仕事で、読めないし知らない漢字が出てきた。こういうのは気になる。5ポイントくらいの小さな字を虫眼鏡で見ながら、モジナビで手描き検索してみたけれど、ヒットしない。雨偏の漢字で、漢和辞典で丹念に部首の最後の方まで追っていくと、見つかった。「霽」(セイ は・れる)という字の下の造りの部分が、パソコン書体にはよくあることだが、なんだか妙な形で簡略化されていたのである。正字体も略字体のどちらも、モジナビでは見つけることができなかった。ネット検索で雨偏の漢字を検索して、どうにかコピペで引っ張ってこれたけれど、こういうことがあるから、辞書は手放せない。
書架の奥で眠っていた『旺文社漢和辞典』が数十年ぶりに日の目を見たのは、昨年、開店休業の編集ライター業に代わり、校正の仕事を始めてからである。この辞書は亡母の辞書だった。パラパラめくると、「偈」という字に鉛筆でチェックを入れているのが見つかった。偈はゲ・ケツと読み、「つよい・たけだけしい」「はやい、はやく走る」「ほねをおるさま」「休む」など、いろいろ意味がある中で、「仏の徳をたたえる韻文の名」という解説に傍線を引いている。「偈頌」(ゲジュ)で「仏の功徳をたたえる歌」といった意味になるそうだ。仏教関連の本を読んでいて、この字に遭遇したのだろう。郷里の会津八一の影響で、奈良の寺巡りが好きな人だった。
私は長い間、この漢和辞典は亡母が女学校時代に使っていたものだと思いこんでいた。見返しの部首索引のページは、セロテープで補強した跡がある……もっとも、テープはすでに粘着力を失い、茶色く変色して、剥がれてしまっているのだが。ところが、ある日、何気なく奥付をみると、刊行年は私が小学校に入学した年だった。私は母の辞書だと思い込んでいたが、どうやら私に買い与えたものだったらしい。たしかに小学生の頃、知らない漢字が出てきたら漢和辞典を使って調べるよう、口酸っぱくいわれた記憶がある。離婚して家を出て行った時、三省堂国語辞典は持って出て行ったのに、旺文社漢和辞典は家に残していったのも、使うのはもっぱら母だったが、私の辞書だったからだろう。
英和辞書の三省堂のカレッジクラウンは、離婚して数年、何かの拍子で、大学に進んでいたわたくしに押し付けられた。これも女学生時代の辞書と思っていたら、私の生まれた年の版である。紆余曲折があったようだが、母は大学入試に失敗して、家庭教師だった父と結婚することになった。大学受験の夢は諦めていなかったのかもしれないし、生まれてくる子どもに、自分が得意だった英語を仕込もうとしたのかもしれない。私は英語の方は今に至るもさっぱりだが。この辞書も、もらったきり、本棚で眠っていたが、校正の仕事を始めて、引っ張り出すことになった。
カレッジクラウンの初版は私が生まれる前の1964年だから、いまでは普通に使われている単語が載っていなかったりする。たとえば、人工透析を意味するdialysisは、「分離・分解」「(化学)透析」と記載があるだけである。約半世紀前には人工透析療法が、一般的でなかったことがうかがえる。
英語に限らず、文字や意味の確認は、ネットで済ますことが多い。英文のスペルミスはよくあって、ネットで検索をかけたら、大概のミスは確認できる。
しかしネットでは解決しないこともある。あれはIntegration の意味を調べたときだった。インテグレーションは、カタカナ英語で企画書かなにかで使った覚えがあるから、「統合」「完成」「調整」「積分」などの意味があることは覚えていた。しかし「人種的差別の廃止」という意味があるのは、知らなかった。
最近のポリティカル・コレクトネスの流れで出てきたことばかと思ったが、半世紀以上も前に出たクランカレッジにも、「人種的差別待遇の廃止」という意味が紹介され、「social integration」(社会的人種無差別)「school integration」(学童差別待遇廃止)などの用例が紹介されているのは、ちょっとした驚きだった。Integrateの解説には、integrate school districts an attempt to integrate school districts 人種的差別待遇を廃止する、 an attempt to integrate Indian children into previously all-white schools 以前の全白人校へインディアン児童を平等に入学させる企て、The schools opened with 12,500 Negro publics integrated with 34,500 children. 三万四千五百人の白人児童と平等の待遇を受けた一万二千五百人の黒人生徒をもって学校は授業を再開した、などの例文が紹介されている。
キング牧師の公民権運動の時代のうねりと、その成果を感じる。Indian、Negroという今日では使われない差別語が使われているのも時代であろう。今でこそアメリカは黒人大統領を生み出すに至ったけれど、アメリカ社会の黒人たちをごく普通にスナップに収めただけのロバート・フランクの写真集『The Americans』が物議をかもしたのは、1958年のことだった。
integrateがどうして人種的差別の廃止になるのかは、ネイティブでない私には、ちょっと飲み込みづらい。[部分・要素を]全体に統合する(unify)、[欠けた部分を付け加えて]完全にする(complete)と解説があるけれど、排除されたマイノリティーを社会に統合する、仲間はずれのない全員参加の社会にする、といったニュアンスだろうか。
こうして書いていると、私の読み書き能力の基礎は、母の教育によるところが大きかったようだ。中学に入学すると同時に文庫サイズの『朝日新聞の用語の手引』と『天声人語』を買い与えられた。文章を書いたり編集したり、校正したりの基礎は、この頃培われた。
高校入学したときには、大野晋の『岩波古語辞典』を渡された。これは後で知ったことだが、岩波古語辞典は、かなりマニアックに過ぎる辞書だ。私にこどもがいたら、普通に定番の旺文社古語辞典か大修館の古語林を買い与えるだろうと思う。
しかしこの辞書は、私の人生にかなり役に立った。古文は嫌いだったが、岩波古語辞典を眺めていると、ことばの語源がよくわかるのは面白かった。たとえば、「老ける」「更ける」「耽る」「フケ」は、いまでは漢字やカナで使い分け、別の言葉のような顔をしているけれど、ともに時間経過を意味する古語の「ふけ」から来ている。岩波古語辞典を手引きに、語源からことばの意味や用法をとらえる作風は、左翼時代の小さな人や後輩諸君や学校へ通えなかった人たちとの勉強会でも、コネで児童書編集をしていた頃にも役立った。ごはん、出汁、卵などのシンプルな食材で多様なメニューを作るように(作れないけれど)、小学校レベルのシンプルな単語を駆使してわかりやすい表現を心がけるようになった。
母がこの辞書を渡した意図を知ることになったのは、彼女が亡くなって10年が過ぎ、源氏千年紀に便乗した本を作ったときである。『岩波古語辞典』は、源氏を読解するために特化した辞書であることを、私は深く知った。亡母が小学生の私を相手に、与謝野晶子訳の素晴らしさと同時にその問題点を熱く語っていたことを思い出す。まあ、まさか源氏物語を読むことになるとは夢にも思わなかったが、岩波古語辞典を駆使して、なんとか本を仕上げることができた。親に感謝、といわねばならないところだろうか。