エルサレムが陥落したのは西暦前607年だとエホバの証人は根拠もなく主張している。
多くの考古学者は西暦前587年~586年だとしているが、そのことは信者に一切知らせていない。
…という内容の批判記事を読んだことがあって、どういう理由で607年だと主張しているのだろう、と思っていたのですが、1981年発行の「あなたの王国が来ますように」の14章に解説されていました。(今頃気づきました)
最初と最後を少しだけ抜粋すると、こんな感じです。
資料の全体を知りたい方は、どうぞお近くのエホバの証人にお尋ねください。
多くの考古学者は西暦前587年~586年だとしているが、そのことは信者に一切知らせていない。
…という内容の批判記事を読んだことがあって、どういう理由で607年だと主張しているのだろう、と思っていたのですが、1981年発行の「あなたの王国が来ますように」の14章に解説されていました。(今頃気づきました)
最初と最後を少しだけ抜粋すると、こんな感じです。
聖書の伝えるところによると,ネブカデネザル配下のバビロニア人は,彼の治世の第18年(即位した年を含めると第19年)にエルサレムを破壊している。(エレミヤ 52:5,12,13,29)したがって,上記の新バビロニアの年表を受け入れるとすれば,エルサレムは西暦前587年から6年にかけて荒廃したことになる。しかしこの一般の年表は何に基づいており,聖書の年表とどのように比較されるだろうか。
[中略]
ユダヤ人が西暦前537年に故国に戻った時から70年を逆算すると西暦前607年になる。それはネブカデネザルの治世の第18年で,彼がエルサレムを破壊し,ゼデキヤを王位から除き,地上のエルサレムで王位に座すユダの王統に終わりをもたらした時である。
資料の全体を知りたい方は、どうぞお近くのエホバの証人にお尋ねください。
>ユダヤ人が西暦前537年に故国に戻った時から70年を逆算すると西暦前607年になる。
根拠となるエレミヤ25章11、12をご覧ください。
11 そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない」』。
聖書には、エルサレムの完全な崩壊の期間が70年とは述べていません。ユダ王国をはじめ、諸国の民が、70年の間バビロンに仕えると書かれています。
12 「『そして,七十年が満ちたとき,わたしはバビロンの王とその国民に対して言い開きを求めることになる』と,エホバはお告げになる,『彼らのとがを,カルデア人の地に対してである。わたしはそれを定めのない時に至るまで荒れ果てた所とする。
ユダヤ人が西暦前537年に故国に戻った時から70年を計算するとものみの塔協会は説明しますが、この聖句をみるなら、70年が満ちたときに故国に帰るのではなく、70年が満ちたときに、バビロンに言い開きを求める、と書かれています。ですから、普通に読めば、539年のバビロニア王朝の滅びを70年の逆算の起点にするべきと思います。
私も現状はまだ現役のエホバの証人信者ですが、協会が、「あなたの王国が来ますように」などの文章で詭弁を弄している様は、本当にぶざまで悲しくなります。
>資料の全体を知りたい方は、どうぞお近くのエホバの証人にお尋ねください。
607に根拠がないことはほとんどのJWは知りませんから、逆に罠になりますよ。www
いきなり失礼致しました。
この資料も歴史的証拠を出しながら、結局はJWの言い分が正しいから信じなさいよ。としか言っていないので確信を持てるまでに至らないのが事実です。
まあ、ここまで来ると、偽りを信じるのか、聖書を信じるのか?という伝家の宝刀を出すわけですが…
もう少し、歴史の証拠を調べてから、この説を確定すれば良かったのにねJW。
一般的に信じられている説を蔑ろにするってのは、どうなんでしょうか?結局、考古学も道具としてJWは使っているわけですし…
すいませんね批判的で…
因みに自分は現役であります。
ちなみに、僕はあまり個人研究には熱心ではないので、JWのBC607年という解釈や一般的解釈すら今まで知りませんでした。
インターネットの利用を規制するのはこういうのが理由ですかね?
だから,「都合の良い時期を起点にするしかないのだろう」という言い方は,今日のJW,あるいは,統治体に適用すべきものであって,ラッセルをはじめとする聖書研究者の手法とは関係ありません。