≪なにわ七幸めぐり4≫
≪太融寺≫(無病息災)
梅田のど真ん中、マンションやビルの中
こんな所にあるのかな?と思いながら、歩いていると・・・
結構大きなお寺を見つけました
知っている梅田なのに、知らないものですね~
大阪キタのビル街に佇む
心安らぐ一願成就の名刹
周辺地名に残る 大寺院時代の境内名
大阪キタの繁華街に佇む太融寺は、まさに都心の異空間。
周辺の喧騒とは打って変わって、丹精に手入れされた境内には清らかな空気が満ち、老若男女が訪れては祈りと憩いの静かなひとときを過ごしています。
創建は古く、八二一年( 弘仁十二)、弘法大師が嵯峨天皇の勅願によって建立。
ご本尊の千手観世音菩薩は嵯峨天皇の念持仏だったとされています。
その後、同天皇の皇子、河原左大臣源融(みなもとのとおる)公が七堂伽藍を建立し、多くの参詣者で賑わう名刹へと発展。
寺名はこの融公に由来し、また、太融寺町のほか、堂山町、神山町などの周辺の地名が、当時の広大な境内の名称を今に伝えています。
大阪夏の陣で全焼しますが、元禄年間に本堂や南大門など諸堂が復興し、以後、「北野の太融寺」と呼び親しまれました。
しかし、先の戦時の大阪空襲により、ご本尊などを残してすべてが焼け落ちます。
現在の伽藍は戦後に再建されたものです。
なお、金属供出のために鐘楼から降ろされていて難を逃れた梵鐘を、終戦の年の大晦日に、当時のご住職が“復興のつち音”にしようとついて鳴らし、近隣住民を勇気づけたことから、「太融寺は鐘が残った。カネが残るゲンのいい寺」との評判が広まったそうです。
●一願成就のご利益を求め 静寂の中で祈り、願う
境内の北東にそびえる朱塗りの宝塔の一層に不動堂(一願堂)があり、奥まで進むと一願不動と称する不動明王が安置されています。
一願不動は、一願成就のご利益があるとして、昔から多くの人々の崇敬を集めてきました。 ここは陽光の届かないほの暗い空間で、洞窟の岩屋からは一条の水が滝のように落ち、冷気と神秘的な雰囲気が漂います。静寂に包まれて一心不乱にお百度詣りをして、願掛けをすると、身の引き締まる思いがしてきます。
●淀殿の墓
大阪城の落城によって秀頼と共に自刃した淀殿は、大阪城の外にあった弁天島に埋葬されましたが、明治10年、同地に城東練兵場(現大阪城公園)が造営された際に、豊臣にゆかりの深い太融寺に移転。今も、父親である浅井長政ゆかりの小谷城址保勝会による供養が毎年行なわれ、また、淀殿を演じることになって参拝する女優もいるそうです。
●真言宗の開祖・弘法大師空海の厄除け大師像
七幸巡りで幸をいただくのはもちろんのこと、仕事や買い物などの行き帰りに寄って、一願不動などに静かに手を合わせたいもの。
門も東西南北に設けられており、気軽に立ち寄れる身近さも嬉しい寺院です。HPより
マニ車≪経車≫ーネパールー
おおさか十三仏霊場会では、釈尊誕生の国 ネパール、パタン市の学校建設に援助をしています。
このマニ車は両国の友好のシンボルとして
ネパールより十三仏寺院に贈られたものです。
マニ車の中にはお経が納められていて、手でまわすと、お経を1巻お唱えするのと同じ功徳があるといわれています。
今年のご朱印めぐりは、すべてスマホ撮影です