北に置き、足を南北にのばして、村をかこんでながながと横たわった姿に、驚くほど酷似しております」
この冒頭のくだりで本作の異人殺しのモチーフ、「西洋祈りの女」の追放と死が暗示されている。
しかし寡聞にして、こんなに地方の農村の暮らしをリアルに描いた作品を私は知らない。作家は基本的に都市出身者ばかりで、宇能氏もプロフィール上は札幌市出身なのだが、地方の農村の生活に精通しておられるようにみえる。草刈り機がない時代の草刈りはどんなに辛かっただろう(草刈り機があっても、体勢が不安定な山の斜面の草刈りはほんとうに辛い)。蛇を捕まえて売る話も妙にリアルだ。蛇の血は病人の薬であり、若返りの精力剤でもあった。蛇の血をがつがつと啜り、「生きたいよう。生きたいよう。もっともっと生きたいよう。婚(ま)いで婚いで婚ぎこんでから死にたいよう」と号泣する、胸を病んだ出戻りの娘の狂おしさ。婚ぐは交わうの方言だろうか。この蛇捕りの話に、吉村氏の『鯨の絵巻』に収録されたハブ捕りを主人公にした『光る鱗』を思い出したりした。
しかし蛇捕りで小遣いを稼いでいた主人公の少年は、大の得意先の村長に、「西洋イノリ」の女が来たので、もう蛇はいらないといわれてしまう。前に来た祈祷師は日本語だからだめだった。今度の西洋イノリは、途中に英語をべらべらと混ぜるから絶対に効くはずだと村長は信じて疑わないのだ。
「アメリカのもんは何でも効くぞ。DDTでも何でも効くぞ。メリケン粉でもアメリカのは真っ白じゃろ。拝むんでも効くぜえ。ぜったい効くんじゃよって」
と、こんな調子だ。このアメリカへの盲信ぶりはがおかしい。まあ、私の若い頃までは、洋モクやら洋酒やらをありがたがる風習がまだ残っていたものだし、沖縄や各地での米軍の暴虐ぶりを見るに、いまだってアメリカ帝国主義に対する隷属が続いているというほかない。
西洋祈りの女は、戦災で家が焼け、軍人の夫と死に別れてから、西洋の神様がのりつったという。だから英語で宣託するのだ。この西洋イノリは霊験あらたかで、どこの村でも歓待を受けている。夫亡き後も操を守り、二人の子どもを育たているのも、「貞女の鏡」といわれている。
さて、江藤淳が、中上健次の『枯木灘』を「日本の自然主義文学は七十年目に遂にその理想を実現したのかもしれない」と激賞したことがある。『枯木灘』も素晴らしかったけれど、私はむしろ『鯨神』やこの『西洋祈りの女』にこそ、真の意味で完成された自然主義文学を感じた。いや、中上がほんとうに書きたかったのは、『鯨神』やこの『西洋祈りの女』のような作品ではなかったのか。中上はその若い晩年、頭のよい学者さんたちと付き合いすぎたせいか、小説はすっかりつまらなくなってしまった。
冒頭の一文にあったように、神話の巨人の屍体は山となり、そこからコメやムギやマメなどの作物が生まれることは、世界各地の神話が伝えるとおりである。『西洋祈りの女』を自然主義文学といったのも、古い因習にとらわれた山村を舞台にした、荒ぶる性と生と死が連鎖する、その食物連鎖の絵巻をみるような物語の構造である。
少年から一匹十銭で蛇を買いあげてくれた出戻り娘のモンコは、もうこの世の人ではない。この村では屍体は棺のまま土葬するが、墓の傍らに桜を植える習慣があり、その桜の樹は墓標がわりに「五兵衛桜」「太平桜」と墓の主の名前で呼ばれる。モンコ桜を見た少年は桜の樹が根を死者たちに絡みつかせ、栄養たっぷりな腐汁をちゅうちゅう音を立てて吸い取っては、葉脈のすみずみまでゆきわたらせている凄惨なさまを想像しないではいられない。樹の肌にしみだした樹脂は死者の脂肪だったのかもしれない。葉のついた枝の一本は、蛇の血をすすっていたモンコの指の一本だったかもしれない、と。
西洋祈りの女の出現で、蛇売りの仕事を失った少年は、従姉にあたる村長の妻の頼みで、豚に餌をやりに行く。この餌とは、青年団が経営している養豚場から出た孵化したての牡ビナである。牡ビナは飼料にするしか使い道がない。豚たちは争って牡ビナの入ったボール箱に鼻先を押し込み、その柔らかい骨と肉と羽毛を生きながらに噛み砕いて呑み込んでいく。この描写の強烈さ。『ハンニバル』の人食い豚を思い出す人もいるかもしれない。
