今月で京賀塾を今の場所に移して8年目に入ったわけだが、京賀塾の元となる
同好会のようなものを近くの公園で始めてから数えると丸15年経ったことになる。
それ以前にも正式な道場という形はとらなかったが、滋賀県との県境にある場所を借りて
5年ほどやっていた事がある。
その当時は試合には出ず、格闘技が好きな連中が何人か集まり、各々好きな練習を
していた。
日本拳法の練習をする奴、シュートボクシングの真似事をする奴…
まあ中心はフルコンの練習だったが、特に決まった稽古体系というものは存在せず
何人か集まったらミット練習、人が来ない時は筋トレやサンドバッグと言う内容だった。
だが、一時期空手の練習よりも人が何人か集まればそのままカラオケに突入したり
テニスの素振りをする奴がいたり、道場内の何人かがはまったウィンドサーフィンの
ボードの置き場所になったりとかなりいい加減なものだった。
その集まりも5年ほどで解散する事になり、暫くは空手から離れる日が続いた。
その後諸事情により、何となく公園で空手同好会みたいなものを開く事になったのだが、
それがまさかここまで続ける事になるとは。
公園で始めた時はフルコンの練習をしていた。
そこに集まっていた数人は何回か試合にも出たが、あの頃は中々勝てなかった。
ある日、天候に左右される公園での練習に限界を感じ、解散しようかと悩んでいる時に、
渡邉兄弟が中心となりグローブ空手の練習をしていた場所を間借りする形で
一つの場所を半分はグローブ空手、半分はフルコンという形で練習をする事になった。
だが、隣でやっているグローブ空手に段々興味がわき、いつの間にか一緒に
練習をするようになっていった。
それが12年前の事です。
それ以前からグローブ空手の練習はやっていたのだが、当時はフルコン最強神話があり
グローブ空手やキックボクシングを下に見ていた事もあり、あまり練習をしていても
気が乗らなかった。
だが本格的にやり始めると、フルコン最強を信じながらも何となく疑問に感じていた
顔面パンチの対処法について真剣に考えるようになり、顔面パンチが対処出来ない
今までの間合いや防御では駄目だと思い、一からパンチの打ち方・防御・間合い等を
やり直した。
今日まで誰にも教わらず我流でグローブ空手・キックボクシングをやってきて、
アマの大会では何とか勝てるようになってきたが、プロの試合ではまだまだと言うのが
現状。
選手をプロの試合に送り出す度に技術の未熟な自分を反省するばかり、
選手達が負けると申し訳ないという気持ちで一杯になる。
これからもまだまだ勉強していかなければならない事ばかりです。
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