≪初代ネオン再現模型≫1935年~1943年
昭和10 (1935)年、グリコの創業者・江崎利-が一日20万人もの人通りのある大阪・道頓堀のこの場所に目をつけ、初代のネオン塔を建設しました。
高さ33メートルという、当時はまだめずらしかったネオン看板の中でも型破りな大きさのネオン塔は、人々 注目を集め、一躍ミナミの名物となりました。
やがて、戦況が厳しくなった昭和18(1943)年、鉄材の供出のため、このネオン塔は解体されました。
≪二代目ネオン再現模型≫1955年~1963年
戦後の昭和30(1955)年、戦前に解体された初代の土台を活用して高さ21.75メートルの二代目ネオン塔が再建されました。
このネオン塔は砲弾型の下部に特設ステージを持つユニークなもので、大きな人形のワニ君がピアノをひいたり、人形劇を演じたり、ロカビリー大会を催したりしました。
≪三代目ネオン再現模型≫1963年~1972年
昭和38 (1963)年、三代目は高さ18メートルの噴水ネオン塔になりました。
12トンの水がトレードマークの中心部にある水車状のノズルからふき出し、12色のランプ400個がそれを照らし、きれいな虹の模様を描きました。
また、ネオン塔の南側にある消防署の拡張を計画している事がわかった時、創業者・江崎利一は、『あそこにあるからこそあのネオン塔は価値がある」「むしろ消防署に移動してもらったらどうか。移転には力を貸そう」と言ったというエピソードが残っています。
利一の執念と、市側の理解によって問題を解決することができました。
≪四代目ネオン再現模≫1972年~1996年
昭和47(1972)年、四代目は高さ17メートル、バックになっている陸上競技場のトラック部分を点滅させ、トレードマークに躍動感を持たせたネオンになりました。
映画やテレビにも登場し、大阪を代表する名物となりましたが、平成8(1996)年、隣接するビル改装に伴い撤去されました。
≪五代目ネオン再現模型≫1998年~2014年
平成10(1998)年、四代目の撤去から二年半ぶりに高さ20メートルの五代 ネオンが点灯されました。
陸上競技場を走るランナーの背景には大阪を代表する四つの建物(大阪城・海遊館・大阪ドーム、通天閣)が描かれ、バックの情景の色が変化することで、朝、昼、夕焼け、そして、夜とランナーが大阪の街を一日かけて走る姿を表現しました。
また平成15(2003)年、このネオンは「大阪市指定景観形成物」(現在は「大阪市都市景觀資源」)に指定されました。
大阪に住んでいると、そんなに変化していないように、思いますが、こんなに変わっているのですね~
今でも、グリコのネオンの前でたくさん撮影しているので、人気がありますね~~\(^o^)/