西洋祈りの女の子どもを連れて、ウナギ捕りに行く場面も鮮烈だ。少年たちは滝のそばの岩を登っていくミミズほど大きさの仔ウナギの集団を目撃する。途中で鋭利な岩に傷を負って死んだり、力尽きて岩からはげ落ちて転落したりするものも多く、無傷で上の流れにたどりつくのは千匹に一匹もいない。学校に通わず母に勉強を教わっている、西洋祈りの子どもが語る言葉が印象的だ。
「鰻の仔は、海で生まれるんだよ。(中略)川から何千理も離れた海の底で生まれるんだって。それから、長い長い旅をして、川を登って親鰻になるんだって。この仔鰻たちはようやくここまで来たけれども、まだ旅の途中なんだね。この崖をのぼって、もっともっと遠くへ行かなければならないんだね」
西洋祈りの女は、珍しい英語の祈祷で村人たちの病を癒やして引っ張りだこになる。村の男たちは町の匂いのする西洋祈りの女に色めきたち、女たちは反発する。しかしその先に破局が待っていた。村祭りの場で、村長は人気取りのために、西洋祈りの祈祷を受ける権利を懸賞にする。初めて西洋祈りの祈祷が見られるというので、元小学校の青年会館には、村中の老若男女が集まる。しかし祈祷の権利を勝ち取った青年は、こともあろうに村人たちの目の前で西洋祈りの女を犯し始めてしまうのだ。女は抵抗する余裕もなかったが、最後は青年を受け入れてしまう。少年の目には下履きを剥がれるときには腰を浮かして協力しているようにみえた。村長や村議は眉をひそめ、青年たちは黙りこくったまま憂鬱そうに去り、女たちは彼女に軽蔑の眼差しを向ける。「へても、仕方がなかったんやもん」と田舎言葉で泣きじゃくる西洋祈りの女。もう祈祷師としての威厳やオーラは完全に失われた。西洋祈りの女は、追われるように村を去る。また新しい村をめざそうにも、噂は女より早く山間の村々に駆け巡るであろう。
ラストで夕食を終えた少年は、以前鰻を捕りに行った滝壺へ魚を挟みに行く。その途中、西洋祈りの女が子ども二人の頸を絞め、自分も首を縊って死んだことを知らされる。少年は夏のあいだ仔鰻が無数に登って来ていた絶壁を見る。とこどころの窪みが青白く光っているのは、死んで窪みにはまった仔鰻の鱗粉が燃えているのだろうと考える。少年は仔鰻の長い旅を熱っぽく語っていた彼女の子どものことを思い出す。そして、死んだ西洋祈りの女に、遠い旅と産卵を終えて深海の墓場でひっそりと死んでいる雌の大鰻のイメージを思い重ねるのである。
『ズロース挽歌』 「問題小説」1969年10月号
最初、本書を買うのを一瞬躊躇したのも、パッと開いたのが、本作のある場面だったからだ。学校の女子便所の汲取口から、糞尿まみれの全裸の男が現れて、たくましくなったものを誇示しながら逃げ去っていく場面であった。汲み取り便所に潜んで、女学生たちが用を足すのを下から眺めていたらしい。これはあまりにも強烈である。この「黄金人間」との出会いが、女学生の尻(正確には、尻を包んでいるズロース)に執着し、女学生拉致監禁事件を起こして逮捕される主人公の原体験となるのであった。
本書の主人公は許しがたい性犯罪者なのだが、しかし腎不全で余命幾ばくもないことを宣告された男には、なんともいえない悲哀が漂っている。「喪男」(もおとこ、モダン:もてない男)なるネットスラングがあったけれど、本作の主人公にこそこの言葉はふさわしい。作者の「私」が拘置所付属病院で出会った男は、全身がむくみ、額の狭いその顔は水ぶくれしたゴリラのようだったと描写される。男が「私」に面会を申し込んだのは、三十八年で終わる自分の人生の記録を残すためと、ある遺言を実行してもらうためだった。しかし男は疲れていて取材に応じることができない。「私」が残していったカセット式テープレコーダーに吹き込まれ告白録が本作であるとされている。
