≪なにわ七幸めぐり3≫
≪今宮戎神社≫(商売繁盛)
「えべっさん」で有名な神社
毎年、福娘さんの撮影に来ています
今年は、体調が悪く、行けなかったので、
ご朱印めぐりで来る事が出来ました
「えべっさん」が終わり、後片付けを初めて見ました
「えべっさん」の時、正面の本殿の前は、ぎっしりの人が居ましたが、今はガラーンとしてます
ちらほら、参拝の方が来ていますね~
裏の銅鑼(どら)も静かですが、ジーと見ていると、
賑やかな声が聞こえてきそうです
クレーン車で、解体している様子
裏には、廃材や交通整理に使用されたガードフェンス
ご朱印を受け取り帰りかけたら、同じようにご朱印めぐりをしている方から声をかけて頂き、少しお話をしました
色々な所で、ご縁がつながるのですね~
今も昔も愛され続ける
商いの街、大阪の守り神
漁業から商業の神へ進展
大阪の新春を彩る祭礼「十日戎」で知られる今宮戎神社は、聖徳太子が四天王寺を建立され時に、西方の守り神として創建されました。
祭神は、天照皇大神、事ことしろぬしのみこと代主命、ほか三神。
とりわけ事代主命は“戎神(通称えべっさん)”として信仰を集め、左手に鯛を抱え、右手に釣り竿を持った姿でお馴染みのように、もとは漁業の神様であり、海からの幸をもたらす神を象徴しています。
かつて海岸だったこの地は、平安中期より宮中に鮮魚を献進する朝役を担い、漁師たちは同社の戎神に大漁を祈りました。
平安末期になると四天王寺西門に「浜の市」が立ち、その守り神としても拝まれるようになります。
そして、市場は商業を発達させ、いつしか商売繁盛の神となり、商都大阪の人々に親しく崇敬されるようになったのです。
大阪ミナミのランドマーク的な戎橋(えびすばし)の名も、同社への参道として架けられ賑わったことに由来します。
●裏から銅鑼(どら)を叩くのは?
今宮戎神社での参拝方法は少し変わっています。
社殿を参拝後、裏へまわってもう一度、銅鑼を叩きます。
再度叩くのは「念を押す」など、神様を友達感覚でとらえる大阪らしい理由から。
裏からというのは、江戸期の商売の中心地、船場から見ると本殿は南向きでそっぽを向いているので、お祭りの時くらいこっちを向いてくれと願って始まったようです。HPより
今年のご朱印めぐりは、すべてスマホ撮影です