あれから3年

三年前、ワタシは千葉県の某所で罹災した。





そして今、全く同じ場所にいる。





交通網は完全に麻痺し、自宅に戻ることができなかった。最寄りのコンビニエンスストアに買い物に行くと、弁当やパンなど、即座に食べられるものは完全に売り切れ。やむを得ず、冷凍食品を買って調理した。





翌日、午前中一杯をかけてようやく帰宅。連絡もろくに取れず、不安のままで過ごした座敷童たち。父一人との生活にいきなり変わり、寂しさも感じているだろうと、気晴らしに連れて行くつもりだったリハーサルも中止。近くの公園で、一緒に戯れる時間をつくった。





離婚で生活にまだ落ち着きがない頃だった。ただでさえ不慣れな生活が、さらに不慣れなものになった。そんな中でも、何とか生活を成り立たせるために、身の回りの環境を構築する毎日だった。





しばらくの間、スーパーからは物資が姿を消した。災害に備えた家族生活を続けていれば、数日はしのげたであろうが、手元には何もなかったのだ。毎日がその日暮らし。食材を購入できなければアウト。食えるものなら何でも買ったな・・・。





そして、計画停電。昨晩座敷童と話したら、このときのことをよく覚えていた。それはそうだよなぁ、こんな経験、滅多にするものではないし、たくさん経験させてあげたいことでもない。





三年前は、自分にとってあまりにもドラスティックに物事が変わる日々だった。座敷童たちを3月末に見送って、完全な独身状態に。喪失感で満たされた、うつろな日々をしばらく過ごした。そしてダンスと関わり、いまの生活の基礎ができあがった。あの頃に、自分は生まれ変わったのだと思い、生きていこう。人を助け、自らの命を犠牲にしたいとこを想う。14時46分18.1秒のことは忘れない。黙祷を捧げます。





Editor CABEZÓN

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