「ズロース、ブルーマア、女学生──もちろん、セーラア服も入れていいだろう。こうしたものは、おそらく私にかぎりはすまい。私の年代の男たちの、いわば青春の象徴だった」
ズロースもブルマーも女学生も、どれも死語ではないか。「パンティ」「スリップ」「ズボン」ももはや死語だと解説の篠田節子氏も書く。以前、『監禁淫楽』というアンソロジーに本作が収録されたとき、篠田氏も作品を寄せていて、冒頭を飾る作品を書いた女性作家と二人でこのタイトルに爆笑したという。確かにこのタイトルは時代錯誤も甚だしい。
戦後、中学校が男女共学となり、本作の主人公は、女学校から木の机や椅子を運ぶ。そのとき、椅子の真ん中が尻の形に浅くくぼんでいることに気づく。少年は白いズロースに包まれた女学生の大きな尻を切なく思うのである。共学が始まると、彼は膝を開いて座った女学生たちのズロースを垣間見ることになる。女学生たちがスカートをまくって椅子に座ることも知る。あの椅子の窪みが、ズロース一枚越しに、女の子の尻の重さや熱を毎日受け止めていたことに、少年は激しく興奮する。
ズロースといえば、『魔女の宅急便』のキキのあのかぼちゃパンツである。宮崎作品の少女のパンツに対するこだわりようを見ていると、宮崎駿にも本作の主人公のように女子生徒のズロースを垣間見て胸をときめかせた経験があったのかもしれないと思えてくる。キキがパンツを見せるのは、魔法に失敗したときで、他人の前で恥をかくという通過儀礼としての意味があると宮崎監督は真面目くさって解説するのだが、要するに、監督にとってもズロースが「青春の象徴」だったというだけではないのか。
高校卒業後、就職した男は赤線で童貞を捨てたが、女性とは縁がなく、また大人の女性には興味がない。セーラー服の不良少女たちに刃物で脅され、「いつも一人でやっていることをやってみな」と強要され、見られながらすることを想像して自慰に耽るだけである。「妹が入学したので」と嘘をついて、洋品店でセーラー服とブルマーとズロースを買い求めた以上の行動に出ることもなかった。
しかし男は体に不調を感じ、医師の診断を受けた結果、腎臓に先天的な欠陥があり、根本的な治療法はなく、三年生きられるか、十年生きられるかわからないことを知る。そのままズルズルと生き延びていたある日、都電の中で、理想を絵に描いたような女学生を見つける。(彼女は、きっとズロースをはいているにちがいない)と思い込んだ男は、金属製の靴ベラを刃物のように思わせて脅し、自宅まで連れ去るのである。女学生の処女を奪うことは、金を鉛に変えるようなものだという哲学を男は持っている。最後まで至ることはなく、最初は少女の夏草の茂みに顔を突っこみ、次は買っていたズロースに履き替えさせて、激しく自瀆するばかりである。
一晩経っても少女は逃げることはなかった。男が会社を休み、飯を炊いて干物を焼いて運ぶと、「私がよそうわ」と少女が手をのばして二人分の茶碗に、しゃもじで盛り分ける場面が印象的だ。男は自分が新婚家庭の幸福な若い夫だと錯覚しかける。少女は落ち着き払っている。いや、ふしぎはないのかもしれないと男は考える。何万年も、女という生き物は、略奪されて結婚し、子どもを生み育ててきた。この少しぼんやりとした女学生にも、その女の本能がいまだに生き残っていたのだとしても、少しはおかしいことはないのだ、と。
これは実際に起きた少女監禁事件の犯人だが、女子中学生を2年間にわたって監禁した千葉大生は、数ヶ国語を話しコンピュータの技術に長けたエリートであり、尊敬する人は麻原彰晃で、この監禁も、マインドコントロールを実践してみたかったからだという本物の外道だった。一切弁護の余地はない。本書の主人公にしても、実在したのなら、極刑に処しても飽き足りない。しかし、非人間的なもので私に無縁なものは何ひとつない。本作で深く印象に残るのは、解説の篠田節子氏が書くとおり、「成熟し損なった男の悲しみと、すべてを運命と諦めて飲み込み開き直る年若い女性のたくましさ」の対照である。
