いい天気です。暑いくらいです。
家の中の窓を開け放つと風が吹き抜けます。
毎日。毎朝、毎夕、何かが足りない気がしてきます。窓を開ける時は網戸が動かないように、外に出る時は戸締りを一々しなければならないことや、足にまとわりつくのに注意しながら尻尾を踏まないようになど・・・数えきれないことが沢山あります。そうして我が家の住人となり、家族を使い分けてることが分かり、まるで我が家がずっと彼に支配されていたと思うのです。
今朝方はあの独特な鳴き声で目が覚めたりしました。でも、そうだったなと、居ないことを再確認します。いつでも家の中に彼が居ることが常でした。彼の表情はとても豊かでしまいにはその感情が言葉が無くても通じたりします。
6月6日、早朝・・・クー太郎が逝きました。
夕方にはお骨となって娘が引き取りました。共同墓地を嫌ったからです。
彼は娘の部屋に居ます。娘は泣きません。なのに、ワタシは涙が止まりませんでした。母の死の時でさえ泣けなかったのですが、何故でしょうね・・・人は何時かは逝くと覚悟をしていたせいでしょうか?
彼に心残りがあったからでしょうか?人のお骨のように骨壺に収まっているのを見るのは辛いですが・・・もう家族の誰かを煩わせる彼は居ません。
20年の長きを生きました。本当に幸せだったか分かりません。でも、間違いなく我が家には必要な存在だった。そして我が家も彼のお陰で幸せだったと思う。
毎日、その姿が見えないことを何かをするたびに確認している。そんな時間が増えている。