少女はその後も逃げることなく、4ヶ月が過ぎた頃には、男女の関係になる。ある日、タクシーで連れ込んだ鶯谷のホテルで、女子高校の運動会の行進曲を聞いて、学校に戻りたいだろうと男が聞くと、「ぜんぜん」とあっけらかんと彼女は答える。「女子高校なんて子供っぽくて、ばからしくて」
男は少女がもう成熟していて、自分が女学生の抜け殻と戯れていたにすぎないことを知り、衝撃を受ける。彼女を家に帰してやらねばならないという気持ちがこの頃から強くなる。以前ほど用心することもなく、自由に外出させ、銭湯にも行かせるようになる。彼女にセーラー服を着せることもなくなった。そうしたある日、買い物帰りの彼女を尾けてきた刑事と家主が、部屋に乗り込んでくる。彼女は嬉々として家族のもとに帰っていく。
公判の途中で腎不全が悪化し、死を覚悟した男は、「私」に手紙を書き、このカセットテープの告白録を残す。そして告白の最後に、どこか田舎の、女学生がセーラー服の下にズロースをはいており、ブルマーをつけて体操する女学校を見つけて、そのグラウンドに遺骨の一部を、残りを彼女たちの便所の汲み取りの壺にまいてほしいと遺言するのだ。「私」が依頼を守ることを誓うべく拘置所付属病院を尋ねると、男はカセットを発送してまもなく重症の発作を起こしてすでに死んでいた。火葬はとうに行われ、「私」には一すくいの灰も手に入らなかった。
『リソペディオンの呪い』 「問題小説」1970年9月号
本書に収録された作品群は、尻フェチ系と足フェチ系に大別されるが、本作は『西洋祈りの女』と同様に、母体回帰幻想を切り口に女体そのものをテーマとした作品といえるかもしれない。
別府温泉からバスで2時間ほど走った大野郡山中には、巨大な鍾乳洞があった。大分県に実在する風連鍾乳洞が、本作のモデルらしい。この鍾乳洞には、かつて「石汁地蔵」といわれた一体の石地蔵があった。地蔵といっても、何万年ものあいだしたたり落ちた石灰乳が、ひとりでに凝って、地蔵の形になったのにすぎない。ここにいつのころからか乞食行者が住み着く。村人たちははじめは邪魔にもしなかったが、男が留守の家に踏み込んで、娘を追い回し、金品を強要し、「石汁地蔵のたたりがあっても、ええんかい」と脅すようになると、村長も捨てておけなくなる。村長はこの石汁地蔵をたたきこわし、この乞食坊主を村から追い出す。その後しばらくはなにもなかった。村長の死後、六十近くなった村長の妻が腹痛を訴え、盲腸炎と診断され腹部を切開すると、虫垂にはなんの変化もなく、そのかわり腹腔からは、小さな赤ん坊のほどの石の地蔵が取り出される。それは体をちぢめ、手をにぎった、出産直前の胎児の形をしていて、指で弾くと、カチッとするほど.に硬かった。タイトルにもある「リソペディオン」(石児)である。三十年前、村長の妻は流産していた。そのとき、腹にしこりができたのを感じていた。孕んだのは二卵性双生児で、そのうち一人は流れてしまったけれど、残った一人は子宮外妊娠となって、へその緒でつながっていたのでしばらく生き続けたらしい。村人たちは村長にこわされた石汁地蔵の魂が女房の腹の中に入ったのだろうと噂する。この噂を聞く前に女房は床に伏せ、わずか数日で亡くなってしまう。老女は村のしきたり通りに埋葬されたが、残された石仏をどうしたらいいか村の人びとは頭を悩ます。しかし長老の一人が言い出して、石仏はもっとも自然な場所に落ち着いた。昔、石汁地蔵が立っていた場所に、同じように据えられたのである。
このとき、村長夫妻の長女は身ごもっていた。人々は半ば心配し、半ば興味をもって、彼女の大きい腹を眺めていた。母親が石の胎児を産んだばかりで、彼女は父親が石汁地蔵を砕いてから初めて生まれた子供でもあった。人々の関心を集めて釜足(かまたり)は誕生した。生まれたときは五体のどこにも異常はなかった。しかし釜足の母が若くして白血病で亡くなり、釜足が成長するにつれて、不幸が明らかになる。小学校6年間で彼の身長は1センチも伸びていなかった。彼は低身長症だったのだ。
彼は学校に通わないようになり、鍾乳洞の中で隠れて過ごす。しかし村では、この唯一の逃避場である鍾乳洞を、観光地化しようという動きが始まっている。小豆相場に失敗した父は精神病院に入れられ、家も人手に渡ろうとしている。釜足は、鍾乳洞で自分の伯父である石仏を金槌で叩き割ると、村を出奔する。
数年後、釜足は、大阪の通天閣付近にあるストリップ劇場で、ストリッパーに混じってコミカルな演技をみせる道化になっていた。ようやく見つけた安住の地。ストリップの女たちはみんな好人物で、彼をかわいがってくれた。もちろん、彼を男性とは認めていないから、目の前で平気で着替えをするし、「釜ちゃんならええわ」と風呂にも一緒に入ってくる。一回100円でアンダーヘアーの処理の仕事を請け負ったりする。風呂でのしかかる女の巨大な尻や腿や乳に陶然とする、甘美で幸せな日々。釜足は、自分をかわいがってくれたストリッパーのメリーとそのヒモのマネージャーの独立話に乗って、行動を共にする。二人のセックスにも奉仕し、この惨めな幸福はいつまで続くかと思われた。しかし、ある日、二人の痴話喧嘩で、「釜チャン。この男を殺して」というメリーの言葉に、かつて伯父のリソペディオンを叩き壊したのと同じ金槌で、そのヒモを撲ち殺していた。メリーはまさか本当に殺すとは思わなかったのだろう。「人ごろし」と釜足を責め立てるメリーを撲殺して、彼はその場を立ち去る。
10日ほどのち、釜足の姿は再び故郷の村にあった。生家のまわりにはすでに私服警官の姿があった。彼はなつかしい鍾乳洞をめざす。途中までの山道は舗装され、穴の入口にはものものしい看板が立っていて、中は蛍光灯で明るく、ところどころ鉄板がしいてある。それも途中までだった。彼は身をよじって、洞窟のいちばん奥の石灰乳のしたたる細い通路に潜り込む。もし警官が気がついても、ここまでは入られぬにちがいない。逃走の途中で買い集めた睡眠薬をすべて掌にあけ、何度かに分けて飲みくだす。
「やっぱり、ここがいちばん居心地のよかばい。母ちゃん」
母のまぼろしは微笑してうなずいた。濃い石灰乳が、釜足の額に散る。やすらかな寝息を立てはじめた侏儒の体を、一滴、また一滴と白い液体がおおいはじめる。こうして、鍾乳洞の奥では、何万年もかけてまた一つ、新しい石汁地蔵が出来始めたのだった。
ここまで読み終えた私は、冒頭に書いたとおり、「ほぅ」とため息混じりの情けない声を漏らすしかなかった。なんというものを読まされたのだと思った。
最後に、2021年5月の日付のあるエッセイ「三島由紀夫と新選組」が収録されている。氏は今年88歳になるはずだが、まだ創作欲に燃えているようで何よりだ。人生最後の仕事には新選組を構想しているそうだ。どうやら現代の三島由紀夫をワープさせて登場させるつもりらしい。ふたりとも色白の秀才で口舌文章の徒、隊士を集め最後に驚天動地の勤王演説をぶち、まもなく斬死する。母親への強い愛着、大変な才能を持ちながら、どこかいかがわしい。新選組の母体となる隊士を集め、横浜外人焼き討ちで幕府を攘夷に決起させようとして失敗した出羽の人清河八郎である。策に溺れた智謀の人という司馬史観にとらわれて、三島との類似性については考えてみたこともなかった。ぜひこの作品も読んでみたい。
つい、週末の貴重な休日を2日返上して、ワープロで13ページ分の感想を書いてしまった。それだけの価値のある作品である。ぜひみなさんも『姫君を喰う話』を手にとって読んでほしい。
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- あさがおダイアリー 12月19日 148日ありがとう! ばいばい、またね! 10時間前
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